- 淫魔・サキュバスとHなことをする小説 10体目
436 :サッカバスクィーン 1[sage]:2014/11/27(木) 16:36:25.14 ID:1Z0D3L59 - その年の夏、港町ポートスミスはサッカバスクィーンの襲来に遭った。
その七月の朝まだき、天狼星の登るころ、三日月の弧を描くポートスミスの湾の内には 霧ともつかぬ瘴気が漂っていた。それは海のかなたから現れ、やがて市街地に流れ込んだ。 その霧にまぎれて、港町に上陸したものがあった。帆船の間を行き交うボートの群れ。 白い航跡が一筋進んで、薄明の港に着いた。それは誰にも気づかれず、町に入り込んだ。 その日から、街路の交差する場所場所に妖霊が立って、そこを通る男を襲い始めた。 煉瓦通りの角に立つ、それはおぼろな人の姿をして、なまめかしい女の影にも似ていた。 霊感のない者にそれは見えない。道を通る者の背後にそっと這いより、絡みつき、取り憑く。 ポートスミスの男たちは、四ツ辻を通るごとに精気を奪われた。 妖霊に取り憑かれると、急激な疲労、倦怠を覚えて衰弱した。酔うに似た心地を覚えた。 妖霊が町を徘徊した。得体のしれない疫病が町を覆っていた。 船乗りたちは海に出ることをやめ、商人らはばたばたと倒れるように宿で寝込んだ。 数日の間に男たちの皮膚は乾き、髪は抜け、老人のように老け込んで死んでいった。 帆を降ろした船の群れが港に漂い、市場はがらんとしてたちまちに塵の吹く巷となった。 通りを行き来し、病を診る医者の傍らを妖霊が通り過ぎる。 葬列が相次ぎ、野辺の煙が絶えず昇る。数週間も経ないうちに港町は閑散となった。 木の葉の落ちるように男たちは死んでいく。残される女たちは今となっても、 何ものが夫を、息子を、恋人を奪っていくのか、何が起こっているのかさえ分からなかった。 町に働ける健康な男がいなくなったとき、女たちは身を寄せ合って集団で町を逃げ出した。 すべては夏の始めの一月たらずのことだった。伝統ある港町は無人の廃墟になった。 渦を巻く瘴気が一所に流れていた。辻々で奪った男の精気を持って、妖霊たちが集まってくる。 妖霊たちの女あるじ、彼女らの仕えるものがそこに住んでいた。 ポートスミスの旧市街、港湾を見下ろす緑の高台。いまは人の住まぬそのあたり、 丘の上に見捨てられた古い礼拝堂を住処にして、シロアリのボスのように女王が潜んでいた。
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437 :名無しさん@ピンキー[sage]:2014/11/27(木) 16:38:31.54 ID:1Z0D3L59 - 扉は閉ざされている。薄闇の中に点々とともる光のスポット。
薄く埃の積もる床の上に、最近、生き物の通った跡がある。 高い梁の円天井に天使たちが舞っている。柱の間から聖母子像が見下ろす視線のさき、 放置された祭壇の前の空間に身を横たえ、彼女はひとり身を休めていた。 はるかな高さのステンドグラスから差し込む光が、彼女の前に色彩の綾をえがいている。 暗がりに喘鳴が響いていた。そこに繭玉のような彼女の寝所が作られていた。 透明な粘糸が幾重にも張り巡らされ、虹のようにきらきらと輝いている。 粘糸の網の中央に、蜘蛛の巣に絡められた蝶のように震える彼女の姿があった。 鳥に似た翼が自らを抱くように身を包み、羽毛の間から覗く衣の裾が床に広がっている。 長い髪を垂れ、うつむいて眠っている。女の顔をしているが、その年齢は計り知れない。 盛りの頃の美しさの面影はあるが、今は年老い、衰えて見える。 サッカバスクィーン。彼女こそポートスミスを襲う災厄の主。 妖霊たちの集める蜜のような精気は彼女への供物。女王は遺棄された礼拝堂に眠り、 居ながらにして供物を受けていた。 妖霊は頻繁に出入りし、精気を運ぶ。女王は妖霊たちを駆使し、精気を集めてわが栄養とする。 捧げられる精気は糸を伝い、きらきらと光の粘液のように彼女の体に注がれている。 礼拝堂の外では時間が過ぎていった。