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かる ◆N4OUHymbXQ
【未来】 四 季 【預言】

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【未来】 四 季 【預言】
237 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/07/15(金) 09:12:10.92 ID:oCCzwGqS
おはようです。

暦で今日は、山形県では「出羽三山祇園祭」が、九州では「小倉祇園太鼓」等が例年行われており、
「盆」「中元」の日でもあります。

盆。
旧暦7月13〜15日を中心とする先祖祭りで、現代では新暦や月遅れにする所が多く、盂蘭盆ともいう。
古代インドの農耕儀礼が中国に入って整備され、さらに日本の貴族社会がそれを受容したが、在来の信仰や習俗との習合・葛藤を繰り返しながら、
現在に至っている。仏家の解説では、釈迦の弟子の目連が、死んだ母が餓鬼道に落ち逆さに吊るされて苦しんでいるのを救おうとして、
釈迦に教えを請い、7月15日に供養して祭った。倒懸の梵語ウランバーナullambanaがとなり、略して盆となったという。
別に、供物をのせる(ほとぎ)という器物の古称をボニとよんだのが、その語源だという説もある。
盆の諸行事の配置構造は整然としており、小正月を中心とする正月行事群の配置と似通っている。
正月は神祭り的であり、盆は仏教的な色彩が強いにかかわらず、ともに満月の夜を中心とした祭りであり、
正月の七草に対して盆には七夕があり、16日の藪入りも双方にある。
臨時の祭壇(年神棚と盆棚)、外竈、火祭り、綱引きなども共通している。その理由については種々の説がある。
一つには、盆も正月も年に二度の祖霊祭だから、古式の神迎え神送りの方式を共有するという説。
次には、盆は正月の繰り返し的な行事だという考えで、まず正月があって、のちに正月の影響を受けて盆が整備されたという説。
逆に中国から盆を受け入れ、それに促されて正月を整えたという説。
また正月は稲作文化を基調とし、盆は畑作文化を基本とし、双方の接触混合によって1年を折半する現象がおこったという説などがある。
【未来】 四 季 【預言】
238 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/07/15(金) 09:21:45.05 ID:oCCzwGqS
盆行事、中元。
旧暦に基づいて述べる。7月のことを盆月とも仏月ともいい、盆は7月1日から始まる。
盆は先祖を家々に迎え祭る機会であるから、その準備を始めるのである。この日を釜蓋朔日とか閻魔の口あけとかいう。
地獄の釜の蓋があいて先祖があの世を出発する日で、茄子(なす)畑や芋畑に行って地面に耳をつけて聞くと、
釜の蓋のあく音や先祖の旅立つ叫び声が聞こえるなどという。7日は七夕であるが、星祭りとは別に盆行事がある。
七日盆(なぬかぼん)といって、墓場までの道草を刈り墓掃除をする。井戸さらえ、硯(すずり)洗いのほか、仏具、食器、家具を洗う。
牛馬も水辺に連れて行って洗ってやる。ねぶた、眠り流しなど形代(かたしろ)を送り流す禊の行事と一連のものであるとの説が多いようで、
この日は先祖様が馬に乗ってくるというので、藁や真菰(まこも)で馬の形をつくり、迎え馬とか七夕馬とかよんでいる。
先祖様を迎える手段は種々重複して行われ、盆花迎えもその一つである。盆棚や墓に供える盆花は、11日または13日に迎える例が多い。
花の種類は土地ごとに異なっており、キキョウ、オミナエシ、ハギ、ヤマユリなどを総称したり、
またそのなかの1、2種の花を盆花とよんだりする。町では盆市で買い求めたり、盆花売りが訪れてくるとか、近来は造花にかわったのも多いが、
本来は早朝から山に出かけてとってくるもので、正月11日の若木迎えと同じように、
先祖の霊をこの花とともに家に迎えるのだという気持ちが表れていた。
【未来】 四 季 【預言】
239 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/07/15(金) 09:25:18.83 ID:oCCzwGqS
盆火も先祖様の送り迎えに重要なもので、7月13日から焚き始める例が多く、墓、四辻、門口などで焚く。関東の村々では
、一家の者が門前に集まって麦藁を焚き、「盆さま盆さま、お迎え申す」と大声で叫び、子供がその火を持って墓へ行き、
そこでも火を焚いて先祖迎えをした。墓から家までの道々に108本のシラカバの木の皮を竹につけて立てておき、
墓から順に火をつけながら家に迎えてくる形もある。盆の火祭り行事には芸能化したものも多い。高い柱の上の燃料に、
下から松明を投げ上げて火をつける柱松、山の斜面に燃料を置いて、文字や図形を浮き出させる大文字・鳥居火・万灯火、数多くの提灯を竿につけ、
人が支えて練り歩く竿灯(かんとう)などがある。送り火の場合にも、送り舟にろうそくをともしたり
、灯籠流しなどには観光と結び付いたものが多い。盆に家々に迎える先祖様の祭壇が盆棚で、7月13日の朝つくる例が多い。
つくる場所や形式は各地各様で、座敷、仏間、縁側、門口、四辻などに竹や木で棚を設け、仏壇から位牌を出して祭る。
この精霊棚(しょうろうだな)以外に、またはその下に、別に無縁仏のために餓鬼棚(がきだな)を設け、
先祖として祭ってくれる者のない傍系の亡霊を祭る。これを僧侶の手で盛大に行うのが施餓鬼で、いまはすべての先祖供養に及んでいる。
前年に不幸のなかった家では、盆をむしろめでたい祭り日として、神棚に魚を供え、生臭物を贈答しあう習俗がある。
親が健在の間は、盆のうちに魚をとって調理して親に勧めるのを生見玉(いきみたま)といい、これが中元の贈答の基本である。
ほかに、盆には屋外に臨時のかまどを築いて飲食する盆竈、盆飯、辻飯、川原飯などとよばれる行事があり、
あるいは盆に招いた先祖様を慰め、これを送るための盆踊りなどがある。24日は地蔵盆で、子供が主になって地蔵の祭りをする所が多い。
【未来】 四 季 【預言】
240 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/07/15(金) 09:30:10.47 ID:oCCzwGqS
出羽三山。
出羽三山とは、山形県庄内地方に広がる月山・羽黒山・湯殿山の総称である。
修験道を中心とした山岳信仰の場として、現在も多くの修験者、参拝者を集める。
それぞれの山頂に神社があり、これらを総称して出羽三山神社という。羽黒山に3社の神を併せて祀る三神合祭殿があり、
宗教法人としての社務所も羽黒山(鶴岡市羽黒町手向7)に置かれている。

