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かる ◆N4OUHymbXQ
【未来】 四 季 【預言】

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【未来】 四 季 【預言】
162 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/10/17(月) 09:33:54.80 ID:xmijduh5
おはようです。

暦で今日は伊勢神宮では「神嘗祭」、そしてこの時期、各地で「秋季例祭」が行われることと思います。

神嘗祭。
「しんじょうさい」「かんにえのまつり」ともいう。
毎年10月15〜17日に行われる、伊勢神宮の年中行事きっての大祭。天照大御神が天上の高天原において、新嘗を食したとの神話に由来し、
その年に収穫した新穀を由貴(清浄な、穢のないという意)の大御饌として、大御神に奉る祭りである。
鎮座以来の由緒をもち、八握穂にまつわる真名鶴伝説、五十鈴川のほとり家田の御常供田などの伝承に彩られている。
『大宝令』には国家の常典としてみえ、『延喜式』にも践祚大嘗祭に次ぐ中祀と定められた国家的な重儀である。
祭儀の次第は、豊受大神宮(外宮)では10月15日宵と16日暁に由貴大御饌が供進され、16日正午に勅使が参向して幣帛を奉納し、
その夕には御神楽が奏せられる。皇大神宮(内宮)では1日遅れて、それぞれの儀が執り行われる。
幣帛奉納の儀は元正天皇(在位715〜724)代にさかのぼり、後土御門天皇(在位1464〜1500)のときに中絶したが、
後光明天皇(在位1643〜54)によって再興された。また孝明天皇の1864年(元治1)には、荷前調絹や幣馬が奉納される運びとなった。
この神嘗祭の当日、皇室においては天皇の神宮御遙拝があり、賢所で親祭が行われる。
第二次世界大戦前には国の大祭日とされていた(日本大百科全書参照)。
※行事行程等は、各関連サイトで各自ご確認ください。
【未来】 四 季 【預言】
163 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/10/17(月) 09:37:37.69 ID:xmijduh5
そして、今日は仏の教えによる財についても少し記載します。

七聖財。
仏道を修行することにあたり、必要とされるものを財に例えて七つあげたものの総称です。
その七つとは、「信財、戒財、慚財、愧財、聞財、捨財、慧財」であり、七聖財とされています。
信財とは、「仏法の大海は信をもって能入となす」と説かれており、信がなければ一歩も進むことができないことを示しています。
戒財とは、「戒は汝の師なり」、悪を行うことを止め善を行うという信に基づいた生活を送る為に不可欠な要素であるという、
自己を律するということです。
慚財とは、「恥を知る」ということで、不徳な行為をしても自ら発露することなく遇す愚かな行いは、
自らが犯した罪を告白し認要を乞うことが大切であるということです。
愧財とは、精魂こめてひたすら精進努力することです。
聞財とは、「聞思修の三慧」、仏の説かれた教えや各宗の祖師の示された法語を聞き、個人個人其々了解なされてから、
その後体得して人として在るべき道を進みましょうということです。
捨財とは、「己を忘れ他を利するは慈悲の極みなり」、所謂、人に施すことであり、そしてそのことに執着しない心を持つことです。
慧財とは、定慧財とも申されており、これは禅定と智慧の伴称であり、
「定」は心を集中させ散乱させぬことであり、「慧」は真理を認識することです。
そしてこの七聖財とは、精神世界の中での大切な財です。
【未来】 四 季 【預言】
164 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/10/17(月) 09:45:20.46 ID:xmijduh5
「群首、象を撫でる」
これは諺の一つとして知られている釈迦の話された説話の一部なのですが、
象を見たこともなく全く知らない人々に、目を閉じて象を撫でさせ、
「象というものは如何なるものですか」と尋ねるというお話なのですが、
触った人其々に尻尾に触れた人は「箒のようです」と、耳に触れた人は「大きな団扇のようです」、
鼻に触れた人は「何か太いホースのようです」と。
皆、人其々「象とはこのようなものだ」と話します、是は間違えではないのです。
しかし、自らが触れ自らがこうだというのは確かに間違えではないのですが、
それは真理の一部分でしかあらず、修行する中で「真理とはこれだ」と考えることを
釈迦は「それはすでに執着であり、正しくものを見てはいないのです、物事には必ず原因があり、
結果があるのです。」とおっしゃられたという古くから伝わるお話です。

八成道の一つ「正見」があります。そして「正見」の対語は「邪見」です。
「物事には原因も結果もない 全ては偶然である」といった偏った考えが所謂この「邪見」とされています。
この考えは、偶然であるとするなら、そこから進歩すること、発展することは望めず、
偶然だということになれば、失敗は繰り返され何らそこから抜け出せないと、
このお話を通し正見の大切さをも説かれている、古くから伝わる釈迦のお話の一つです。

【未来】 四 季 【預言】
165 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/10/17(月) 09:55:17.05 ID:xmijduh5
>>164訂正です。

「八成道」ではなく「八正道」です。


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