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かる ◆FR0SUGcqU.
【未来】 2010 夏 【預言】

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【未来】 2010 夏 【預言】
500 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/12(火) 08:55:52.79 ID:rYW95VMf
おはようです。

暦で今日は「松尾大社中酉祭」が行われ、
「大津日吉大社の方では山王祭」が本日より行われ、昨日、国立天文台発表記事を少し記載しましたが「世界宇宙飛行の日」でもあります。

松尾大社。
京都市西京区にある神社である。式内社(名神大)、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。旧称松尾神社。
主祭神。
大山咋神。
中津島姫命(市杵島姫命の別名とされるが、異説もある)。

当社の背後の松尾山(223m)に古社地があり、山頂に近い大杉谷に磐座とされる巨石がある。
5世紀ごろ、渡来人の秦氏が山城国一帯に居住し、松尾山の神(大山咋神)を氏神とした。
大山咋神については、『古事記』に「亦の名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し、
亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ」と記されており、古事記が編纂されたころには有力な神とされていたことがわかる。
大宝元年(701年)、勅命により秦忌寸都理が現在地に社殿を造営し、山頂附近の磐座から神霊を移し、娘を斎女として奉仕させた。
以降、明治初期に神職の世襲が禁止されるまで、秦氏が当社の神職を務めた。
平安遷都により、皇城鎮護の神として崇敬されるようになり、「賀茂の厳神、松尾の猛神」と並び称された。
『延喜式』では名神大社に列し、その後二十二社の一社ともなった。
近代社格制度のもと、明治4年(1871年)に松尾神社として官幣大社に列格し、戦後は別表神社となった。昭和25年(1950年)に松尾大社に改称した。
秦氏は酒造の技術も日本に伝えたことから、中世以降、松尾神は酒造の神としても信仰されるようになった
本社と、摂末社の四大神・衣手・三宮・宗像(市杵島姫命)・櫟谷(いちたに、奥津島姫命)・月読(月読尊)の各社を併せて松尾七社と呼び、
このうち月読神社と櫟谷神社(現在は宗像社と合祀されて櫟谷宗像神社)は式内社である。
境内に点在する庭園は、近代の作庭家、重森三玲晩年の作であり、同氏築庭、あるいは近代の日本庭園を代表するものの一つである。

中酉祭。
古来より、卯の字は甘酒、酉の字は酒壺を意味していると言われ、酒造りは「卯の日」にはじめ、「酉の日」に完了する慣わしがあり、
お酒造りにかかわる祭りの日取りもこうした昔からの慣習によるものであるとされています。
稲刈りが終わり新米ができる秋、つまりお酒造りの始まる季節、毎年11月上の卯の日に執り行われる醸造安全祈願のお祭りが『上卯祭』で、
このお祭りでは全国の和洋酒、味噌、醤油、酢等の醸造業はもとより、卸小売の人々も参集し、
盛大に醸造安全を祈願し、守札としての大木札(だいもくさつ)を受けて持ち帰り、各々の蔵に奉斎し、お酒造りをはじめる慣わしとなっております。
また年明けて、春を迎え、4月の中の「酉の日」には、醸造完了を感謝する『中酉祭』が執り行われます。
また当社では、※千歳講という江戸時代からの講があり、この講員に対しては上卯祭から中酉祭まで、
醸造安全、家内安全、業務繁栄等の祈願が毎朝欠かさずなされています。
松尾大神がなぜ“醸造祖神”として普く世の人々に仰がれ給うのか、諸説有る中、当社の故事によれば、

「神代の昔、八百萬神々が分土山(松尾山)に集い給いて神議りをなされた。しかし、当時はまだお酒と言うものがなく、
そこで松尾大神が付近一帯の山田の米を蒸し、御手洗の泉より涌き出る清らかな水を汲み、一夜にしてお酒をお造りになり、
大杉谷の杉の木でこしらえた器で、諸神を饗応せられると、
………盡せしな甕の酒を汲上て豊の圓居をするそたのしき………と諸神等はうたわれ大いに喜ばれ給うた。」とあることに由来するものと言われています。
松尾大社。サイト参照。
http://www.matsunoo.or.jp/

