- 【未来】 2010 夏 【預言】
562 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/27(水) 09:54:30.72 ID:rh5XFU+h - おはようです。
暦で今日は和歌山県の道成寺では「鐘供養」が通年行われており、 そして、八専始めの日でもあり、一粒万倍日(>>402一部記載)、不成就日(>>425一部記載)でもあります。 道成寺。 和歌山県日高郡日高川町にある天台宗の寺院。山号は「天音山」。 本尊。 千手観音。 新西国三十三箇所観音霊場の第五番札所である。 道成寺創建にまつわる「髪長姫伝説」(「宮子姫伝記」)や、能、歌舞伎、浄瑠璃の演目としてもよく知られており、 「安珍・清姫伝説」で知られる。この伝説は、平安時代中期に編纂された『大日本国法華験記』にすでに見える古い話である。 拝観の際には縁起堂で「安珍清姫」の絵巻物を見せながらの絵説き説法が行われる。道成寺本堂には南向き本尊と北向き本尊の2体の千手観音像を安置。
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- 【未来】 2010 夏 【預言】
563 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/27(水) 09:55:42.67 ID:rh5XFU+h - 安珍・清姫伝説とは。
紀州に伝わる伝説で、思いを寄せた僧・安珍に裏切られた少女・清姫が激怒のあまり蛇身に変化し、 道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺すことを内容としている説がよく知られている。 内容については伝承によって相違があり、よく知られているものは次のようである。 『大日本国法華験記』巻下第百二十九「紀伊国牟婁郡悪女」、『今昔物語集』巻第十四第三「紀伊ノ国道成寺ノ僧写法華救蛇語」では、 少女の代わりに若い寡婦が登場する。また、宿泊するのは老若二人の僧である(懸想されるのは若い僧)。 若い僧に逃げられた後怒った寡婦は寝所で死に、その寝所から体長五尋の毒蛇が現れ、僧を追って熊野街道を行く。 道成寺で僧を焼き殺す点は一致しているが、宿泊した僧が二人とも焼かれる。 『道成寺縁起絵巻』 では、主人公の女は真砂の清次の娘ではなく「娵(よめ)」である。 いずれにせよ安珍・清姫の名はまだ見られず、安珍の名の初出は『元亨釈書』、 清姫の名の初出は操浄瑠璃「道成寺現在蛇鱗」(寛保2年(1742年)初演)とされる。 また、真砂の里では別の伝説が行われている。大きな相違点を挙げると、 清姫の母親は実は、男やもめであった父が助けた白蛇の精であった。 初め安珍は幼い清姫に「将来結婚してあげる」と言っていたが、清姫の蛇身を見て恐れるようになった。 安珍に逃げられた清姫は絶望し富田川に入水、その怨念が蛇の形をとった。 蛇にならず、従って安珍も殺さず、清姫が入水して終わる話もある。 安珍と共に鐘を焼かれた道成寺であるが、四百年ほど経った正平14年(1359年)の春、鐘を再興することにした。 二度目の鐘が完成した後、女人禁制の鐘供養をしたところ、一人の白拍子(実は清姫の怨霊)が現れて鐘供養を妨害した。 白拍子は一瞬にして蛇へ姿を変えて鐘を引きずり降ろし、その中へと消えたのである。清姫の怨霊を恐れた僧たちが一心に祈念したところ、 ようやく鐘は鐘楼に上がった。しかし清姫の怨念のためか、新しくできたこの鐘は音が良くない上、付近に災害や疫病が続いたため、山の中へと捨てられたと伝わっている。 さらに二百年ほど後の天正年間。豊臣秀吉による根来攻めが行われた際、秀吉の家臣・仙石権兵衛が山中でこの鐘を見つけ、合戦の合図にこの鐘の音を用い、 そのまま京都へ鐘を持ち帰り、清姫の怨念を解くため、顕本法華宗の総本山である妙満寺に鐘を納めた。 鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にも「道成寺鐘」と題し、かつて道成寺にあった件の鐘が、石燕の時代には妙満寺に納められていることが述べられている。 伝説の舞台となる道成寺には安珍塚がある。 清姫の生誕地とされる真砂は現在の熊野古道の中辺路付近にあたるが、ここには清姫の墓と伝えられる石塔があるほか、 清姫渕、衣掛松、清姫のぞき橋、鏡岩など、伝説にまつわる史跡が数多く残されている。 また熊野古道潮見峠越えにある田辺市指定天然記念物の大木・捻木ノ杉は、清姫が安珍の逃走を見て口惜しんで身をよじった際 一緒にねじれてしまい、そのまま大木に成長したものといわれる。 妙満寺に納められた道成寺の鐘は、現在でも同寺に安置されており、寺の大僧正の供養により清姫の怨念が解けて美しい音色を放つようになったとされ、 霊宝として同寺に伝えられている。毎年春には清姫の霊を慰めるため、鐘供養が行われている。 道成寺関連の作品を演じる芸能関係者が舞台安全の祈願に訪れていた時代もあり、芸道精進を祈願して寺を訪ねる芸能関係者も多い。
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- 【未来】 2010 夏 【預言】
