- 【未来】 2010 夏 【預言】
478 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/09(土) 10:48:38.89 ID:j/i4112w - こんにちは。
暦で今日は、「笠間稲荷大祭」が例年行われる所や、 「西大寺では大茶盛」なども行われ、「大神神社大神祭」なども行われる所があるようです。 そして、「旧三の午」の日でもあり、「さんりんぼう」の日でもあります。 笠間稲荷神社。 茨城県笠間市にある神社(稲荷神社)である。 旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社となっている。別称胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)、紋三郎稲荷。 祭神は宇迦之御魂命である。五穀豊穣、商売繁盛の神として古くから厚く信仰され、関東はもとより日本各地から年間350万人の参拝客が訪れる。 また、正月三が日の初詣には80万人以上の参拝者が訪れ、初詣参拝者数で茨城県1位を誇り、日本三大稲荷の一つとされている。 旧村社であり、例祭は4月9日。そのほか、追儺式(節分)、初午祭(2月初午の日)、御田植祭(5月10日)などの特殊神事がある。 本殿(重要文化財)は江戸末期の建築で、とくに側面の彫刻は精巧を極めている。 境内の藤樹2株は樹齢400年に及び、県の天然記念物。 西大寺。 本尊。 釈迦如来。 奈良県奈良市西大寺芝町にある、真言律宗総本山の寺院。 奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰を開山(初代住職)として建立された。 南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代に興正菩薩叡尊によって復興された。山号は勝宝山。 765年(天平神護1)称徳(しょうとく)天皇の勅願により建立。平城京の東にあった東大寺に対し、西の大寺にふさわしく膨大な規模をもち、 南都七大寺の一つであったが、平安時代には再三の災害で衰退していった。 しかし鎌倉時代に叡尊が再興し、戒律の根本道場として大いに栄えた。 その後兵火にあい堂塔を焼失し、現在の本堂、愛染堂などは江戸時代のものであるが、巨大な基壇、礎石などが往時の偉容をしのばせている。 寺宝には平安時代の傑作といわれる十二天画像、鉄宝塔、金銅透彫舎利塔、金銅宝塔、『金光明最勝王経』10巻、 『大日経』7巻などの国宝、本尊釈迦如来立像、行基菩薩像などの国指定重要文化財は非常に多い。 毎年1月15日、4月第2日曜とその前日の土曜、10月第2日曜に行われる大茶盛式は、叡尊が1239年(延応1)正月に修法後、鎮守八幡に献茶され、 余服を参衆に施されたことに始まり、現在でも尺余の大茶碗で飲む独特な茶会として有名である。 また叡尊は花道にも見識があり、それが松月堂古流として継承されている。
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- 【未来】 2010 夏 【預言】
479 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/09(土) 10:49:25.91 ID:j/i4112w - 大神神社。
主祭神。 大物主大神(倭大物主櫛甕玉命)を主祭神とし大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)を配祀する。 奈良県桜井市にある神社である。式内社(名神大)、大和国一宮で中世には二十二社の中七社のひとつとされた。 旧社格は官幣大社(現・別表神社)。三輪明神、三輪神社とも呼ばれる。 大物主大神を祀る。日本神話に記される創建の由諸や大和朝廷創始から存在する理由などから「日本最古の神社」と称されている。 日本国内で最も古い神社のうちの1つであると考えられている。 三輪山そのものを神体(神体山)として成立した神社であり、今日でも本殿をもたず、 拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。 自然を崇拝するアニミズムの特色が認められるため、三輪山信仰は縄文か弥生にまで遡ると想像されている。 拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものであるが、日本唯一のものではなく、他にも三ツ鳥居は存在する。 日本神話には、当社にまつわる次のようなくだりがある。大国主神(大己貴神)は少彦名神とともに国造りをしていたが、 国造りなかばにして少彦名神は常世に帰ってしまった。 大国主神が「この後どうやって一人で国造りをすれば良いのだ」と言うと、海原を照らして神が出現した。 その神は大国主の幸魂奇魂(和魂)であり、大和国の東の山の上に祀れば国作りに協力すると言った。その神は御諸山(三輪山)に鎮座している大物主神である。 大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち、 稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。 また国の守護神(軍神)、氏族神(太田田根子の祖神)である一方で祟りなす強力な神(霊異なる神)ともされている。 歴史。 崇神天皇7年(紀元前91年)に天皇が物部連の祖伊香色雄(いかがしこを)に命じ、 三輪氏の祖である大田田根子を祭祀主として大物主神を祀らせたのが始まりとされる。 日本書紀には大物主神が倭迹迹日百襲媛命に神懸かりして、また臣下の夢に現れてした神託に従い、 大物主神の子である大田田根子に大物主神を祀らせたとある。 国史には奉幣や神階の昇進など当社に関する記事が多数あり、朝廷から厚く信仰されていたことがわかる。 貞観元年(859年)2月、神階は最高位の正一位に達した。延喜式神名帳では名神大社に列し、摂末社の多くも記載されている。 摂社の檜原神社は天照大神をはじめて宮中の外に祀った「倭笠縫邑」の地であると伝えられ、元伊勢の一つとなっている。 なお、全国各地に大神神社・神神社(美和神社)が分祀されているが、それは既に『延喜式神名帳』(『延喜式』巻9・10の神名式)にも見られ。 その分布は、山陽道に沿って播磨(美作)・備前・備中・周防に多く、大和王権によって分祀されたのではないかと推測されている。 作者不詳の能「三輪」ではキリ(終りの部分)のうたに 「思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事。今更、なんと、いわくら(磐座・言わくら)や」とある。