妖霊たちが精気を運ぶにつれ、町からは男たちが消えた。 ポートスミスの町が無人になったころ、礼拝堂にうずくまる女王の身に変化が起こった。 老いて古くなった身体を捨てるときが来たのだ。 糸に包まれた女王の体が蝋のように硬質化し、ガラスのようにひび割れていく。 丸めた背中が縦に割れて、白くほっそりしたものがそこから生まれる。 それはやがて殻を抜け出した。しなやかな身体を反らせ、背の青白い羽を伸ばす。 長い金の髪が滝のように流れ下る。柔らかい素足がそっと床を踏んだ。 羽化し終えた新たな女王は、若い娘の姿をして立った。 古い殻を弊衣のように脱ぎ捨て、十七、八歳の若さの盛りの肉体を取り戻したのだった。
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438 :名無しさん@ピンキー[sage]:2014/11/27(木) 16:40:32.42 ID:1Z0D3L59 - 女王は透き通るような肌をして、真新しい体の感触を確かめるように手を握り、開いていた。
真新しい体に真新しい心。新女王の精神はいま、まるで少女のように無垢で新鮮だった。 周囲には妖霊たちが集い、「姫様に幸あれ」と口々に呼ばわった。 若き女王は裸身にまとう絹糸を払って、大理石の床に裸足で降りた。 ふっと息を吐くと、息の中から妖霊が生まれて飛び立つ。 男の精気を狩り集め、妖霊という新たな擬似生命を造り、それらを使役してまた精気を集める。 集めた精気で、老いていく身体を再生させ、永遠に若く生まれ変わる。 そのサイクルを繰り返し、何百年も、もしかしたら何千年も生きている生き物なのだった。 羽化したばかりの女王は礼拝堂の半ばまで歩いて、そこにぺたんと腰をつけた。 ひどく疲れていた。再生の過程で消耗していた。 冷たい床に座っていると、妖霊がどこからか毛織物の敷物を探してきた。 女王は空腹だった。待っていると、妖霊たちが食べものを持ってきた。 女王はなんの疑問も抱かず、妖霊の運ぶ食べ物を試した。カビたパンを鼻に当てて嗅ぐ。 幾つかの木の実を口に含んで噛み砕いた。生の魚は臭くて食えない。
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439 :名無しさん@ピンキー[sage]:2014/11/27(木) 16:42:33.16 ID:1Z0D3L59 - 町のあちこちから集めてきたのだろう。貧しい食物を女王はがつがつと食べた。
本能的に食べながら、女王は自分が何をしているのか分からなかった。 自分が誰なのかすら知らなかった。 肉体を羽化して生まれ変わるとき、記憶の大半を失って再生する。ごっそり記憶を失っていた。 女王は顔を上げた。 「私は誰?」 呟きはがらんとした堂内にむなしく響いた。 「私は、私」 青い瞳をめぐらせて、女王は周りを見回した。自分自身のからだを見つめる。 自分が自分であること。周囲に妖霊たちが集まり、女王に向かって囁きかけた。 過去の彼女がいかにして生きてきたか、彼女がいかなる生き物であるか。彼女が誰なのか。 妖霊の囁きに耳を傾けながら、女王は何事か考え続けていた。 思い出すまでもなく、彼女は自分がサッカバスのクィーンであることを知っていた。 どんなライフサイクルを過ごし、何を欲して生きていたかを知った。 なぜ生きるのか彼女は考えた。 口にすると、それはこんな言葉になった。 私は不妊の雌。 私は実りのない畑。 この身は何百の男たちの種を享けても、決して子をなすことはない。 聖母子像を仰ぎ見る。あれは人の子の母。 結婚を神から祝福され、愛する人の子供を腕に抱くって、どんなにか素晴らしいことでしょうね。 妖霊が囁く。おお、クィーン、あなたはただ一人の女王。あなた自身の母なのです。 あなたには人間の精気を狩り集め、次代へ命を繋ぐ役目があるのですよ。 クィーンはじっと考え、やがて決然と言った。 「いやだ。私の体は私だけのもの。誰の手にも触れさせない」