564 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/27(水) 09:57:37.85 ID:rh5XFU+h -
「浄土と穢土」 浄土とは、仏教における概念で、清浄で清涼な世界を指す。浄刹(じょうせつ)、浄国、浄界などとも言われる。穢土(えど)と対となる語で、 清浄で清涼な世界である。 穢土とは、浄土と対となる語である穢土とは、穢国ともいわれるように穢悪に満ちた世界である。 「維摩経」仏国品では、「丘陵、坑坎、荊棘、沙礫、土石、諸山ありて、穢悪充満せり」といい、砂漠地帯や開拓されていない荒野などを穢国といっている。 「往生論註」巻上では、 「三界を見るに、これは虚偽の相であり、これは輪転の相であり、これは無窮の相であり、尺蠖の循環するが如く、蚕繭の自縛するが如し」 といい、虚偽の世界、流転の世界、尺取虫が丸くなって丸いものを廻るように流転し、蚕の繭の如く自らを縛りつけ苦しむ世界が穢土だと書かれており、 人間が自縄自縛して、虚妄なるものを虚妄としらず(気づくことができず)それにとらわれ苦しんでいる自分で作りだした煩悩の世界が穢土であり、 精神的物質的に何らの潤いを感ずることのない世界が穢土である。 前のスレッドで豹さんが戦国時代の武士のお一人である明智光秀が、本能寺の変の際にその行動によりその執着心を吐露したと教えてくれたように、 何事においても、執着するという心を持ち続けることは、仏教の根本的な教えの一つでありこちらのスレにも何度か記載しているのですが、 「万物は常に変化して、ほんのしばらくもとどまるものは無い」という「諸行無常」であるということであり、 例えるなら「悟とは求めて得れるものでは無」ということや、「因果の道理」をもしっかりとふまえこの先も忘れず歩んでいこうと思っています。
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- 【未来】 2010 夏 【預言】
565 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/27(水) 10:13:42.16 ID:rh5XFU+h -
「紀の国や峰より明けて日高川てらすは法の道成の寺」道成寺 御詠歌。
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- 【未来】 2010 夏 【預言】
566 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/27(水) 10:20:36.54 ID:rh5XFU+h - 千手観音。
梵名サハスラブジャ・アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラは、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。 「サハスラブジャ」とは文字通り「千の手」の意味である。 この名はヒンドゥー教のヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあり、 インドでヒンドゥー教の影響を受けて成立した観音菩薩の変化身(へんげしん)と考えられている。六観音の一尊でもある。 三昧耶形は開蓮華(満開のハスの花。聖観音の初割蓮華と対をなす)、蓮華上宝珠。種子(種字)はキリーク(hriiH)。眷属として二十八部衆を従える。 日本語では「十一面千手観音」、「千手千眼観音」「十一面千手千眼観音」、「千手千臂観音)」など様々な呼び方がある。 「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。 千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。 観音菩薩が千の手を得た謂われとして、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。 この経の中に置かれた大悲心陀羅尼は現在でも中国や日本の天台宗、禅宗寺院で読誦されている。 六観音の一尊としては、六道のうち餓鬼道を摂化するという。また地獄の苦悩を済度するともいい、 一切衆生を済度するに、無礙の大用あることを表して諸願成就・産生平穏を司るという。 千手観音の尊名は、前述の通り様々な呼び方がある。千手観音像の中には十一面ではなく二十七面につくる像もあり、 必ずしも「十一面千手千眼観音」が正しいとは言いきれない。日本の文化財保護法による国宝、重要文化財の指定名称は「千手観音」に統一されている。 密教の曼荼羅では観音は「蓮華部」に分類されている。 千手観音を「蓮華王」とも称するのは観音の王であるとの意味で、蓮華王院(京都の三十三間堂の正式名称)の名はこれに由来する。 真言。 「オン・バザラ・タラマ・キリク・ソワカ 」
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