- ◇修羅場◇part110
589 :560[sage]:2011/07/09(土) 00:13:12.40 ID:Pq88u2Eo0 - 普通なら自分を追い詰めるような話題からは逃れたいと思うものなのでしょうか。
私は何がしたかったのか、表向き平然としながら色んな人から、A男とB子の 逢引やら何やらについて情報を聞き出したりしていました。 B子のクラスメイトで共通のゲーセン友達であったD子曰く、 「B子は初体験のことを嬉しそうに報告してきた」 「A男とツーショットのプリクラを見せてきた」 「(私)さんが一人でいるのに、A男さんとB子が別のゲーセンで一緒に遊んでるのを見たことがあった」 「そのときC子さんがA男に対して怒っていた」ということも。 あれ?C子も前からA男とB子の関係を知っていたの?と疑問に思い、聞いてみたところ 結局、事件が発覚する前からこの二股を察してはいたが、 事実を突きつけると私がショックを受けると思い、伏せていたとのこと。 C子は私よりずっと前からA男の知り合いだったので、過去のことを知っているそうですが、 それまでにA男は何度も女性問題を起こしたことがあって うち一人は私と同じく相当ボロボロになってしまったとのこと。 ここまで親身になってくれた友達も初めてだったので、C子のことは本当に大好きでしたが、 これを聞いてから「どうして分かってたなら教えてくれなかったの?」という気持ちが根付き 次第にC子とも疎遠になっていってしまいました。 順序は時系列でどこに入るか分からないのですが… 最後にA男と話し合いをしたときは、お約束の台詞を言っていました。 「(私)のこともB子のことも好きだから、選べない」みたいに。
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- ◇修羅場◇part110
592 :560[sage]:2011/07/09(土) 00:32:14.88 ID:Pq88u2Eo0 - すいません、感情的になって来てますちょっと。思い出し泣き真っ最中です。
私は寮にいながらも引きこもりになって行きました。 同輩もずっと慰めてくれていたので、学校も石にかじりつく気持ちで 一年ほどは続けていけましたが、次第に欠席するようになりました。 それでも自分を追い詰めることだけはやめられません。 B子とA男のブログをひそかに読み続けていました。 結局二人はお互いに飽きたのか関係はすぐに終わったようでしたが、 B子はめでたく高校を卒業して短大に入学し、日々楽しいという日記を書いていました。 A男は、私のために周りから白い目で見られるようになったからでしょうか、 真っ黒な壁紙に空白の日記を書いており、反転すると、何百もの「死ね」という字が出る日記を書いていました。 大学まで来れた、母も喜んでくれた、卒業して就職できれば そのうちありふれた恋愛でもできるかもしれない、 自分に自信ないけど結婚もできればいいな。 大学は意地でも最後まで遣り通さないと、学費だって借金なのに。 ああ、でも私本当に立ち直れるのかな? だってもう自分は潔癖じゃないんだから。 嫌われるのが怖かったという理由だけで体を許してしまって、 挙句の果てに用済みになって捨てられて。 もう自分が理想としていた自分には二度と戻せない。 不潔、駄目人間、落ちこぼれ。 部屋に鍵をかけて自傷を繰り返し、自覚する間もなくメンヘラ街道まっしぐらで突き進んでいました。 ここまでどっと精神的に滅入った理由は、裏切り云々よりも 貞操観念の潔癖さが頑固すぎたところにあったと思います。 レイプされたわけではないのに…いえむしろ「合意してしまった自分」が汚らわしくて 何を呪っていいのか分からないまま頭をかきむしり続ける日々でした。 一年と少したった冬、私は、志を貫き通すこともできず退学し 茫然自失のうちに、自宅で殆ど寝たきりの日々を過ごすことになっていました。
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596 :560[sage]:2011/07/09(土) 00:52:08.38 ID:Pq88u2Eo0 - ぐちゃぐちゃで申し訳ないです。
結局、それから数年、母が支え続けてくれて通院を繰り返して 昔のように明るく、溌剌としていることはできなくなりましたが、 今度は、誰よりもこの母のためなら立ち直らなきゃなぁ、と バイトを始めたりしました、飲み込みが悪いと遠まわしに首にされましたけど…。 修羅場とは関係ない話なんですけどね、この後日談は。 何で今更、恨み言を言いたくなってしまったか、って、 本当に後味の悪い話で、何の救いもないオチでしかないのですけど。 去年の暮れ、ずっと自分を慰め支え続けてくれた母が亡くなりました。癌の再発でした。 助かる見込みのない膵臓癌でした。見つかってから二ヶ月でした。 最期の数日は血をげぼげぼ吐き続けて、真っ白になってガタガタ震えながら モルヒネで意識を混濁させながらの尊厳死でした。 修羅場体験談のまとめブログを読んでいて、 軽い気持ちで二股三股をした人たちに天誅が下ることを 悪いやつには天罰があるんだと、羨ましいと思って夢中になっていました。 にっくき相手をざまぁと思えて、自分の力にできた人が羨ましい。 自分は結局泣き寝入りしかできませんでした。 そしてもっとも失いたくないものを亡くして、 あの頃、傷つき泣き崩れていながらも、まだ立ち直る道があったかもしれないのに 立ち直るのが間に合わなかったこと、悔やんでも悔やみきれません。 ごめんなさい、別スレ向けの話でもう支離滅裂なんですが上手くまとめ切れなくて。 次で最後にしてまとめます、ここまで読んで下さってた方、本当にありがとう…。
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598 :560[sage]:2011/07/09(土) 01:08:54.94 ID:Pq88u2Eo0 - 他の人の体験談をたくさん読んで、私と同じような目に遭っていても、