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- 【未来】 2010 夏 【預言】
480 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/09(土) 10:50:50.23 ID:j/i4112w - 旧三の午。
以前に記載したこともある(>>417、>>418)のですが、初午、二の午に続く、三の午の日です。 2月初めの午(うま)の日をいう。稲荷の祭日とされ、稲荷講の行事が行われるが、 その習俗はかならずしも稲荷とは関係なく、土地によりさまざまである。 この日初午団子をつくり、子供たちが集まって太鼓をたたくことが広く行われる。 長野県では初午の日を道陸(祖)神の火事見舞いといって、小正月のどんど焼の際の、 見舞いとして餅を搗いてこの神に供える祭りとしている。 また蚕玉祭(こだままつり)といってカイコの神を祀っている所もある。 栃木県の旧安蘇郡野上村(現佐野市)では、初午にシミズカリといって大根や鮭のおじやをつくり神前に供える。 初午の日が早いと火事が多いといわれ、月の初めにあたると二の午の日に延期する例があり、5日過ぎればよいという俗習などもある。 青森県の津軽地方では、屋根に水桶をあげたり水をまいたりしている。 岐阜県の高山市では初午の日には茶を飲まないといい、鳥取県南東部(八頭(やず)郡を中心とした地域)では茶釜を洗って乾かす。 ほかに、変わった風習として、新潟県南魚沼市の六日町地区では、多くの家が屋敷神を祀っているが、 初午には豊年を祈願して小豆飯と鰊を供える。 鳥取県日野郡では初午粉といって、米の粉を神前に供える。 奈良県宇陀市うたの区では初午の日に、25歳の男と19歳の女が、厄年のため近所の社寺にお参りする。 長崎県壱岐島では、世上祭といって初午に豊作を祈る。 熊本県の各地では初午の市が立ち、湯豆腐、いなりずしなどを売り出している。 これらの習俗からみて、初午の日とは、その年の豊作を予祝する意の祭りであったと解釈できる。 さんりんぼうについては>>402にて記載。 ・・日本大百科全書、Fresheyeペディア等参照。
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- 【未来】 2010 夏 【預言】
481 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/09(土) 11:16:43.92 ID:j/i4112w - 仏教の根本である「一切日皆善」という心の基づきながら、
こうした行事等を通し、各地方其々に古くから伝わるその時期の過ごし方の風習や俗習があることを、 学べること等を私はとても嬉しく思っています。 人々が生活を営む上で、様々な信仰や風習等がその求める心より生まれ、 こうして今尚、受け継がれ伝わり続けており、時の流れや時代背景等にもより、当初目的とする風習とは異なる形をとりながら 伝わりえざる負えなかった信仰や風習等もあるかとも思いますし、 無神論者の方々もいらっしゃるのが現代でもあるかとも思います。 人は人であり、この世に生を受けた環境等も異なれば育ってきた環境等をもそれぞれです。 その中で万全とはいかずとも、できるだけ互いを尊重しあうという心を忘れずに、 私も日々歩んでいきたいと思っています。
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- 【未来】 2010 夏 【預言】
482 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/09(土) 11:23:24.80 ID:j/i4112w -
真夏の果実。 小田和正。 http://youtu.be/kzOOZ3uEKTs 桑田佳祐。 http://youtu.be/OwZXxbHHWeM
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- 【未来】 2010 夏 【預言】
483 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/09(土) 11:25:03.69 ID:j/i4112w -
「へづひゐほせとそちのを なふぞとさやつひざふや。」
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- 【未来】 2010 夏 【預言】
484 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/09(土) 12:05:19.07 ID:j/i4112w - 磐座。
日本に古くからある自然崇拝(精霊崇拝・アニミズム)である古神道のなかの一つの信仰。 巨岩に対する基層信仰の一種である。 自然への信仰の例は岩以外にも、禁足地としての鎮守の森(モリ自体が神社をさし、杜は鎮守の森自身である)や山に対する信仰、 火(火山)に対する信仰である三輪山や富士山などの神名火(カムナビ)、滝などから、風雨・雷という気象現象までの多岐に渡るものである。 岩にまつわるものとして他にも磐境があるとされるが、こちらは磐座に対してその実例がないに等しい。 そのため同一のものと目されることもある。日本書紀では磐座と区別してあるので、磐座とは異なるなにか、「さか」とは神域との境であり、 神籬の「籬」も垣という意味で境であり、禁足地の根拠は「神域」や「常世と現世」との端境を示している。 神事において神を神体である磐座から降臨させ、その依り代(神籬という)と神威をもって祭りの中心とした。 時代とともに、常に神がいるとされる神殿が常設されるに従って信仰の対象は神体から遠のき、神社そのものに移っていったが、 元々は古神道からの信仰の場所に、社(やしろ)を建立している場合がほとんどなので、 境内に依り代として注連縄が飾られた神木や霊石が、そのまま存在する場合が多い。 現在ではご神木などの樹木や森林または、儀式の依り代として用いられる榊などの広葉常緑樹を、神籬信仰や神籬と言い、 山や石・岩などを依り代として信仰することを磐座という傾向にある。
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- 【未来】 2010 夏 【預言】
485 :かる ◆FR0SUGcqU. [sage]:2011/04/09(土) 12:10:24.71 ID:j/i4112w -
「りぶやせふそとひゐむそちふ ゐひふやそぞちとふはぜそむ ほへつづひうをんそへつづゐ。」
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