- 【田村・とらドラ!】竹宮ゆゆこ 37皿目【ゴールデンタイム】
544 :名無しさん@ピンキー[sage]:2014/10/19(日) 21:16:26.41 ID:1WqQSC8C - 投下する人もいないくらい寂れているようなので、手慰みに書き殴ったのでも上げてみようか
GTゲーム版『ヴィヴィッドメモリーズ』より、岡千波80点ED(グッドED)の後日談 (ちなみに、岡ちゃんには100点EDはありません) なんか長くなったので、今回は途中まで
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545 :徹夜明け 1[sage]:2014/10/19(日) 21:17:55.46 ID:1WqQSC8C - 多田万里がパソコンに向かっている。
液晶モニターに流れる動画を、真剣なまなざしで凝視し、時おり手元のマウスで一時停止。修正しては、少し巻き戻して見返す――そんなことを、ずっと続けている。 パソコンは自前のノートではない。国内マイナーメーカーのデスクトップ、それも四年前の型落ちモデル。大学のパソコンルームに備え付けの代物だった。 蛍光灯に照らされ、煌々と明るい室内に、人影はしかし、少ない。万里のかたわらで椅子に座り、肩を寄せてモニターを見つめる女子の他には、誰もいない。つまり二人だけ。 窓ガラスはマジックで塗りつぶしたようにベッタリ黒くて、外の闇が濃いことを教えている。当然だろう。もう街灯も、ビル街の明かりも、ほとんど消えてしまっている時間帯だ。 ここ数日、万里はパソコンルームに入り浸り、カチカチ、カチカチと、飽きることも知らず、火が点きそうな勢いで、ひたすらクリックを繰り返している。 撮り溜めした動画の編集を、朝から晩まで――いや時には、こんなふうに『朝から朝まで』かけて、行っている。 〆切が近いのだ。 11月中ごろに予定されている、『関東エリア・映画サークル合同発表会』という催しへの、出品作品。 福来大学の映像研究会では、メンバーを小チームごとの単位に分けて活動を行っている。万里と岡千波は、同じチーム――今は実質、二人だけのグループ――であり、ここのところ、講義の合間を縫うように作業を繰り返していた。 そして今夜、作業はラストスパートに入っている。 「うっし、ここはいいかな。じゃあ後は、もういちど通しで音声チェックやって……次が、いよいよエピローグ部分か」 「えへへっ、ここまでやってくると、やっぱ感慨深いものがあるよねぇ」 「うん……」 彼女の言葉に、多田万里は、疲労と眠気で、泥の仮面のようだった顔を、ホゥッとほころばせる。 ひどいツラだった。 かりにも生きていた頃の俺自身のツラを悪くいう趣味はないが、まるで顔のパーツが●と▼だけで構成された、絵本のお化けみたいだ。不思議な踊りとか踊りそうな。 ただそれでも――顔のゆるみ具合とは別に、万里に気力が漲っているのは分かる。まだまだ先に行ける、いや、もっと行きたいと、フニャフニャの笑顔の底が訴えている。 そしてそれは、隣の女子も、同様だ。 「よーし、ファイトだっ、万里っ、だーっ」 「だーっ」 へにゃっと、二人は互いの微笑みを、デミタスカップのコーヒーで乾杯するように、そっと交わしてから、再び画面へと意識を戻していく。 作業は、そろそろ終わりが見えてきていた。 壁に掛かる時計の針は、大きく開いた右扇を描いている。 夜明けまで、あと数時間。 いまや、過去という荷物の番人にすぎない俺に出来るのは、ただ二人を見守ることだけだ。 頑張れ、多田万里。 頑張れ、岡千波。 ***
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546 :徹夜明け 2[sage]:2014/10/19(日) 21:18:48.21 ID:1WqQSC8C - 「――っしゃあ! 終わったぁー!」