月山 月山神社(がっさんじんじゃ)。
月読命(月山権現)
阿弥陀如来 。
羽黒山、出羽神社(いではじんじゃ)。
伊テイ波神・稲倉魂命(羽黒権現)
聖観世音菩薩。
鶴岡市・庄内町境殿山 。湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ)。
大山祇神・大己貴命・少彦名命(湯殿山権現)。
大日如来。

毎年7月15日に行われる例祭で、三神合祭殿における祭典が終わると、
月山神社・出羽神社・湯殿山神社の神輿の渡御がはじまる。この神輿の前に稲の花をかたどった造花の献灯がつき、
三基の神輿と献灯が鏡池を一巡すると、境内を埋め尽くした参拝客が、
五穀豊穣・家内安全に霊験あらたかとされる献灯の花を授かることなどができます。
※行事開催に関しては各関連サイト等でご確認ください。
鶴岡市羽黒町観光協会。
http://hagurokanko.jp/
出羽三山神社。参照。
http://www.dewasanzan.jp/
【未来】 四 季 【預言】
241 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/07/15(金) 09:35:59.35 ID:oCCzwGqS
小倉祇園太鼓。
小倉祇園太鼓(こくらぎおんだいこ)は、福岡県北九州市小倉北区で行なわれる祭。
小倉城内に鎮座している八坂神社の例大祭で、毎年7月に行なわれる。
1618年(元和4年)にはじまった古い祭で、約390年の歴史を有し、
福岡県内では、博多祇園山笠、戸畑祇園大山笠と共に「福岡県の三大祇園祭」と呼ばれることもある。
太鼓の打ち方は、「じゃんがら」と呼ばれるスリ鉦でリズムをとり、
「カン」と呼ばれる派手な打ち手と「ドロ」と呼ばれる基本の打ち手で太鼓の両面を鳴らし、掛け声は「やっさやれやれ」。
また、子供会などが運営する山車では、太鼓と同時に次の小倉祇園ばやしがうたわれる
お囃子。
「 小倉名物太鼓の祇園。太鼓打ち出せ元気出せ。あっやっさやれやれやれ。
小倉祇園さんはお城の中よ。赤い屋根から太鼓が響く。あっやっさやれやれやれ。
太鼓打つ音海山越えて。里の子供も浮かれ出す。あっやっさやれやれやれ。
笹の提灯太鼓にゆれて。夜は火の海小倉の祇園。あっやっさやれやれやれ。
八坂祇園さんに揃うて詣れ。揃い浴衣でみな詣れ。あっやっさやれやれやれ
関の先帝、小倉の祇園。雨が降らなきゃ金がふる。あっやっさやれやれやれ」
※行事開催に関しては各サイトにてご確認ください。
小倉祇園太鼓。
http://www.kokuragiondaiko.jp/
【未来】 四 季 【預言】
242 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/07/15(金) 09:39:48.65 ID:oCCzwGqS
八坂神社。
京都府京都市東山区祇園町にある神社。
主祭神。
素戔嗚尊(中の座)。
相殿。 櫛稲田姫命(西の座)。 八柱御子神(東の座)。

