- 【new!】松果体にアプローチするスレ
63 :名無しneo ◆48pOUB1Pes []:2020/06/01(月) 08:18:58.13 ID:imVKQAcP - 大乗仏教の経典で一般にも広く読まれるお経に般若心経と観音経がある。
この2つの経典を合わせると仏教の本質が判り易いので 読経や仏教とは何かの勉強会では良く使われる。 内容を言い換えると、般若心経では「世界はパラダイムとして存在する=空」 を説いて、観音経で「主観的中庸性を軸にしたスキーマの展開」を示している。 般若心経を説いているのは観自在菩薩、自在に観る菩薩というのは意味深で 世界は「在る」のではなく「観る」モノだと前フリしている印象を受ける。 般若心経に説かれている「空」は相依性のこと。 存在は単体ではなく関係性で成り立っているということ。 この「相依性」を軸にして、個がそれぞれに存在するという 我々が無自覚に乗っかっている「還元主義的世界観」から 個と全体が不即不離の関係にある「統合的世界観」への転換を促している。 仏教には相依性=空、に2つの観点があって、1つは現象の相依性。 これは十二縁起で展開されているように、現象は単体では成立せず すべてが連なっていてその存在の本質は関係性=空である。 もう1つは観る側と観られる側の視点、世界の存在原理を意識の作用として みたとき、世界は観る側と観られる側の関係性で成り立っている=空。 前者は「中観論の空」後者は「唯識の空」として発展している。 般若心経ではこの両者の空がシンプルな形で提示されている。 そして世界は関係性で成り立っている(統合的に存在する)から 部分が無ければ全体も無い、部分=全体=部分で「空」であると言っている。 注目すべきは色(有)対語として無を使わずに空を持って来ている所。 この「空」は無ではなくて、「関係性で成立する全体」を指している。 だから色即是空とは決してすべてが無だといっているのではなく 色=感覚によって分断されている個は、本当は関係性で成立する全体である 即ち、個=全と説いている。 般若心経では、だからどうせよ、とは説いていない、なので読み間違えると 「虚無の教え」になってしまう。 実際には個の感覚、執着を離れて全体へ向かう世界観を示している。 そしてこの世界観を深く理解すると脳のスィッチが生理的に切り替わって 松果体が開く準備が整うようになっている。 チャクラでいえばヴィッシュダーを気が抜けていく段階。 般若心経の世界観を踏まえてではどう進むのか 教えとして示しているのが観音経。
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