そう、大きく快哉を叫んだ、次の瞬間。 周囲からクワッ、クワワッ! と押し寄せた殺視線に、多田万里は「ひっ!?」と、身を縮こまらせた。 大学のパソコンルーム。 窓の外がほんのり明るくなり、雀の子らがチュンチュク朝を告げ、登校してきた学生たちの声が辺りにガヤガヤ満ち始める頃になると、二人の貸し切り状態だったパソコンルームにも、少しずつ、他の人が入り始めた。 学校のパソコンルームを使おうとする学生の目的は、たいていが決まっている。レポートだ。 一昔前なら、ヒマ潰しにネットやゲームをここでやる学生も多かったろうが、きょうびはスマホ1つあれば、時間を潰すのに困ることはない。 もちろん、持ってなかったり、通信費の節約だったりで、この部屋のパソコンを使う奴も、まだまだいるだろうけど……それよりはあちらの方が切実で、需要が高い。 レポート。 つまりは課題である。宿題である。 ワードで小難しい文章を打っちゃったり、エクセルで綺麗に円グラフを作っちゃったりしなければならない、アレだ。 本から引用する場合は、いちいちその部分を『』でくくり、本文の末尾には出典元を一つ一つ明記しなければならない、ウルトラ面倒くさい、アレだ。 モニターで点滅するカーソルと、手元の本を、何度もチラチラ見比べなければならない、アレである。 それも、ただの本ではない。 一目で図書館から借りてきたと丸分かりな、固く分厚い、海老茶色のハートカバー。背表紙にはキンキラ金紙で、漢字だらけのタイトルが印刷された、普通に本屋に行ったなら、まず手に取らない学術書たち。 たとえば、そこ席の――『明治初期の商業法制と、二十世紀東アジアの貿易事情に関する概論』――とか、すさまじく長くて、漢字だらけだ。 タイトルだけで30字とか。うち漢字が20字とか。 中身もただものではない。ページを開くと、ぺリぺリとインクが剥がれる音がする。 年代物になると、古代の妖術師の記した禁書よろしく、開いた途端にオドロオドロしい、呪われた沼みたいなカビの臭いが、むわわっと立ち込めたりして、ヤバイ。 文面は期待を裏切らず、呪文のごとき、ひたすら小難しい言い回しや、主語と述語がはっきりしない、長々とした文章に満ちていて、気が付けば寝落ちしている、といった事態も多々。 そんな書物との格闘が――ほら、見回せば今も、この部屋のそこここで、繰り広げられている。 かように、レポートとは面倒で、憂鬱で、ときに臭い作業で。けれど単位が掛かっている以上、逃げることの出来ない戦いで――。 そう、パソコンルームとは、いわば、大学生にとっての戦場と言っても過言ではないのだ。 万里自身、すでに半年をこのキャンパスで過ごし、この戦場での、鉄の掟を身に刻みこんでいた。 『パソコン部屋で、でかい声を出すな』 ――そう、分かっていた、はずだった。 「あ、あう、ご、ごめんなさっ――し、失礼しましたぁ」 背中を丸めて、すごすごとモニターの影に隠れる万里を、クワワワッと厳しい視線がホーミングする。 ヒイッと、万里は悲鳴を喉の奥へ飲み下す。 考えてみれば、当然の反応というヤツだろう。 たとえば、自分が今まさに、今日が提出期限のレポートの追いこみとかやっていて、その隣でノーテンキに明るい声で「終わったぁ!」とか叫ばれたら――うん、きっとこんな目になるに違いない。 全ては自業自得。小学生のガキみたいに、分別なく叫んだ、己のバカさ加減が原因だ。 震えながら、万里はこの後の展開を想像する。 袋叩きか? それともあそこの席の、ラグビー部っぽいガタイのいい男達から「おう一年坊主、騒いだ罰として、オメー俺らのレポート、代わりに仕上げろよ」とか言われちゃうか? 戦慄とともに、万里が生唾を飲んだ、その時だった。
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547 :徹夜明け 3[sage]:2014/10/19(日) 21:19:59.77 ID:1WqQSC8C - 「すいませ〜ん、みなさん集中してるトコ、お騒がせしてゴメンなさいっ」