かつての社名から祇園さんの愛称で呼ばれる。7月の祇園祭(祇園会)で知られ、ほかに特殊神事として白朮(をけら)祭がある。
旧社格は官幣大社。中世には二十二社の下八社のひとつとされた。
慶応4年(1868年)の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により、元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」と呼ばれていたのが、
「八坂神社」と改められた。八坂神社を総本社とし、素戔嗚尊を祭神とする神社が、日本全国に約2300社あるとされる。
牛頭天王は起源不詳の習合神で祇園精舎を守護するとされ、日本では素戔嗚尊と同神とされていた。
頗梨采女は牛頭天王の后神であることから素戔嗚の后である櫛稲田姫命と同一視され、櫛稲田姫命は方角の吉方(恵方)を司る
歳徳神と同一と見なされていた事もあり暦神としても信仰され、八王子は牛頭天王の8人の王子であり、暦神の八将神に比定された
また、東間には社伝に明確な記述が無い蛇毒気神が祭られている。この神はヤマタノオロチが変化したものとも言われているが定かではない。
当社を祇園社と称していたが、1868年(明治1)に神仏分離政策により八坂神社と改称した。全国に3000社以上ある八坂神社(祇園社)
または牛頭天王社の本社である。
当社の創祀について、社伝では、656年(斉明天皇2)に高麗(高句麗)から来朝した伊利之使主が新羅国の牛頭山に鎮座する。
【未来】 四 季 【預言】
243 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/07/15(金) 09:46:19.14 ID:oCCzwGqS
素戔嗚尊を勧請し、山城国愛宕(おたぎ)郡八坂郷に奉斎したのがその始まりであるという。
しかし貞観年間(859〜877)あるいは元慶年間(877〜885)に創建されたとする史料も多く、
当社はもと観慶寺あるいは祇園寺感神院などと称され、935年(承平5)に定額寺に列し、また995年(長徳1)には二十一社にも列して、
神社仏閣両者の性格を兼備していた。主祭神の素戔嗚尊あるいは牛頭天王は疫病退散の神とされ、
平安時代に疫病が流行して社会不安が高まるとともに、いわゆる祇園信仰も盛行した。
863年(貞観5)に疫病が流行したとき神泉苑で御霊会を行い、また876年にも疫病が流行したので神泉苑で鉾66本を建てて御霊会を執行したが、
これが祇園祭の起源であるといわれている。しかし、勅会として恒例の祭祀となったのは970年(天禄1)以降である。
この祭祀は中世に一時中絶したが、室町時代の1500年(明応9)には、山鉾等は京都の町衆より寄進せられて、祇園祭は復興した。
以後、しだいに盛大となり、葵祭や時代祭とともに京都三大祭の一と称されるようになった。
この祭の中心は7月17日と24日の両日に分けて行われる山鉾巡行であるが、1966年(昭和41)より山鉾巡行は7月17日に合併されたため、
24日には花傘巡行を行うようになっている。このほか元日の白朮祭や1月7日の若菜祭などの特殊な神事がある。
当社には多くの文化財が伝来するが、藤原国路作の太刀三振と豊後国行平作の太刀一振は重要文化財である。
1871年(明治4)官幣中社に列し、1915年(大正4)官幣大社に昇格した。(日本大百科全書他 関連書籍参照)
KBS京都(祇園祭中継 TV ラジオ放送局)
http://www.youtube.com/user/kbskyoto?blend=7&ob=5

