- 【第三の眼】松果体を鍛えてみる 10【チャクラ】
457 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2024/03/25(月) 07:28:52.90 ID:tEM3eSyo - 無の瞑想と空の瞑想の大きな違いは、無の瞑想は認知場を固定して
その領域を空っぽにする瞑想だから、日常の意識の流れから 離れて特定のモノに集中する必要がある。 「空」の瞑想は認知場の切り替えから始まるから、日常意識の流れ のどこからでも行うことが出来る。 日常意識の様々な場面で認知の転換を行うと自我を中心に俯瞰の円が 出来る、これに具象、抽象、波動性の次元上昇のラインを 加えると螺旋になる。 この仕組みが空の瞑想で、特別な考え方というより意識の持つ 運動性のようなもので、縄文時代の日本人は生理的に標準装備して いたのではないかな、それが古神道からの惟神として残っている のでは。 一方、インドの方では仏教として釈迦が啓蒙したが、受け入れる 生理的器が無くて観念的に継承されてしまった、そう思う。 色々機が熟してその流れが復活するとしたら今の日本から かも知れない。
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