- 禁欲能力開発
203 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/02/03(月) 15:40:55.58 ID:XrTW9NHn - わたしは人々に向かってわたしの家風を説く。
これまで述べたところは他でもない私見であるが、 これからは殊更に仏家の仕来たりのままに上堂して説法し入室を許し、 槌を手にして払子を掲げ、東西に棒喝し、眉を張り目を怒らして、癇癪の発作のように身を突っ張るようなこともしない。 また皆さんを無理にやりこめることもしない、なぜならそれらはまた昔の聖人に背くものだろう。 皆さん考えてみなさい。 達磨大師は西来して、少室山の下に到り、面壁九年した。 二祖は雪中に立ち尽くして肘から下を断つに到った。 これらは艱難辛苦というべきである。 しかしながら達磨大師は一言も説法しなかった。二祖もまた一言も問うことはなかった。 これによって達磨を人の為に何もしない人と呼べるのだろうか。 また二祖を師を求めぬ人と呼べるのだろうか。 わたしは昔の聖人の行動を語るたびに身の置きどころがないように思う。 また百珍の料理を供養され、衣服も食事も寝る場所も不自由することなく、 その上で、己は発心修行しようなどと言う。 ただ恐れることは、そのようであっては手足も仏子のものとならぬうちに、遥かに仏道から外れ別世界に迷いこむばかりだろう。 時は光のように矢のように速やかに過ぎ去るのだ。深く時を惜しむべきである。 しかもこのようであるが、仏道修行者はお互いに助け合うことが大切である。 とはいえ、あなた方に無理やりさせようとしても無理であることだろう。 あなた方は昔の人が残した次の言葉を知っているだろうか。 『山の田の玄米の飯、薄黄色の野菜の漬け物。 この食事を食べるのは君次第、嫌なら他にあげよう』 さて、皆さん各自努力しましょう (正法眼蔵より抜粋)
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