ふわわ〜ん、と、耳を蕩かすミルキィボイスが響く。途端、絞りたてのピリピリレモン汁に、袋いっぱいの砂糖をぶちまけたように、殺気あふれる空間がグニャリと歪んでいく。 万里の隣に座っていた女子が立ち上がって、ペコリンっと頭を下げていた。 ちっちゃくて可憐で、まさに『女の子』という形容が相応しいその姿に、たちまち殺気立った学生たちの目元が、ほにゃにゃ〜んと緩んでいく。 腰まで伸びた黒髪は、まっすぐなストレート。 クリッと大きな瞳は、ツヤツヤのドングリみたいに無邪気な光を宿し、見つめる相手の怒りや苛立ちを、ぷしゅんとガス抜きしてしまう。 色白で小さな顔は、甘く幼い造作だけど、鼻梁がスッキリと通っていて、どこか外国の子役俳優を思わせる。 圧倒的に、カワゆい。 「可愛い」でも「カワイイ」でもなく、「カワゆい」。 キュートさでは、おそらくこの大学でトップの女子。ザ・キューテストな『映研の妖精姫』こと、岡千波だ。 その魅力も、しかし今は、二割減といったところ。 なにせ徹夜明けである。潤いの飛んだ髪は、砂漠を走破してきた馬の尻尾よろしく乱れて絡まり、赤ちゃんみたいにスベスベだった肌も、砂を浴びたように荒れている。 それでもなお、陽光のごとき彼女の笑顔に当てられて、苛立っていた学生たちは、デヘヘとだらしなく相好を崩しつつ、自分達の席へ引っ込んでいった。 ほっと、命拾いした万里が息をついていると、千波は唇を尖らせながら、間抜けな男を見下ろしてくる。 「も〜、ダメじゃん。たしか今日、木3の《法学基礎》レポート〆日とかで、ピリピリしてる人が多いんだよ」 「あぁ、1・2年次必修の? そっか、しくったなぁ」 フォローありがと、ごめん、と頭を下げると、千波は苦笑しながら「講義、今日は何もなかったよね?」と訊いてくる。 「とりあえず、出来あがったヤツはUSBに落して、後で改めてチェックするってことにして、今日はお休みにしとこう。発表会には、まだ三日くらい余裕あるし」 「うん。なんつーか……とりあえず、なにか食いたい」 「あたしも、すっごいおなか空いちゃった」 にゃははっと、千波の笑みが一層大きく、柔らかくなって、万里は眩しいものを見たように、目を細めて笑った。
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548 :徹夜明け 4[sage]:2014/10/19(日) 21:22:26.64 ID:1WqQSC8C - ***
午前10時の学食は、まだガラガラに空いている。 窓際の席を確保した二人は、しばし無言のまま、餓えたリスの兄妹みたいに、モクモクッと食べ物を詰め込む作業に集中した。 万里は定番のコロッケカレー。千波は〈海と山の幸スパゲティ〉という、なんか豪華そうなメニューだ。 昭和の香りがする命名センスに、ちょっと台無し感があるが、パスタなんてお上品な呼び方は、この学食ではしない。 中身もじつは、名前ほどスゴイものではない。伊勢エビがデーンッとか、栗の実がキラーんっ、とかは無い。 たらこスパゲティ(290円)と山菜スパゲティ(300円)の具材をミックスした、お値打ち価格の390円(税込)だ。 それでも、コスパはコロカレの方が圧倒的にいいのだけど。 「ング――ふはぁ、ごっそさん。ようやく落ち着いた。さっきまで腹の底がねじ切れそうだったよ」 ガツ、ガツツッとカレーを食い尽くし、コップの水を一気飲みしてから、万里は溜め息にも似た呼気を、ゆっくり吐き出す。 向かいの席の千波は、まだ、頑張って小さなお口でスパをチュルチュルと吸い込んでは、果物でも味わうように、時間をかけた咀嚼を繰り返している。 「――っ、ふぁっふぉ、ふぁーふぉふぉっ、ふぉーふぉふぉふぉ」 「岡ちゃん、喋るのは食ってからでいいから」 宇宙忍者みたいになってるガールフレンドにそう告げて、万里はパイプ椅子の上で、唸りながら伸びをする。 