- 阿部将英=あべ頌詠
86 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/11/28(水) 14:36:38.84 ID:76H2Uo0f - >>84-85
真っ赤なウソだね。 シルディババは覚醒者ではない。 彼は優れたシッディではあっても覚醒者ではない。 そしてダッタトレーヤの化身、シヴァの化身などというのはまさにマーヤーそのもの。 さて、本当のヒマラヤ聖者ならばマントラ等というものは単なる方便に過ぎないと教えるだろう。 これこそが正しいメソッドだ、などといものはない。 メソッドとはつまりすべて方便に過ぎないからだ。 瞑想も含めたメソッド、そのようなものが人を覚醒させるのではない。 まったく同様に彼がカレスワール・スワミからもらったアイテム(ステッキ等)も方便に過ぎないのであり、 ましてカレスワールは堕ちてしまったグルなのだ。彼は今年の3月に腎臓病で亡くなった。 ところがカレスワールの信者たちは、スワミは深い瞑想状態に入り、それからマハーサマーディへと至った、 とウソを言いふらしている。 ことほど左様に、インド聖者を自称する「有名人」のほとんどはインチキペテンばかりなのだ。 本物は決してオモテに出てくることはないし、アシュラム等をつくり高額な費用を請求して 欧米人や日本人にツアーを組ませてアシュラムに滞在させ、さらに費用を徴収して秘伝等を伝授するようなこともない。 しかしそのような作り話に耽溺し現実逃避したい人は「インド聖者ブランド」に身を包み、 自らの本性を覆い隠した(つもりになっている)大先生やグルごっこを続ける裸の王様につき従えばよろしい。 ただし、そのことに対する結果は自身で負わねばならないが。
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- 阿部将英=あべ頌詠
91 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/11/28(水) 17:49:00.15 ID:76H2Uo0f - 「私を消す」ために瞑想してもそれは時間の無駄だよ。
卵の殻が卵の殻それ自身を割ることができるだろうか。 君はあれこれ屁理屈をつけては自己を正当化しようとしているが、 瞑想に対する執着を棄てられずにいるだけなんだよ。 まだ生徒のレベルでしかない人間がグルのように振る舞い、 大勢の人たちをミスリードし続けている。 それは自分をグルだと勘違いしているそのニセのグルも、 彼に就き従う生徒たちにとっても、この上なく不幸なことだ。
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- 阿部将英=あべ頌詠
92 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/11/28(水) 17:51:48.47 ID:76H2Uo0f - >>90
本当に瞑想ができているのなら人格にも質的変化が生じるんだよ。 勘違いしているようだが、彼の教えているのは瞑想ですらない。 プジャゃホーマをやり、マントラを伝授することは瞑想ではない。 そしてそのマントラを唱えることも瞑想ではない。 本当の瞑想はそのマントラを捨て去った時から始まる。
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- 阿部将英=あべ頌詠
93 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/11/28(水) 18:07:52.49 ID:76H2Uo0f - TMにしろ、フルフィルメント瞑想にしろ、他の瞑想法にしろ、
それがマントラ瞑想である限りは、単なる自己催眠状態と同様なのであり、 彼らはそれを空だと勘違いしているようだがまったく違う。 なるほど自己催眠であってもシンクロが起きたりいろんなことが起きる。 しかしそんなものは瞑想とは何の関係もない。 そもそもマントラとは自分で勝手に拵えていいようなものではない。 グルの資格も資質もない人間が勝手にマントラをつくってそれを伝授している、 その危うさがどうしてわからないのかな。
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- 阿部将英=あべ頌詠
94 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/11/28(水) 20:00:53.84 ID:76H2Uo0f - ついでだからウパニシャッドについて説明しておこう。
この言葉が、師とともに座る、師の近くに座す、という意味であるのはその通りだが、 これは瞑想教師といっしょに瞑想らしきことのまねごとをする瞑想ごっこのことではない。 少し長くなるが解説しておこう。 人間の霊性修行については次の3段階に分類される。 @ウパニシャッドの段階 Aヨーガの段階 Bタントラの段階 修行者の心の状態に応じて、B→A→@ と進んでいく。 タントラとは要するに密教のこと、ヨーガとは顕教のこと。 誤解されがちだが、実は顕教のほうが密教よりも奥が深い。 密教つまりタントラとは方便の方便であり、それはある種の危険性を孕んでいる。 ウパニシャッドは密教も顕教も超えている。
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- 阿部将英=あべ頌詠
95 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/11/28(水) 20:02:42.40 ID:76H2Uo0f - 瞑想とは顕教、つまりヨーガの段階に位置する。
この段階では原則としてもはやマントラを使うことはない。 マントラを使うのは密教、つまりタントラのレベル。 とりわけ、○○女神のマントラ、△△△神のマントラ、等、 ヒンドゥー教の個々の神々に応じたマントラやヤントラ等を使う低いレベルの方便は この段階の典型と言えるだろう。例えば、マハムリティユンジャヤマントラを続けていれば、 病気が改善し健康が得られる、というような世俗的な欲求と深く結びついている。 顕教とは、そういう方便を捨て去っていく、放棄の段階になる。 ウパニシャッドでは、タントラという方便の方便も、瞑想という方便も捨て去る。 あるゆるメソッドはこの段階では何の役にも立たない。むしろ足を引っ張ることになる。 この段階になって、初めて師とともに座る、師の近くに座す、こどか可能になる。 アドヴァイタの教師はこの段階を担っている。 従って、マントラ瞑想という瞑想とは名ばかりのタントラを教えている教師とともに マントラ瞑想を実習することはウパニシャッドとは言わない。それは単なる瞑想同好会。 そしてタントラの教師は容易に転落してしまう。それがタントラの段階の危険性と言える。 なぜならタントラはマーヤー(マザー)の力を援用するものだからだ。 マーヤーを自在に操れる教師はほとんどいないと言っていい。 ほとんどの教師は最初はうまくいってもすぐに足もとを掬われ転落していく。 腎臓病でなくなった自称スワミしかり。 この段階はよほど恵まれた環境にでもいない限り避けて通るのが無難だろう。 特に都市生活を送る現代の日本人においては。
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