- ☆ファーストコンタクト実現条件5☆テレパス養成室
723 :コテ無し[sage]:2019/09/29(日) 23:37:02.01 ID:hJhsAMay - 人間の思考パターンは何千年も昔の聖書の時代から変わっていないと思う。
経験や知識や常識にとらわれる反面、迷信を信じてしまう 聖書で言わんとしていることは奇跡で信仰を証明しようとした常識との対立だと思う。 神を笑ったアブラハムの妻が90歳でイサクを孕る話やマリアの処女懐胎、 イエスの水上(湖上)歩行、病人を救ったり、死者の蘇生、自身の復活、千年王国、 山を動かす信仰の話やヨブ記の三人の友達の話もある。 仏教に正見というものがあるけど、自分の中ではこれが情報収集や検証、 議論に相当するような感じに思ってる。 信仰と正見て一見矛盾しそうで、聖書に書かれていることは嘘ではと疑われそうだけど、 現代でもファティマやルルドでの病人が癒される話や、ファティマの太陽乱舞、 ガラバンダルの少女達の脱魂状態をみるに、証明なんて人間が勝手に決めた狭い知識や価値観にも思えてくる。 信仰は見ようによっては疑念を挟まない集中力や信念、奇跡を認める正見にも思えてくる。 そう考えると根拠のある事例などが>無いものを探しても何にもたどり着けない とは思えず 逆にもるは何に辿り着けたのか知りたい。
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