- 【未来】 四 季 【預言】
415 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/08/22(月) 09:53:33.55 ID:PXkKBQKU - おはようです。
月暦で今日は「下弦」です。 95で少し記載したことがあるのですが、東北沖大地震後、 月暦の「上弦」「下弦」の前後において、比較的余震、微地震が起こっているという、 解析データーに基づいた見解等も公表されているようですし、私もそのように感じています。 予報等で全国的に今日は降雨の所も多いようですし、河川の増減などに注意をなさり、 地盤の緩んでいる箇所等にはなるべく立ち入らずに、安全を重視なさり過ごされるのが最も思っています。 気象庁 気象警報・注意報等サイト。 http://www.jma.go.jp/jma/menu/warnmenu.html 気象庁、潮位表。 http://www.data.kishou.go.jp/db/tide/suisan/index.php
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416 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/08/22(月) 10:18:06.48 ID:PXkKBQKU - 暦で今日は「惜別の歌」などでご存じの方もいらっしゃることとも思いますが、
その曲の詩の著者としても知られている、詩人島崎藤村を偲ぶ催し等が行われてる所もあることと思います。 島崎藤村。 詩人、作家。本名春樹。別号古藤庵無声。明治5年2月17日(旧暦)筑摩県(現長野県)の旧中山道馬籠宿(現在は岐阜県中津川市に所在)で本陣、 庄屋、問屋を兼ねた島崎正樹の四男として生まれる。島崎家は正樹で17代目の旧家であったが、藤村の出生時は明治維新に伴う諸改革で没落しつつあり、 1881年(明治14)数え10歳で修学のため上京した彼は以後親戚や知人の家で成長した。 1891年明治学院卒業。在学中に受洗したキリスト教やヨーロッパ文学の影響で文学に志し、巌本善治主宰の『女学雑誌』に寄稿を始め、 かたわら明治女学校の教師となったが、許婚のある教え子への愛に苦しみ、教会を離れて、1893年関西放浪の旅に出た。 従来の問題意識の中心には、個人を圧迫する「家」とその原点としての父の問題があったが、この時期、それは父を座敷牢の中で悶死させた「黒船」、 西洋の衝撃とわが国の近代化の問題に広がり始めていた。郷里で宿場役人の古記録『大黒屋日記』を発見した彼は、そこに息づく街道筋の生活を基盤として、 近代日本の胎動期の苦しみを描いた大作、『夜明け前』(1929〜1935)の連載を開始した。この小説は彼が完成した最後の長編で、 1936年(昭和11)に朝日文化賞を受けた。 1935年、日本ペンクラブが結成され、初代会長に就任した彼は翌年、夫人同伴でアルゼンチンの国際ペンクラブ大会に出席、 帰途アメリカ、フランスに立ち寄った。この旅の感想は『巡礼』(1937)に記されており、内外ともに騒然たる時勢のなかで彼が自覚したのは、 外来文化を同化し続けてきた日本文化の粘着性と、アジアにおけるわが国の「高い運命」であった。 その認識をもとに『東方の門』(1943〜)を『中央公論』に連載し始めたが、その後まもない昭和18年8月22日、 脳溢血のため大磯の別邸で死去、同地の地福寺に葬られた。 1940年芸術院会員。彼の特質は自我を抑圧する「家」への曖昧だが執拗な抵抗にあり、 自己の問題を掘り下げて日本近代化の問題に進み出た点にその文学的道程がある。 作品は多岐にわたり、詩、小説のほか随筆『新片町より』(1909)、童話『幼きものに』(1917)など数多い。(日本大百科全書参照) 「まだ上げ初めし前髪の りんごのもとに見えし時 前に刺したる花櫛の 花ある君と思いけり。」 「親はもとより大切である。しかし自分の道を見出すということは猶大切だ」島崎藤村。
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417 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/08/22(月) 10:23:42.05 ID:PXkKBQKU - 聖観世音菩薩真言。
「オン アロリキャ ソワカ」 月光菩薩真言。 「オン センダラ ハラバヤ ソワカ」 日光菩薩真言。 「オン ロホウニュタ ソワカ」 薬師如来真言。 「オン コロコロ センダリマトウギ ソワカ」 阿弥陀如来真言。 「オン アミリタ テイセイカラ ウン」
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