「…伊利之使主が新羅国の牛頭山に鎮座する。素戔嗚尊を勧請し、」ではなく、
「…伊利之使主が、新羅国の牛頭山に鎮座する素戔嗚尊を勧請し、」です。
【未来】 四 季 【預言】
244 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/07/15(金) 09:53:47.67 ID:oCCzwGqS
神泉苑。
京都市中京区にある東寺真言宗の寺院。
本尊。
聖観音菩薩。
。二条城の南に位置し、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)であった。
境内に「大歳神:歳徳神」を祀るが毎年大晦日の晩に恵方に祠の向きを変える点が他の神社仏閣と異なる。
(日本国内で毎年向きを変える「大歳神」は唯一ここだけに見られる祀り方であると伝えられる)

延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑であった。
当初の敷地は二条通りから三条通りまで、南北約500メートル、東西約240メートルに及び、池を中心とした大庭園であった。
史料に初めてその名が見られるのは「日本紀略」の記事であり、延暦19年(800年)7月19日(旧暦)、桓武天皇が行幸したという内容である。
延暦21年(802年)には雅宴が催されたとあり、この頃から神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場となったとみられる。
神泉苑には竜神(善女竜王)が住むといわれ、天長元年(824年)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、
空海が勝ったことから以後東寺の支配下に入るようになったという。
貞観5年(863年)に都に疫病が流行り、神泉苑で御霊会が行われた。
貞観11年(869)には神泉苑の南端(現在の八坂神社三条御供社の位置)に66本の鉾を立てて祇園社から神輿を出し、
現在の祇園祭の元になったと言われている。
中世以降は荒廃し、慶長8年(1603年)、徳川家康が二条城を造営した際には神泉苑の敷地の大部分が城内に取り込まれて著しく規模を縮小した。
伝承では源義経と静御前が出会った場と言われ、京都市の東西に伸びる通りの一つ「御池通」の名前の由来であるとの説もある(異説あり)。
二条城の南(押小路堀川東入ル)には昔の神泉苑の東端を示す石碑がある。これは京都市営地下鉄東西線に関わる工事の際に判明したものである。
神泉苑。
http://www.shinsenen.org/
【未来】 四 季 【預言】
245 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/07/15(金) 10:07:49.42 ID:oCCzwGqS
盆に関して記載した際に少し記載されていたと思うのですが、暦で今日は「中元」でもあります。
中元とは、古くは三元の一で陰暦7月15日の称であり、もと中国の道教から出た節日で、日本に伝来して仏家の盂蘭盆会と混同され、
この日は仏に物を供え冥福を祈る ( 大辞泉 参照)。ということに基づいています。
そして、暦で今日は満月(望)大潮でもあるのですが、この時期は夕方近くに月の出よりやや早く月を観測することができるようで、
その時刻は十五時四十分頃と予測されており、宵には北に、アルタイルを観測することもできるようです。
予報では、北海道東北地方等は降雨の所が多いようですし、大潮ということもありますので、
各地におかれても急な天気の変化等に十分注意なさり、各地の予報や行政機関等による長雨、余震等により立ち入り注意を促されている陸橋、
河川付近の確認等をなさられて過ごされることが最もと思いますし、私もそのように過ごそうと思っています。
【未来】 四 季 【預言】
246 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/07/15(金) 10:12:33.72 ID:oCCzwGqS
阿弥陀如来真言。
「オン アミリタ テイセイカラ ウン」

観世音菩薩真言。
「オン アロリキャ ソワカ」

大日如来真言。
「オンバザラダドバン   オンアビラウンケン」

不動明王真言。
「ノウマク サマンダバザラダン センダマカロシャダ ソワタヤウン タラタ カン マン」

地蔵菩薩真言。
「オン カカカビ サンマエイ ソワカ」

八大竜王真言。
「オン メイギャ シャニエイ ソワカ。」

神変菩薩。
「オン キルク ギャク ギャク エンノウ ソワカ。」

【未来】 四 季 【預言】
247 :かる ◆N4OUHymbXQ [sage]:2011/07/15(金) 10:27:31.81 ID:oCCzwGqS

「成仏とは正覚正智不生不滅無始無終の義なり。

 これすなわち法爾所成の成にして、因縁所生の成にあらず。」


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