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440 :名無しさん@ピンキー[sage]:2014/11/27(木) 16:44:34.18 ID:1Z0D3L59 - クィーンはこの場所を出る支度をしていた。もうこの町に用はない。
町の各所から妖霊たちに運ばせ、山積みした女物の衣類から、合うものを選んで下着を着けた。 新しいブラウスに袖を通す。下は乗馬用のズボンを選んだ。 長い髪を背にやって、両手を広げて自分を見る。 これでどう? 人間の娘と見分けがつかないでしょう? ご装束は申し分ない。妖霊たちは意見を言った。しかし姫様のお顔は美しすぎます。 姫様の向かう先々で、男どもは姫様の瞳に、頬に、唇に、虫のように吸い寄せられ、 姫様を崇めるでしょう。 そんなのは嫌だって言ってるでしょう。私は私だけの自由になりたい。 クィーンは灯皿の煤をとって頬になすりつけた。 おお姫様、なんともったいない。妖霊たちが口々に嘆く。 深緑色のつば広帽子を取って、金色の頭に乗せた。 立ち上がり、靴のかかとをとんとんとして、二、三歩行き来してみる。 古巣の礼拝堂を歩いていって、扉を大きく開く。 まばゆい光が目を射た。 夜の霊たちが恐れる真昼の日の光が、溢れるばかりに差し込んだ。 戸に手をかけて、クィーンは足を開いて立った。 生まれて初めて浴びるような太陽。熱く、強く、体のなかに入ってくる。 見上げれば高く青い空。 視界いっぱいに見渡す緑の丘。その先に人間の町が広がっている。全滅したポートスミス。 「ああ!」 感嘆の叫びがもれた。クィーンは草の中に一歩を踏み出した。 さあ行こう妖霊たち。広い世界を見て回るのよ。 この世には面白いもの、楽しいもの、美しいものがたくさんあるに違いない。 歩いて、見て、この身で経験しよう。そして本当に生きるの。
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441 :2[sage]:2014/11/27(木) 16:46:35.45 ID:1Z0D3L59 - 木立の中の道の途中で、行き倒れて死にかかっている男を見た。
クィーンは男の側を通り過ぎて、しばらく行って戻ってきた。 銀色の甲冑を身につけた騎士のようだった。近くに馬はいない。 見下ろすクィーンの足元に、抜身の剣が投げ出されてあった。 騎士の体の周りには土に染みて血だまりができていた。ここで戦いがあったのかもしれない。 身を屈めて、クィーンは騎士の兜に手をかけた。 ひとしきり金具をがちゃがちゃとやって、面頬をとると、若い男の顔が現れた。 短く、浅い息を繰り返す。血の気のない顔をクィーンはしげしげと見つめた。 「この人は死ぬの?」 呟くと妖霊がそばに来て、「イエス」と言った。クィーンはぞっと身震いした。 低い呻き。若者は意識を取り戻すようだった。 クィーンは帽子を取り、若者のそばに膝をついた。金の髪が肩に垂れる。若者は目を開けた。 「そなたは」 「通りすがりの者だ。あなたは」 「私は――」 私はこれこれの者だ、と若者は長い家名を名乗ったが、クィーンは聞いた端から忘れた。 ただ黙って頷いた。 「私は騎士だ」 うん、とクィーンはうなずいた。 「あなたは死ぬ」 「そうとも。娘御……。神父はいないか」 クィーンは首を振った。 「神父はいない。見とって差し上げる」 騎士はかすかにうなずいた。ため息のように長く息をつき、仰向けのまま見上げた。 死にゆこうとする者の手を取ると、騎士はそっとその手を離した。 ――私は多くの者の血でこの手を汚してきた。 敵を殺戮することを喜びとしてきた。敵の町を襲撃し、貧しい者から財貨を略奪した。
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442 :名無しさん@ピンキー[sage]:2014/11/27(木) 16:48:36.23 ID:1Z0D3L59 - 「懺悔されるのか?」