ようやくひと心地ついた。なにせ徹夜明けは、無性に腹が減る。 夜通し脳みそを使うせいで、体内カロリーが不足するのか、窓の外が明るみ始める時刻になると、万里の胃袋は、底が捻じれるような空腹感を、泣いて訴えるのだ。 ――まあ、まだちょっと、物足りないような気がしたりするけど――いやいや、これはさすがに気のせい。 徹夜明けで、身体の感覚がちょっとおかしくなっているのかもしれない。さっきから瞼が熱くて、腫れぼったい気がするし、頭の中にバイブ携帯を落っことしたみたいに、こめかみがヒクヒクしてるし。 「んくっ――ふぅっ――はは、すごかったよねぇ、6時くらいに鳴った万里のお腹。あたし、この間のテレビで見た、トドの遠吠えを思い出しちゃった」 「と――!? し、失敬な! 俺のはせいぜいアザラシだろ。ゴマちゃんみたいな、可愛い声だったろ?」 「えぇー? それはないよ。まあ、毛が生えかわってムックムクに大きくなった、5歳くらいのゴマちゃんなら、ああいう声かもしんないけど」 毛ほどの容赦もない追い打ち。ミルキィボイスでぶつけられた冷徹な言葉に、万里はぐぬぬと眉をしかめる。 ある意味、許し難い言葉だった。 ゴマちゃんが5歳児になるとかいう発想自体が、既にして冒涜的なのだ。 アシベが何度、小学1年を繰り返したと思ってる。4年以上たって、ようやく2年生に進級だぞ? そう、時の流れなど、考えてはいけない。モコモコな白い毛皮は、永遠の白無垢。絶対の癒し。エターナル・イノセントだ。こればかりは、たとえ千波であったとしても譲れない。 そう反論しようと、口を開いて――しかしその瞬間、ゴロロ、ギュルルッと、あってはならない音が、下腹部から鳴った。 己が肉体の裏切りに、万里は硬直する。 千波が、驚いたように目を丸くし、すぐに意地悪な、いたずら姫の目付きになる。 いや、いやいやと、万里は見苦しく首を振った。 さすがに生後5歳のゴマフアザラシほどではない。 せいぜいが、実家の飼い猫「ばんり」ちゃんが、甘えて喉を鳴らす時くらいの音だ。 だからノーカン、今のはセーフ、だよね、だよねと千波の目を見るが、 「あは、あははっ、万里、どんだけお腹、あっははははっ」 無理だ。 当然だ。コロッケカレーの後で、これは――これはないだろう?
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549 :徹夜明け 5[sage]:2014/10/19(日) 21:24:06.55 ID:1WqQSC8C - 「あはははっ――、あ、あんなに食べて、まだ足りないの? ふ、ふふっ――じゃあ、一口くらいなら、あたしの分けたげても、いいよ?」
「ぇ!? ま、まじで?」 予想外の申し出に、万里は目を丸くする。 なんと気前の良い――さすが岡さま、彼女さまと、平身低頭の構えをとる。 「いや〜、大盛りにしたんだけど、ちょっと多すぎたかなって、今になって思って。あたし、身体あんま大きくないし」 「そ、そいつはありがたい」 実際、黙ってはいたが――徹夜作業で脳内カロリーを使いすぎたのか、単に胃袋がバカになっているのか、コロッケカレー完食にも関わらず、実はまだ、微妙に物足りない気がしていた。 ならばこれは、渡りに船。 「にゃはは――それじゃあ、はい――どうぞ」 器用にフォークを回して、千波はスパを巻きとると、差し出してくる。 ――万里の目の前に。直に。 一瞬、その意味が分からず、万里はフリーズ。 え、なに――これ? もしや、もしや伝説の……アレをやれと? 「ささ、口開ちゃって。あ〜ん」 天真爛漫な妖精系プリンセスが、可愛らしい声で、そんなことを仰ってきた。 「お、おぉ、岡ちゃん?」 「ほらほら、今日だけの特別サービスだよ。いらないの? なら、あたしが全部食べちゃうよ?」 