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音速の名無しさん
記憶に残るクラッシュPart72

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記憶に残るクラッシュPart72
437 :音速の名無しさん[sage]:2023/05/19(金) 15:23:16.55 ID:YIRlJVvt0
1977年1月にバンドはCBSと契約を交わし、ドラマーのテリー・チャイムスと共に「白い暴動」、「反アメリカ」、「ロンドンは燃えている」といった名曲を収録した比類なきデビュー・アルバムの『白い暴動』をレコーディングした。重要なのは、このアルバムに1976年にアンダーグラウンド・レゲエ・ヒットとなったジュニア・マーヴィンの「ポリスとコソ泥」の見事なカヴァーが収録されたことだった。この動きは瞬時にバンドのジャマイカ音楽への造詣(特にシムノンはブリクストンやラドブローク・グローヴといった黒人居住区で過ごした幼少期から自他ともに認める大のレゲエ好きだった)、及び当時警察からの「組織人種差別」の的になっていたと後に認められたロンドンの西インド諸島からの移民との連帯を示唆した。



ライヴにおいてもザ・クラッシュは結成当初から激情に満ちていた。ステージ上での彼らの情熱、流儀、迫力はおそらく先にも後にも例をみない。バンドの研ぎすまされたイメージは彼らの魅力に不可欠の要素だった。初期の頃は“Heavy Manners(非常事態宣言)”や“Sten Guns In Khightsbridge(ナイツブリッジに短機関銃を)”や“Passion Is A Fashion(情熱はファッションだ)”といった言葉がくっきりと書かれた彼らのミリタリーカットの衣装がスローガンや思想、歌詞を広める広告塔となった。また、ポールとジョーのギターにも「ノイズ」「ポジティヴ」「圧力」といったバズワードが書かれていた。
記憶に残るクラッシュPart72
438 :音速の名無しさん[sage]:2023/05/19(金) 15:32:40.51 ID:YIRlJVvt0
1974年にジョージ・ハリスンが設立し、昨年ジョージの息子であるダーニ・ハリスンとマネージャーのデヴィッド・ゾンシャインがリスタートしたダーク・ホース・レコーズからリリースされる、ジョー・ストラマーのソロ新ベスト作。
ジョーのソロをまとめたものでいうと2018年に大ボリュームの『001』がリリースされているが、今回の肝はビートルズやストーンズの新ミックス、リマスターを手掛けるポール・ヒックスによるリマスターが施されていることと、3つの未発表曲にある。
未発表曲のうち本作の最後に収められた“Junco Partner”はラフな感触のアコースティック・ホーム・レコーディング・バージョン。
曲が進むにつれどんどん熱が籠っていく演奏が楽しめる。
残る2曲は、2001年11月24日、つまり逝去する約1年前にロンドンのブリクストン・アカデミーでザ・メスカレロスと演奏したザ・クラッシュの“I Fought The Law”と“Rudie Can't Fail”。これが、凄まじく良い。
クラッシュの音楽的革新性の多くを担っていたのはミック・ジョーンズであり、解散後に彼がビッグ・オーディオ・ダイナマイトでラディカルな傑作を連発したのに対し、ベスト盤である本作にさえレゲエやワールド・ミュージックを心の赴くままに奏でたようなリラックスした楽曲が入っていることは事実。
しかし、やはりこの声なのだ。ジョーの人間性がそのまま宿ったようなこの声があるからこそ、クラッシュは至上のパンク・バンドたり得たし、悶絶級に格好良いストレートなロック・ソングのみならず、紆余曲折に満ちたソロ・キャリアにおけるどの時期の楽曲も、聴く者の胸を激しくノックするのだ。
彼がこの世を去ってから今年で19年が経つが、この歌声の熱量は未だ、あまりにもかけがえが無い。


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