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名無しさん@お腹いっぱい。
【第三の眼】松果体を鍛えてみる 9【チャクラ】

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【第三の眼】松果体を鍛えてみる 9【チャクラ】
746 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2023/04/18(火) 10:39:14.61 ID:U56C5bhE
道を求める、というと、情報収集したり思考したりの欲求行動形態の
ストイックな傾向に付けられた名称と思われがちだが
実は他の行為にはない生理的変化がある。
それは脳波パターンの変化、θ波が出やすくなる、別の言い方をすると
日常的に変性意識に入り易くなる。
入り易くなる、というより何らかの行為を通じてθ波が出てアハ体験をしたときの
変性意識の感覚を体が覚えて、色んな脳波パターンを経由して
θ波に入る工夫をするようになったのが求道という行為。
普通はβ波、α波、時々ミッドα、の脳波のリズムにθ波が介入してさらには
θ波を中心に脳波パターンが構成される、θ波は無意識領域の事。
この体験の繰り返しを経てそれを拡大したいと思う意欲が超越欲求。
観念的欲求ではなく別次元の生理的欲求、

こう書くといわゆる薬物体験や他のハイ体験と混同されがちだが明確な違いがある
どちらも意識と無意識と潜在意識がつながる体験であることは同じだが
ハイや薬物体験は自我の主体が意識側にある、意識側で潜在意識や無意識を
体験している。
そして見性と言われる禅の境地やアハ体験は無意識側に自我の主体が移っている。
この違いは自我が調整されて意識〜無意識を移動しやすくなっているか否か。
この辺が薬物体験と悟り体験の違い。

さらに大事なことは、薬物や深い瞑想で意識〜無意識をつなげなくとも
自我を調整することにより比較的容易に、日常の中で意識と無意識の移動を
体験することができる、これがアハであり日常の中での悟り体験。

道とつく身体技法の多くが型や心構えなどを重視しているのはこのため。
自我を調整して身体技法を通じ意識を集中することで、そんなに深く入らなくても
意識と無意識をつなげて無意識領域に自我を置くことが出来る。
意識領域では対立するパーツを使ってパフォしている、例えると〇と△を使って
組み合わせの工夫をする、しかし無意識領域に入るとこれを一つ上の次元で
円錐として理解することが出来る、そしてこの理解を〇と△の組み合わせのパフォに
反映させることが出来る、これがいわゆる達人の「質の違う」パフォになる。
ただ超越欲求というのは別次元の生理的欲求だからなるべくジャンルや
観念に縛られないところで伸ばした方が良い。
【第三の眼】松果体を鍛えてみる 9【チャクラ】
747 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2023/04/18(火) 11:14:06.94 ID:U56C5bhE
現実での一番のモデルはやはりオオタニサン。
純粋な超越欲求で野球道を目指している、たぶん野球をやる中でアハ体験をして
それを再現する場を求めている。
別次元の生理的欲求だから他の観念的な欲求は横並びに相対化している。
投打二刀流というのが〇と△で、他から見ると大変そうだが
本人は身体的にも理論的にも円錐レベルで感得して投打のパフォに反映させている。
投打の相乗効果、と言った人がいたがそこまでに昇華出来る人間は少ないだろう。
衆目の集まる場所であれほど見事な次世代型のロールモデルを示せる人間は少ない。
救世主のひとりだと思う。
【第三の眼】松果体を鍛えてみる 9【チャクラ】
750 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2023/04/18(火) 15:48:23.24 ID:U56C5bhE
超越欲求というのは思わなくても存在する我を希求する生理的欲求。
生理的欲求だからね、感覚と意識が変容して無意識下の
観念では捉えられない自己に移行する。
そこでも我があるじゃないか、要するに自己の継続性の話をしている
と思うのは間違い。
超越的欲求を生理的欲求と捉えてそれに繋がる生理的感性の変容の話をしているから
哲学は関係ない、哲学の通用しない世界の話をしている。


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