- 必然とは超能力のことである。
77 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/25(日) 13:35:38.42 ID:084gVrtc - >>76
科学技術とは、誰が行っても同じことが再現できること。 科学では計れないものもあり偶然も説明がつかない事のあり様にすぎない。 つまり主観的な機能(相性)が偶然重なり熱力学のように作用した場合は 熱としては論することはできても1つ1つの電子の動きとしては個々を 証明できない、全体として統計的な意味を成すものと個々の偶然 には直接的な理屈で動いているわけではない。 それは経済現象や、世界の秩序のような類で人1人単位を根拠や原理として 関連付けても立証できるものではない。非線形的な関係で生まれる秩序である。 人類は科学にとらわれている限り複雑系を扱うのは無理である。もう1歩足りない。 なぜなら数学のような証明には定義から論理を経て証明を生じるという省略できない ものがある。定義が確定できてこそ結果が確定するわけで君がいう論理が確立できる。 この定義が不確定なのに結果が確定するとか論理に反している、つまり証明できる 類にもなっていない。複雑系で扱う非線形領域とはそういう証明できない類を扱えるのである。 偶然を積み重ね必然を得る、これが神の仕組み、計れない何かを積み重ねれば それは再現することは不可能である、ゆえに科学技術で必須な客観的な要素がない故に 科学ではない。超科学とは科学に非ず、科学を超えた術である。 予言などであなたが行う今日の歩いた歩数を当てますか?いえ占いやらオカルトの 類で行う類はそんな絶対的なことはいいません。 ミクロで低次元で明晰で絶対的ではなく、マクロで高次元で抽象的な予言に すぎないのです。それはマクロ的である故に後の世で表現される様相にすぎず 1万年後の地球は隕石などが落ちてこないので人類は滅びていないと表現するの と何の違いもない精度(抽象的意味)なのです。 ミクロの変化がどんなに違っても全体の極わずかな量(要因)ならば、 全体の変化を変革することはないのです。これが必然です、確定ではないのです。
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