- 仙道総合21
60 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2022/08/24(水) 10:59:07.65 ID:vHX47948 - うーん、本当に道を求めて実践もやっているようなので老婆心で。
現実社会では、自分にとって良いモノを求めるよね、そして悪いモノを捨てる。 良い悪い、というのは有用無用ということでもある。 現実世界ではそういう方法論が当たり前なんだがそれを瞑想に持ち込んではいけない。 その方向に行くとアストラルに嵌る、アストラルで出来ることは肉体を失えば だれでも出来ることでそれを肉体を持ったままでやっているに過ぎない。 それを超える方向性は、肉体を持たないとできないのだがそれに気づく人は 少ない。 肉体感覚を離れる、という表現は二元論的な優劣の選別になる。 肉体より精神の方が優れているという感性が暗黙裡にあるからそういう表現になる。 別の方向性というのは、分別せずに包括していくんだよ、肉体の感覚を無意識で 包み込んでいく、すると、離れる、という表現は出てこない。 無意識が肉体を完全に制御すると、座っているときは重力線に同調。 姿勢を維持しながらリラックス(弛緩緊張)するからいつまでも座れる。 その間に座るための筋力が出来る、その感覚がまた意識を誘導する。 だから、瞑想する前に「世界がどうなっているのか」というパラダイムが 大切なんだね、普通の感覚でそのまま入ると大抵アストラルの方へ行く。 そして気を取ったとか取られたとか、汚れているとか清浄とか 二元対立の中でドラマを展開していく、自覚して選択しているのなら構わないが。
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