- 一二三神示
79 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/10/02(日) 09:39:55.95 ID:d8lq67pL - 黒鉄の巻 第三十五帖 昭和二十五年十月十八日、旧九月八日(1950年)
キが到ればモノが到る。 モノを求める前にキを求めよ。 めあてなしに歩いたとて、くたびれもうけばかり。 人生のめあて、行く先の見当つけずに、その日暮しの、われよしの世となり下がってゐるぞ。 めあては◎の・でないか。 ・に向かないでウロウロ。 草木より、なり下がってゐるでないか。 為すとはイノること。 人の為にイノるは、己の為にイノること。 今の人民、イノり足らん。(旧九月八日)
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- 一二三神示
80 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/10/02(日) 09:40:41.93 ID:d8lq67pL - 黒鉄の巻 第三十六帖
天界に行く門は輝き、幽界に行く門は闇であるぞ。 闇の門はとざされ、光の門は開かれてゐるぞ。 天界は昇り易く、幽界にはおちにくいぞ。 神と金と二つに仕へることは出来ん、そのどちらかに仕へねばならんと、今迄は説かしてゐたのであるが、それは段階の低い信仰であるぞ。 影しか判らんから、時節が来て居らんから、さう説かしてゐたのであるが、この度、時節到来したので、マコトの道理 説いてきかすのぢゃ。 神と金と共に仕へまつるとは、肉と霊と共に栄えて嬉し嬉しとなることぞ。 嬉し嬉しとはそのことであるぞ。 神と金と二つとも得ること嬉しいであろうがな。 その次には霊の霊とも共に仕へまつれよ。 まつれるのであるぞ。 これが、まことの正しき理(ミチ)であるぞ。 今迄の信仰は何処かにさびしき、もの足りなさかあったであらうが。 片親がなかったからぞ。 天に仕へるか、地に仕へるかであったからぞ。 この道はアメツチの道ざと知らしてあらうがな。 清くして富むのがまことぢゃ。 地も富まねばならんのぢゃと申してあらうが。 これから先は金もうけばかりも出来ん。 今迄のやうな神信心ばかりも出来ん。 神の理(ミチ)を進むものは嫌でも金がたまるのぢゃ。 金がたまらねば深く省みよ。 理に外れて御座るぞ。 人は罪の子でない、喜びの子ぞ。(旧九月八日)
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- 一二三神示
81 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/10/02(日) 09:41:13.19 ID:d8lq67pL - 黒鉄の巻 第三十七帖
宇宙は人間の心のままと申してあらうが。 宇宙は未完成のものと申してあらうが。 永遠に未完成であり、弥栄であるぞ。 そこに生命あり、喜びあるのぢゃ。 大神の中で、宇宙はなりなりてゐるのであるから、ナリ、永遠になるのであるぞ。 不変の中に千変万化、自由自在の存在を与へてあるのぢゃ。(旧九月八日) 黒鉄の巻 第三十八帖 人間の死後、自分の命(イノチ)の最も相応(フサワ)しい状態におかれるのであるそ。 悪好きなら悪の、善好きなら善の状態におかれるのであるぞ。 皆々、極楽行きぢゃ。 極楽にもピンからキリまであるぞ。 神の旨に添ふ極楽を天国と云ひ、添はぬ極楽を幽界と申すのぢゃ。 心の世界を整理せよ。 そこには無限のものが、無限にあるのであるぞ。 神の理(ミチ)が判れば、判っただけ自分がわかる。 めでたさの九月八日の九のしぐみ、とけて流れて世界一つぢゃ。 白銀(しろがね)、鉄(くろがね)、これで終り。(旧九月八日)
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