それを力にできた人も多くいるんだなぁと、思わされました。 自分の修羅場の顛末は何の救いもなく、 もし他人事だったとしても、読んで苛立つだけの話でしかありません。 母のことは、書き込みの最後に明かそうかどうか考えていませんでしたが、 数ある「修羅場話」の一つとして、私のように、死んでも消えなさそうな 後味の悪いだけの話もあったと、うっすらと考えてもらえれば幸いです。 昨今の世の中、「自然消滅」なんて言葉もよくあるように 交際なんて何度あっても別段おかしくないかもしれません。 ですが、稀に自分みたいに生まれてくる時代を間違ったような不器用なタイプもいるかもしれません、 私よりよほど器用に生きられる人が多いとは思いますが どうかこんな結末だけはないように、ぼんやりと、祈っています。 最後には、少しでも読んで下さった方のために、前向きな発言もしたいのですが 今はまだ、死別の辛さから抜け出せていないもので、正直、これ以上建前すら考え付きません。 かっこつけて〆たいんですけどね、なんだかもう指先に力入りません。 また後日見直したら何てこと暴露してるんだろうと思ってしまうのかも。 後味悪いでしょうから後ろめたい気持ちで書き始めましたけど 善意的に見て下さった方が多いようで、救われました。 本当に、ありがとうございます。 最後の最後に笑えないジョークを一つだけ言わせてもらえるのでしたら、 遺書を書くことがあれば、A男とB子に対する恨み言を書きます、以上ご精読ありがとうございました。
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- ◇修羅場◇part110
636 :560[sage]:2011/07/09(土) 18:47:42.34 ID:Pq88u2Eo0 - 目を通して下さった皆さん、夕べはありがとうございました。
スレの趣旨に外れますが、少々補足を。 語らせて貰おうと思ったきっかけは、実を言うと現状父親との関係が冷め切っており、 お互い無干渉ならまだ良いのですが、毎日怒鳴り言い争う状態で この負担を全て母に押し付けて来てあんな死なせ方をさせてしまったのかという罪悪感で 後悔と自己嫌悪しかない気持ちが爆発寸前でした。 母のことを少し語らせてもらうとすれば、死後誰もが「あんな良い人が…」と言うような人で、 人のことを「あの人ちょっと苦手」と言っても悪口は決して言えない人でした。 粗暴な父のことも、私が幼い頃から「もうちょっと丸くなって欲しいねぇ」と言うばかりで批難を聞かされることはありませんでした。 そんな母にずっと庇い守られ、憧れていて、昔のことを恨むことではなく、皆さんの仰る通り 乗り越え立ち直ることを仕返しにできれば、と思うことができていたものです。 ですが母を失い、心に余裕がなくなっていくにつれて人を恨み妬む気持ちが強くなっていき 「あいつらにさえ出会わなければ」「今ものうのうと私のことなんて気にせず生きてるのか」という気持ちが募り 溜め込んだ感情の赴くままに長い文章を書いていました。 今でも人からの依頼を断りづらい性格は続いていますが少しはマシになったと思います。 ですが共依存症が以前にも増して強くなってしまったので、人付き合いを避けています。 心療内科は母が存命中は付き添われて通っていましたが よくあるパターンで「もうそろそろ大丈夫」と勝手な自己判断で途中で薬を呑むのをおろそかにしてしまい 治ったのか治ってないのかよく分からない状態に落ち着いてしまいました。
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637 :560[sage]:2011/07/09(土) 18:49:30.55 ID:Pq88u2Eo0 - 母がこの家に帰って来れなくなってはや10ヶ月以上が経ちました。
たまに人気のないときに一人で墓参りに行って、墓前で「もう一度会えるものなら」と無茶なことを呟いています。 母は生前「千の風になって」の歌が好きだったので、頭の中で流れると泣かないでいられることはありません。 >>602で紹介頂いた堀内孝雄の曲は初耳でしたが、何年も前、私も母も「はぐれ刑事純情派」を見て 一緒に堀内孝雄の主題歌集CD集を買いに行った思い出が蘇りました。 良い思い出もですね、数え切れないくらいあるはずなんですけどね。 これだけは理屈だけで乗り越えられることではないですね、余りにも後悔が大きすぎて。 私が遠出を嫌ったので、母との「母さんが定年退職したらどこか二人で温泉旅行でも行こな」という約束も果たせずじまいです。 いずれ、もしも気持ちの整理をつけることができれば、どこか自然の綺麗な名所に旅をしてみたいところです。 (今の不安定な心境では、不謹慎ですが、旅行すると寂しさにとらわれて妙な気分に駆られてしまいそうで…) 「尊厳死」の表現についてですが、筋弛緩剤などで直接の死因を作る処置する「安楽死」が日本ではまだ認められておらず、 輸血などの生命維持を停止し、患者の自然死を幇助することを「尊厳死」と解釈しておりました。 自分でも人に説明できるほど詳しい医学知識があるわけでもないので、混乱させてしまいすみません。 モルヒネは苦痛緩和のために点滴された麻酔のようなもので、実際の死因は吐血(胃癌)が止まらず血圧低下での心不全だと思います。 (モルヒネは麻薬と解説付けられていますが医療においての使用は禁止されているものではないようです) >>633の方の仰ることが気になるのですが、まさにその通り。Kから始まる会社のゲームです。 ゲーム友達にも寮の同輩にも殆ど何も言わずいきなり引っ越したので、どう思われたか後ろめたく思っていました。 もし知人の方でしたら、人に顔向けできる自信をなくして携帯なども全部破棄してしまい、振り回してしまってごめんなさい。 上手く伝えたいことを考えることができないのですが、願わくば救済が訪れますように、 立ち直れて良かったと思える日がありますように。 嫌なことは嫌って言えることの重要さをお忘れなく。頑張りましょう。では、失礼しました。
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