- 麻原彰晃
305 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/12/27(火) 07:37:41.12 ID:DzW8wM9Y - 西暦2012年夏-
ボクが北海道の、のつけ半島を北上し、知床半島の東側から知床半島を北上して クルマで1人旅 をして 猛獣のヒグマが、かっ歩する 知床の道路を、からくも 旅して 東京に帰京した あと、 あることが 起こり始めていた。 1つには天皇制の廃棄を、もくろむ勢力の朝敵 もうひとつは軍隊を ようした政府軍の勢力だった。 その戦い、 つまり日本の内戦が西暦2012年の夏に 日本の川中島という、ところで 起こった。 陛下には退位してもらわないと- という主張を繰り返す 雑多な勢力、 つまり 民衆を集めた 統率力のない 雑多なよせあつめの軍隊という朝敵とされた勢力-家族は暗く、泣いていた と 山本勘助の政府軍、戦略家だった 内戦のはじまりから終わりまで 見こし 戦略をたてる政府という軍隊 との 戦いが 日本の川中島という ところで 朝に始まった とき ボクは 東京の郊外のバスの中にいた。 ボクが友人と2人で、バスの中の前のほうで立っていると 中の乗客、ボランティアで ヒマラヤ山麓から 農業の手伝いを川中島近辺の山ろく地帯に 来たのだが バスの中で いっせいに立ち上がり 乗合いバスの席を、ゆずってくれた。 ヒマラヤでも、世界でも平和と安定を、のぞんだ王政のようなものを 人々は思いはじめているのが 世界の風潮なのに 日本の朝敵の勢力は雑多な民衆の気分で 1時は、勝てると思っていたのだ。
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- 麻原彰晃
306 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/12/27(火) 07:58:50.92 ID:DzW8wM9Y - 西暦2012年夏-
ボクが北海道の、のつけ半島を北上し、知床半島の東側から知床半島を北上して クルマで1人旅 をして 猛獣のヒグマが、かっ歩する 知床の道路を、からくも 旅して 東京に帰京した あと、 あることが 起こり始めていた。 1つには天皇制の廃棄を、もくろむ勢力の朝敵 もうひとつは軍隊を ようした政府軍の勢力だった。 その戦い、 つまり日本の内戦が西暦2012年の夏に 日本の川中島という、ところで 起こった。 陛下には退位してもらわないと- という主張を繰り返す 雑多な勢力、 つまり 民衆を集めた 統率力のない 雑多なよせあつめの軍隊という朝敵とされた勢力-過去にコミュニスト運動に若く 身を、大学時代にはじまり、身を投じた者がどうなったか? 反乱者を出した家族は暗く、その家族から出た反乱者を思い、 仏教の寺にある古いわずかに横長の長方形の掛け軸を見るがごとく、泣いていた。 と 山本勘助の政府軍、戦略家だった 内戦のはじまりから終わりまで 見こし 戦略をたてる政府という軍隊 との 戦いが 日本の川中島という ところで 朝に始まった とき ボクは 東京の郊外のバスの中にいた。 ボクが友人と2人で、バスの中の前のほうで立っていると 中の乗客、ボランティアで ヒマラヤ山麓から 農業の手伝いを川中島近辺の山ろく地帯に 来たのだが バスの中で いっせいに立ち上がり 乗合いバスの席を、ゆずってくれた。 ヒマラヤでも、世界でも平和と安定を、のぞんだ王政のようなものを 人々は思いはじめているのが 世界の風潮なのに 日本の朝敵の勢力は雑多な民衆の気分で 1時は、勝てると思っていたのだ。
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- 麻原彰晃
307 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/12/27(火) 22:37:18.77 ID:DzW8wM9Y - このパンは私の体 この、ぶどう酒は私の血
人の子の肉を食べ血を飲む者は永遠に生きる ある日 アサハラショウコ-はわずかに 踏み台くらいの高さの壇上に立って それから 突然 自分で 自分の首を手で押さえはじめ苦しみ出した。 見ていた見物人の1人の若い男の1人(ひとり)が そのアサハラショウコゥに近づき どうしたんですか? と 彼に近づいた。 すると アサハラショウコゥは その近づいてきた若い男を 捕まえて その場で すばやく 彼を胃袋におさめた つまり 食べてしまった。 それを見ていた弟子達は股間が熱くなってくるのを感じた そうして 彼は 言った。 よいか、これが性欲というものじゃ。 肉を売る者が肉を食べず、 クルマを作る者、クルマを売る者がクルマを運転せず、 酒を売る者が酒を飲まず その商品を売る者が その商品を自分では使わない つまりサドマゾじゃ。
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