※伊勢講が六つあり、「燈明講」「桜講」「神明講」「千歳講」「信誠講」「唯一講」と
それぞれ呼び、「天照皇太神  常夜燈」と書いた燈明箱を回し、各講員宅では、この常夜燈にロウソクを立て一夜ずつ点灯して次に廻すようです。
【未来】 2010 夏 【預言】
501 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/12(火) 08:57:12.40 ID:rYW95VMf
日吉大社。
滋賀県大津市坂本にある神社。俗に山王権現とも呼ばれている。日本全国に約2000社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮である。
旧社格は官幣大社。中世には二十二社の下八社のひとつとされた。
西本宮と東本宮を中心に、400,000m?の境内を持つ。猿を神の使いとして崇拝することで知られている。
主祭神。
大山咋神(東本宮)。
大己貴神(西本宮)。
2つの本宮と以下の5つの摂社は日吉七社・山王七社と呼ばれている。
牛尾宮(大山咋神荒魂)大山咋神の荒魂
樹下宮(鴨玉依姫命)
三宮宮(鴨玉依姫命荒魂)鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮(田心姫神)
白山宮(菊理姫命)

文献では、『古事記』に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあるのが初見である。
日枝の山とは後の比叡山のことである。
牛尾山(八王子山)山頂に磐座があり、これが元々の信仰の地であった。磐座を挟んで2社の奥宮(牛尾神社・三宮神社)があり、
現在の東本宮は崇神天皇7年に牛尾神社の里宮として創祀されたものと伝えられている。三宮神社に対する里宮は樹下神社である。
近江京遷都の翌年である天智天皇7年、大津京鎮護のため大神神社の神を勧請した。
以降、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれた。
平安京遷都により、当社が京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として崇敬されるようになり、
延喜式神名帳では名神大社に列格し、さらに二十二社の一社ともなった。
最澄が比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である当社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬した。
中国の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになった。
延暦寺では、山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説いた。中世に比叡山の僧兵が強訴のために担ぎ出したみこしは日吉大社のものである。
天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建された。
元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰した。現在見られる建造物は安土桃山時代以降に再建されたものである。
信長の死後、豊臣秀吉は当社の復興に尽力した。
これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、当社を特別な神社と考えたためである。
明治に入ると神仏分離令により、仏教色が廃された。
本来の形に戻すとして、東本宮と西本宮の祭神を入れ替えて西本宮の大山咋神を主祭神とし、大物主神を祀る東本宮は摂社・大神神社に格下げした。
昭和初年に元の形に復した。
【未来】 2010 夏 【預言】
502 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/12(火) 08:58:12.56 ID:rYW95VMf
山王信仰。
比叡山麓の日吉大社(滋賀県大津市)より生じた神道の信仰である。
日吉神社・日枝神社あるいは山王神社などという社名の神社は山王信仰に基づいて日吉大社より勧請を受けた神社で、
大山咋神と大物主神(または大国主神)を祭神とし、日本全国に約3,800社ある。
神仏習合期には山王(さんのう。山王権現、日吉山王など)と称され、今日でも山王さんの愛称で親しまれている。猿を神使とする。
山王とは、滋賀県大津市坂本の日吉(ひえ)神社(大社)の別名である。

日吉神社は、もともと近江国日枝山(ひえのやま:後に比叡山の字が充てられた)の神である「大山咋神」(おおやまくいのかみ)を祀っていたもので、
後に近江京遷都の翌年である天智天皇七年(668年)、大津京鎮護のため大和国三輪山(三諸山)の大三輪神、すなわち大物主神を勧請しともに祀られた。
比叡山に天台宗の延暦寺ができてからは、大山咋神・大物主神は地主神として天台宗・延暦寺の守護神とされた。
唐の天台山国清寺が地主神として「山王弼真君」を祀っていることに因み、延暦寺ではこの両神を「山王」と称した。
そして天台宗・延暦寺の守護神としての崇敬が、山王信仰へと発展しやがては「山王神道」とも呼ばれる信仰をも派生させた。