戸惑う万里の鼻先からフォークを引っ込めると、千波はパクンと、可愛らしいピンクの唇で飲み込んでしまう。 「ん、っ――結構おいしいね、コレ。値段の割に、そんなに悪くないよ」 言いながら、またスパを巻き巻き、 「万里が要らないなら、しょうがないよねぇ」 「お、ぉ――」 またこちらの鼻先に、ひらひら。 猫じゃらしに惹かれる「ばんりちゃん」よろしく、万里の視線がフォークに吸い寄せられる。 既に頭には、理屈っぽいことは何も浮かんでいなかった。 見えない鉢巻きを何度も捩じって締めてるみたいに、さっきから額がキツイ。眉間にキュウッと血が集まって、熱を持った目は、ギンギンに見開かれてくる。 なんか、テンションが熱い。 空腹、そしてとにかく、動きたいという衝動が、腹の底からグツグツと湧きあがり、追い立てられるようにして、万里はグッと上半身を伸ばし、 「ング!」 「ひゃ!? あは、あはははっ」 跳ねるようにして、千波のフォークに喰らいついていた。 頬の粘膜で吸いつくようにして、チュルチュルと麺を啜りながら、口を離す。 唾がフォークに絡んで、千波が「うきゃ!? 汚ったない!」と悲鳴を上げるが、そんなものは無視して、万里は咀嚼。 「んぐ――お、おぉ」 たらこソースの塩味に、水煮にしたゼンマイのしゃきしゃきとした食感と、トロッとしたナメコの舌触りが、中々にマッチしている。たっぷりと振られた刻み海苔の香りが、またなんとも。 これが400円超えなら、考えてしまう所だが、値段設定も絶妙。400円と390円では10円しか違わないのに、390円と聞くと、万里もまた、なんとなく出してもいいような気分になる。 「う、うまい――わりと」 「でしょ? てか、あ、あ〜、あたしのフォーク、万里のでベットリだよぉ」 「い、いや、でもそれは――挑発したのは、岡ちゃん――千波じゃん」 「だってさぁ、ほんとにパクッてくるんだもん。ひょい、パクぅッ! て。――ふ、ははっ」 「――はは」
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550 :徹夜明け 6[sage]:2014/10/19(日) 21:26:27.51 ID:1WqQSC8C - 忍び笑いを洩らす千波につられて、万里も笑う。
が、ふとうなじの辺りにチクチクした感覚を覚えて、そっと辺りを見回すと――さっきまで人の姿が疎らだった食堂は、いつの間にか、人口密度が増えている。 多くは、早目の昼をとっておこうという学生たちだろう。 で、そんな彼らの何割かが、こっちを見ている。 通りしな、チラチラ覗き見してくるのはまだいい方で、あからさまにニヤニヤ笑ってみせたり、Ha・ze・ro! といった目で睨んでくる男女も。 途端、自分が見知らぬ人々の目の前で、何をやったのか意識されて――万里はテーブルに突っ伏した。 「う、ぅぁぁ」 「にゃはっ、今さら周りが気になってきた? ダメだよ、うかつなトコで、バカップルやっちゃあ」 「さ、誘ったのは、千波のくせにぃ」 万里が女々しく責任転嫁を続けると、千波は怪しげな半月型に目をすがめながら、ふひひと、イケないクスリでも決めてるみたいに笑う。 窓から差し込む、11月の薄い日差しが、その虹彩に弾けて、一瞬、栗色の瞳が、ウィスキーのような琥珀に揺らめく。 ――なんかね、急に『こういうの』がしてみたくなったの。 「ヤバいな。あたし、今ちょっとテンションが変だ。あは、ははっ」 「はは……俺も。なんか、ぜったい変。これ、徹夜明け、だからかな?」 「絶対そうだよぉ、こんなこと、あたしだったら、しないし!」 「だ、だよね。でも現に、こうして、やっちゃってる」 「ひひっ、ほんと、バカみたいだよね、あたし達。ふ、フフフッ」 「はは、あははははっ」「にゃはははっ」 顔を突き合わせてバカ笑いをあげる様は、どこからどう見ても、完全無欠のバカップル。 「ギルティ、オア、ノットギルティ?」