「懺悔じゃない。戦闘も略奪も騎士として生きる身には当然のこと。悔いることなどない」 娘の青い瞳が覗きこむ。若者は穏やかな目でクィーンを見つめる。 そなたは美しい。わざと顔を汚しているが、私にはわかる。 私にも以前、将来を誓いあった娘がいた。 幼なじみだった。ともに育ち、ともに遊んで、いつか別れることなど考えもしなかった。 出征する日、私は最後に彼女と会って、必ず帰ってくると言った。きっと、その日を待てと―― だがしかし、本当は、帰るつもりなどなかったのだ。 私は故郷を出て、騎士として生涯を生きるつもりだった。 栄光ある戦場で、諸侯のもとで手柄を上げて、どこか異国に領地を手に入れて。 私は名を挙げた。何人もの敵を作り、そのすべてを剣で殺した。 戦えば戦うほど敵を作った。そんな生き方が私の望みだった。 戦いの残忍さも、策略の卑劣さも、血沸き肉踊る冒険生活の過程の上だ。 結果としてあの娘を裏切った。これは懺悔じゃない。 とぎれとぎれの声のあいだに血の喘ぎが混じった。とりとめのない騎士の話を、 クィーンはまじめな顔で聞いていた。騎士は目を動かして、目でクィーンの手元を追った。 指で、ぼたんを一つずつ外していく。ブラウスの胸元を広げていった。 下着も外す。自分の手で乳房を露わにした。 愛らしいなだらかな曲線。丸みをおびて、つんと尖る。淡い木漏れ日の下で、ミルク色に浮かんだ。 息を飲んでいた青年の青ざめた頬に、赤みが差した。 そして、みるみる土気色に変わった。 喘いで痙攣する胸が、やがて静かに収まっていった。不幸な若者は絶頂し果てて死んだ。 クィーンは若者の死に顔を見届けた。憂鬱な表情で、手早く衣服を直し、膝をはたいて立った。
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443 :3[sage]:2014/11/27(木) 16:50:37.54 ID:1Z0D3L59 - 若い騎士の最後を見取った後、クィーンは急に不安を感じ始めた。
騎士を殺した敵がこの辺りをうろついているかも知れない。街道は物騒だと知った。 死んだ騎士の剣を取ってみたが、クィーンの手には重すぎた。剣は諦めた。 そもそもクィーンは旅立ちに当たって、いざという時に身を守るすべを考えていなかった。 妖霊を呼んで探させても、武器になりそうなものは近くにはなさそうだった。 ポートスミスの町は背後にすでに遠かった。 適当な樹の枝でも見つけようと決め、それまでは丸腰に心細さを覚えながら道を歩いた。 ようよう日が傾きはじめ、クィーンは足の疲れを感じていた。 生まれたばかりの新しい体で、長く歩くなんて初めてだった。 クィーンは道端の石に腰かけ、靴を脱いで足の裏を揉んだ。 歩き慣れない足裏はじんとしてまだ痺れていた。 喉の渇きを覚えたところに、妖霊が野生の桃を取って持ってきた。思わず顔がほころんだ。 薄皮をむいてかぶりつくと、よく熟れて甘かった。溢れ出す汁があごに伝った。 休憩するクィーンの周りに、妖霊たちはかしずくように群れて浮遊した。 呼べば従うこの者たちがいれば、食べものや飲みものは探して持ってきてくれよう。 飲食の心配など、これまでクィーンは考えもしなかった。 靴を結び、道に戻ろうとして、また引き返した。クィーンは木陰に入っていき、そこで用を足した。 午後いっぱいを歩き続けた。道に出会う旅人の姿もなかった。 足は痛かったが、樹上に鳥の鳴く歌を聴きながら、クィーンの足取りは早かった。 なだらかな丘を越え、下ったところに、小さな駅を兼ねた旅籠があった。 クィーンはそこに立って中を覗きこんだ。中に入っていき、馬の世話をしている主人に しかじかの銀貨で一晩泊まれる部屋はあるかと尋ねた。 日が落ちるまでまだ少し間があったが、今日はもう歩き疲れていた。 旅の初日から野宿しないで済むのは幸運だとクィーンは思った。
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445 :名無しさん@ピンキー[sage]:2014/11/27(木) 18:57:24.35 ID:1Z0D3L59 - 日は暮れて、外はピッチのような闇になっていた。
