- 小林可夢偉 167
233 :音速の名無しさん[sage]:2011/07/14(木) 11:08:02.09 ID:Z6NoQPIJO - 合宿風景!?w
http://www.youtube.com/watch?v=NiBm4nOUaZw&sns=em 昔リフトは腰のセンサーを養うなんて某マンガがあったなw
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270 :音速の名無しさん[sage]:2011/07/14(木) 13:19:43.80 ID:Z6NoQPIJO - >>253
文明なんて古代から近代に向かって直線的に発展してきたものじゃない 西欧におけるギリシア文明なんて、西ローマ帝国崩壊後の暗黒時代で一度断絶してるって 多くが十字軍以降のアラビア世界からの逆輸入だ アルコール・アルカリ・テスト・アドミラル・シャーベット シロップ・マガジン・コットン・ガーゼ・シュガー・パジャマ・シャンプー その証拠にこの辺全部その導入だけでなく、語源もアラビア語由来だったりする
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292 :音速の名無しさん[sage]:2011/07/14(木) 14:46:33.51 ID:Z6NoQPIJO - >>280
じゃあ>>261と>>286についてそれぞれ少しだけ >>261 野糞どころか18世紀になるまでパリやロンドンでもアパートの窓から 汚物や糞尿を投げ落としてた だから貴族や富豪が街路を通るときは「手をとめろ!」と叫ぶ道先案内人を雇ってる さらにこの糞尿のたまった泥んこ道を着飾った貴婦人たちを 背負って運ぶ「渡し屋」も職業としてあった そして冗談の様なお話だけど、それはハイヒールが生まれた背景となった つまりドレスの裾が汚れるのを防ぐためということ そのため当初は厚底ブーツもビックリの踵、爪先に60pのヒールが着いていた 下世話な話だが、この不安定な靴を履いた貴婦人がヨチヨチ 幼っぽく歩く姿が纏足めいて、当時の変態紳士どもの心をそそったらしいw >>286 実際当時はバラ園とかの茂みの中で用を足してたから「ちょっと花摘みに」ってのはそこからだしなw ドレスの裾が骨組み入りにしてまで大きくフレアしてるのは、 しゃがんだ時にジャマにならない様だし それと風呂は元々ガチガチのカトリックでは入浴は蛮風という考えで、 生涯湯浴みしてないことを公言して誇りにしてた聖職者もいたぐらいだから それと香水も元々はアラビアからの伝来品の一つだな まあスレチもはなはだしいからこの辺で… どっかでバカ話のネタにでもしてくれ
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492 :音速の名無しさん[sage]:2011/07/14(木) 14:53:56.40 ID:Z6NoQPIJO - >>476
フェラーリの陰謀だ!w
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307 :音速の名無しさん[sage]:2011/07/14(木) 16:01:23.47 ID:Z6NoQPIJO - >>295
すんません…っておいw >>296 車業界じゃないが今日は外回りが暇すぎて…w >>299 キプチャク(トルコ北部から南ロシア)出身で、 徒手空拳の奴隷として売られても、乗馬の腕を見込まれて、一介の兵卒から マムルーク朝の実質的初代としてエジプト・シリアの支配者にまでなった、 サラディンと並ぶ対十字軍の英雄・バイバルスなんてのがいるから、可夢偉もまだわからんよ! と、無理めに纏めてみるw
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339 :音速の名無しさん[sage]:2011/07/14(木) 18:39:39.14 ID:Z6NoQPIJO - >>328
まあ、おかげで人格的には相当強烈だったみたいだけどw でもその朱子学の薫陶のおかげで、南宋は歴代王朝の中で滅亡時に 文天祥ら三傑みたいな国に殉じた士太夫層がダントツに多いんだよな 後、メフメト2世と李舜臣もいいが、バトルマシーンwティムールや 西欧より100年早く大航海実現した鄭和を入れてくれw >>331 J.J.レートも長身で苦労したって聞いたなあ
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584 :音速の名無しさん[sage]:2011/07/14(木) 20:45:46.88 ID:Z6NoQPIJO - >>573
そうなるともうサイバーパンクの世界じゃないかw
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376 :音速の名無しさん[sage]:2011/07/14(木) 21:03:17.87 ID:Z6NoQPIJO - >>370
これは酷いボケ潰しwww しかしペレスの経緯はどうであれ、フェラーリアカデミーって潜り込むには、 やっぱり何がしかの後ろ楯がないと無理なのかねえ >>343 「精忠報国」と「莫須有」か… ただ士太夫云々は岳飛頃のの話じゃなく、滅亡寸前末期の「正気の歌」とその最後とか 「崖山の戦い」の際の陸秀夫と幼い末帝のやりとりとか張世傑の最後に代表される南宋滅亡期の話だ それにあくまで割合が多かったってだけの話だし ただまあご指摘の岳飛を謀殺した秦檜や、 その後の史弥遠、胡沙虎辺りの宰相クラスはなw あの辺がどいつもこいつもお勉強とお追従だけの タイプばかりだったってのが南宋の不幸だw それに成り立ち上、文治政治の徹底で宋は国内は安定でも、 対外的には燕雲十六州に代表される様に、歴代最弱だったからなあ 基本的に宋代は周りの異民族が力を付けてきた時代だったから、 最後まで遼、金、モンゴル、西夏、吐蕃ととにかく相手が悪すぎた
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401 :音速の名無しさん[sage]:2011/07/14(木) 22:39:31.07 ID:Z6NoQPIJO - >>382
燕雲十六州に関しては遼・金からすれば 「蘇湖満ちれば、天下足る」と例えられた華南に比べると 生産量は格段に落ちるけど、満州・莫北に比べたら定住民の絶対数的に 確実に麦・豚・綿等の農作物、幽州の金などの収穫が見込める 遊牧民と言えども定住農耕民族との交易は当然あった訳だから、 自前の支配下にその交易市場を持ってる方が、抗争から他国家間との 抗争〜戦争になるというデメリットがない 漢民族と北方遊牧民はそれを巡って長い間争ってきた訳だから それ以上に何より長城以南は侵攻・撤退の迅速化という軍事上の理由が大きいからかと 漢民族の宋の立場からすれば実利と併せて、唐代以前の父祖伝来の地、 秩序回復という大命題で言わずもがな 名君ですか…単純な治世的なものなら清代の康煕・擁正・乾隆とか ビスマルクとかマリア・テレジアとか 後世の人物が有利だとは思うし、それでも一長一短で選びきれないのが本音だけど、 文化史的に当時の観念では考えられないぐらい先進的な考えで 西欧世界とイスラム世界との橋渡しをした「玉座の上の近代人」 神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世なんかが面白いかと ただこの人、エルサレム奪回の手法を巡って教皇から破門されたり、 ドイツ人なのにローマ帝国の権威回復に血道を上げてイタリア経営に傾倒しすぎた結果、 元々進んでたドイツの領邦化が決定的になって、その影響は 州による連邦制となった現在まで続いてる等、けして治世的には名君とは言えませんが…w 可夢偉スレなんでホントにこの辺で…
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