山王神道では山王神は、釈迦の垂迹であるとされ、「山」の字も「王」の字も、
三本の線とそれを貫く一本の線からなっており、これを天台宗の思想である三諦即一思想と結びつけて説いた。
また天台密教は、鎮護国家、増益延命、息災といった具体的な霊験を加持祈祷によって実現するという体系(使命)を持ち、
山王にも「現世利益」を実現する霊威と呪力を高める性格を与えたようである。
天台宗が全国に広がる過程で、山王信仰に基づいて日吉社も全国に勧請・創建された。
日吉神社・日枝神社、あるいは山王神社などという社名の神社は、日本全国に約3,800社ある。
これにともない、日吉・日枝・比恵・山王・坂本などという地名が各地でみられる。
神仏習合期には山王(山王権現・日吉山王など)と称され、今日でも山王さんの愛称で親しまれている。
日吉神社の神使は猿であるが、猿との関連性についてはよく分かっていない。おそらくは原始信仰の名残りではないかと推測されている。
大社自体も大宮(大比叡・本地釈梼如来)、二宮(小比叡・本地薬師如来)を山王両明神とし、聖真子(本地阿弥陀如来)を加えて山王三所または三聖といい、
やがて八王子(本地千手観音)、客人(本地十一面観音)、十禅師(本地地蔵菩醍)、三宮(本地普賢菩醍)を加えて山王七社(上七社)となすなど、
総本山の威容を整え始めた。そして本地垂迹説によってさらに数を増し中七社、下七社を加えて「山王二十一社」と称した。
中世に比叡山の僧兵が強訴のために担ぎ出した神輿は日吉大社のものである。
元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより、日吉大社も灰燼に帰した。
現在見られる建造物は、安土桃山時代以降に再建されたものである。
【未来】 2010 夏 【預言】
503 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/12(火) 09:14:35.08 ID:rYW95VMf
猿を使いにという所から、私は個人的にですが、山王信仰で記載した「釈迦如来」は勿論のことなのですが、
「道祖神」という神の存在を感じます。
昨年、旅した際に道祖神の方々に少し導かれたようにも感じたのですが、
古くからその地を見守ってこられた道祖神の方々は、仏教での地蔵菩薩のようにも感じられ、とても温かく、
祠などで祀られることは、ほとんど見受けられないようですが、
今も各土地土地を護り続けてくださっているかと、そのように私は感じ信じています。

道祖神。
サエノカミ、ドーロクジンなどといったり、塞大神(さえのおおかみ)、衢神(ちまたのかみ)、岐神(くなどのかみ)、道神(みちのかみ)などと記されたりもする。
猿田彦命や伊弉諾・伊弉冉尊などにも付会していることがある。
境の神、道の神とされているが、防塞、除災、縁結び、夫婦和合などの神ともされている。
一集落あるいは一地域において道祖神、塞神、道陸神などを別々の神として祀っている所もあり、地域性が濃い。
峠、村境、分かれ道、辻などに祀られているが、神社に祀られていることもある。神体は石であることが多く、
自然石や丸石、陰陽石などのほか、神名や神像を刻んだものもある。中部地方を中心にして男女二体の神像を刻んだものがあり、
これは、山梨県を中心にした丸石、伊豆地方の単体丸彫りの像とともに、道祖神碑の代表的なものである。
また、藁でつくった巨大な人形や、木でつくった人形を神体とする所もある。これらは地域や集落の境に置いて、
外からやってくる疫病、悪霊など災いをなすものを遮ろうとするものである。
古典などにもしばしば登場し、平安時代に京都の辻に祀られたのは男女二体の木の人形であった。
神像を祀っていなくても、旅人や通行人は峠や村境などでは幣を手向けたり、柴を折って供えたりする風習も古くからあった。
境は地理的なものだけではなく、この世とあの世の境界とも考えられ、地蔵信仰とも結び付いている。
道祖神の祭りは、集落や小地域ごとに日待ちや講などで行われることもあるが、小正月の火祭りと習合し、子供組によって祭られることが多い。
また、信越地方では家ごとに木で小さな人形を一対つくり、神棚に祀ったあと道祖神碑の前に送ったり、火祭りに燃したりする所もある。
このほか2月8日あるいは12月15日に藁馬を曳いてお参りに行く所もある。
これらの祭りには、厄神の去来とその防御、道祖神の去来など、祭りの由来についての説話が伝えられていることがあり、
その伝わりや解釈などは地方により其々のようです。
【未来】 2010 夏 【預言】
504 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/12(火) 09:28:48.42 ID:rYW95VMf

この国には、本当に多くの神社や寺院等が古くからあり、
時の流れの中で、その伝わりは各土地によって其々であり、
自然と共にその地で過ごされてきた方々の心により、
支えられ古き時代より、人々と神々とが共にこの国を育ててきてくださったのかとも思います。
そうした恩恵等を日々忘れず、私はこの先も歩んでいきたいと思っています。
【未来】 2010 夏 【預言】
505 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/12(火) 10:12:00.46 ID:rYW95VMf

Stay Gold。
宇多田ヒカル。
http://youtu.be/fwPT4EYgMg4


【未来】 2010 夏 【預言】
506 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/12(火) 10:15:02.04 ID:rYW95VMf

「そやふづひゐひほさやと

 むぜやそふへぞをあづや。」


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