クィーンは宿の一階のフロアに並べられた丸テーブルの、奥のひとつについて夕食を取った。 大麦のパンと温かいスープ。ごつごつの野菜の中に煮縮れた肉片が浮いている。 クィーンはスプーンですくって、冷ましては口に運んだ。塩味ばかりだが無性に美味かった。 ワインが来て、クィーンはグラスに唇を触れて舐めた。 喉を通ると、疲れが溶けて消えて気持ちよくなった。 クィーンのいるフロアの反対側には、夕方着いた隊商の一団が席を占めてすでに飲み騒いでいた。 クィーンが手酌でワインを注いでいると、向こうから盛んな声が飛んで、 「姉ちゃんこっちで一緒に飲まねえか」と誘った。 クィーンはボトルとグラスを手にしてテーブルを移った。 旅商人と護衛との一団は新たな客を迎えて、こりゃあ、えらいべっぴんさんだと囃し立てた。 宿の主人に給仕をさせて、エールの大ジョッキがすでに幾つも空いている。 肉料理の並ぶ大皿の数々は、クィーンのテーブルより内容が豪華だった。 どこから来たのかと聞く男たちに、クィーンは北の方からだと曖昧に答えた。 おう、この先のポートスミスの町はえらいことになっているそうだが―― 話の続く前に、クィーンは酒をあおって料理に手を伸ばした。 歌えや騒げの小宴会になった。主人がリュートを持ってくると、 旅の用心棒たちはいい声で次々に南の歌を歌った。 クィーンにはこれっぽっちも言葉が分からなかったが、酒が効いて気持ちはよかった。 時おりちょっかいをかけてくる男たちの手を交わしながら、分からない冗談には笑顔を返した。 あとはもくもくと飲んで食べた。 大声でやりとりし、様々に変わる人の表情を眺めた。いい加減腹がくちくなって眠くなったので、 クィーンは男たちに招待の礼をのべ、私はもう疲れたので失礼すると言って立った。 「足元がふらついてるじゃねえか、部屋まで送ってやろう」 「無用です。ありがとう」 一度は断ったのに、護衛頭の短髪の男は、二階の階段を昇るクィーンの後を追ってきた。 クィーンは手すりに体重をかけて体を押し上げた。 「手を貸してやるって――」 うるさく手を払う。廊下の奥のドアだと聞いていた。 男は何かと話しかけてくる。クィーンは眠いばかりだった。 ドアの取っ手をがたがた揺すって、ポケットに預かった鍵を思い出した。 取り落としかけて、ひょいと横から手がすくった。 男は笑って、クィーンに鍵を差し出した。 クィーンは鍵を取った。 すげなく礼を言って背を向ける。その手首を取って押し留めた。息が止まった。 「やっぱりな。そこらの村娘とも思えねえ。お前さん、どこぞの家出中のお嬢さんかな」 手が伸びて身体に触れられたとき、かっと身の内が熱くなるのを覚えた。 「きっと親なんかは心配してるんだろう。連れ戻されるのは、嫌なんだろ?」 悲鳴にならない息がもれた。 クィーンの吐息はおぼろな妖霊の形を取り、白い腕を生やして、男の体にずるり巻きついた。 冷たい指が首筋を撫で、男はぐっと呻いて力が緩んだ。 その瞬間、クィーンは男を突き放した。部屋に入ってドアを閉める。素早く鍵をかけた。 息を喘いで、胸を押さえる。ドアの向こうで男の罵る声を聞いたが、やがて気配はなくなった。 階下で騒ぐ声はまだ続いている。動悸が収まらない。 クィーンはふらふらと歩いていって、隅のベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。 クィーンは怒っていた。怯えてもいた。 無遠慮で恥知らずな男というものに、身を守るすべも知らない自分の愚かさに。 言いようもなく情けなくて、ぺたんこの枕に顔を埋めた。 泣くつもりはなかったのに、そうして自分を抑えている間に、クィーンはいつしか眠っていた。 気持ちはシーツの柔らかさに溶けていく。旅立ちの最初の夜を泥のように眠った。
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