- 瞑想のやり方を教えてください パート2
273 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/02/05(水) 13:24:36.68 ID:fKqQL5p8 - たとえば不安について
自分の中につぎつぎとわき起こる不安 それは何かに対する不安という形をとっている。 たとえば自分の健康、自分の将来、自分の仕事など それら心配の対象が自分の不安の原因だと思い込んでいる。 それらをなんとかしようとあがいている。 でもそれらのほとんどは、どうにもならないことが多い それ故に心配が止まらず。苦しみはつづく 自分にできることは酒などで気を紛らわすことくらいしかできない でも気は紛れはしない でも不安という物の対象については、なんとかならいことは確実だと思う しかし不安そのものは、自分の心が作り出す物とわかれば、どうにかなるのではないか?と ただそのことに気がついても、その不安を無理矢理押さえつけて抑圧する、または不安だからそれを見ないことにして現実逃避する ことを良くしてしまう。 それをしても無理、またその物がしつこく自分を追いかけ、寝ても覚めても絶対に逃がしてはくれない ではどうすれば良いか?
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274 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/02/05(水) 13:57:11.51 ID:fKqQL5p8 - 白隠和讃
衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし 衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり 長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず 六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり 闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき 夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり 布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等 そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり 一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ 悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時 讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし 況や自ら回向して 直に自性を証すれば 自性即ち無性にて 既に戯論を離れたり 因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し 無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず 無念の念を念として うたうも舞うも法の声 三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん この時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに 当所即ち蓮華国 この身即ち仏なり
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275 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/02/05(水) 15:59:26.00 ID:fKqQL5p8 - この様な研究がある
手を動かすとき 手を動かそうと意識して、動いたとなる と言う事はだれでも認識できると思う さてこの動かそうと意図したとき、その準備が意図する前に脳内で始まっているらしい この準備を本人は知ることができない 準備ができあがったとき、動かそうと言う心が生まれるらしい この準備から、心が生まれるまで数分という時間がたつこともある もう一つ 手に指令が行って実際に動くのと、動いたと感じるのは 常識とは異なり動いたと先に感じて(手が先に動いて) それに遅れて動いたという指令がやってくるらしい これが正しいとなると、脳を観察できれば、本人より先にその行動を 予言できる様になると言うことになる。 我々の行動には、実は自由意思は存在しないのでは無いかと言うこと どうも、身体が先で心はそれに引っ張られているだけでは無いか
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276 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/02/05(水) 16:01:31.82 ID:fKqQL5p8 - もしこれが正しいなら
我という物は、どうなるのか?自由なる意思という物は無くなるのではないか? 私という心は、あたかも蜃気楼の様な幻影ではないのか?
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