と道行く人に訪ねれば、100人中86人くらいが「ギルティ!」と即答するレベルだ(ノットと言う奴らは同類)。 しかして実際、多田万里と岡千波は、恋人同士で間違いない。 この春、福来大学に入学して知りあった二人は、共通の友人や、サークル活動を通して、親交を深めていった。 仲良くなる一方で、万里は記憶喪失という、自身の重い障害を打ち明けざるを得なかったが、千波は『映画作り』という、自分なりのやり方で、ありのままの万里を受け止め、肯定してくれた。 そうした過程を経て、夏休みに、二人は晴れて恋人同士として交際を開始して、今に到る――――の、だが。 本人が言うように、千波は、いまどきの大学生としては、かなり身持ちが堅い。 恋人同士になった今でも、『本番』はおろか、キスでさえ、付き合い始めの1回と、この前のサークル発表会の夜の1回――都合2回しか、許してもらえていない。 小学生なみの清い交際だ。 まあ本人のガードだけでなく、万里自身、ああいう容姿の彼女に、積極的に行為をねだる気になれない、というのもあるのだけど。 そうした事情を考慮すれば、今の状況は、やっぱりおかしい。なんか普通じゃない。 嫌では、ないけど。 「ふー、ごちそーさま」 万里のでベットリ、とか言ってたフォークを取り替えもせず、千波はそのまま同じフォークでスパを食い終える。 そうして小さなお腹を満足げにさすると、立ち上がって、二つのトレイを、器用に左腕だけで抱え込んだ。 「あたし、ちょっとお手洗い行ってくるから。万里のも、一緒に片づけとくね」 「ありがと。じゃあ、俺は飲み物もで買っとくよ。何がいい?」 「んー、今は緑茶の気分かな。さっぱりしたのがいい」 「オッケー」 オサレCAFEのバイトで鍛えているだけあり、千波は小柄な体躯に似合わず、軽々とトレイを取り回して、軽快に歩いていく。 とても完徹明けとは思えない足取りだった。 まるでガーリーモードのファッションショーで、新作バッグでもお披露目するような、華麗なステップ。すれ違う学生達が次々と振り返っては、細い足首あたりをガン見している。 さすがだなぁ、と見送っていると、万里の背後からも、聞き覚えのある声で、称賛があがった。 「いやぁ、やっぱセンスが良いっていうか、独特の雰囲気あるよなぁ、千波」 「だねぇ。なんか歩いた所から、固有空間というか、緑の森的な、岡ちゃん時空が広がっていくみたい。シシガミ様ならぬ、チナガミ様って感じで」 「お前、それ全然、褒め言葉になってないから」
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551 :徹夜明け 7[sage]:2014/10/19(日) 21:29:52.94 ID:1WqQSC8C - 背後に立っていたのは、スラッと背の高い――少女マンガから抜け出してきたようなイケメンだった。
涼しげな目元に、すっきりと形のいい鼻、シャープな顎のライン。 ロイヤルブラウンに染められた髪は、ゆるくパーマが掛けられて、フワフワのサラサラ。 外見だけならば、まさに貴公子と呼べるこの男こそ、万里の親友。赤貧学生こと、柳沢光央だ。 柳沢は、唇の端で笑いながら、万里の肩を軽く小突いた。 「見てたぞ。なんだよ今の。まだ日も高いうちから、お熱くやりやがって」 「あ、いや、その――」 万里は気まり悪げに眉を寄せ、口ごもるしかない。 この男前な友人も、かつては千波に片思いを寄せていた。 だが、春のコンパの席上で、無謀にも勢い任せの告白を敢行した挙句、あえなく撃沈。 紆余曲折を経て、今はなんとか、彼女とも友人関係を再構築している。 もちろん、万里と千波が付き合い始めた事は、柳沢も既に周知の所だ。その時には、笑顔で祝福もしてくれた。しかし―― やっぱ自分が失恋した子が、友達と付き合うとか、面白いわけ無いよなぁ、と万里は未だに気まずい思いを捨て切れていない。 そんな友の内心など、とっくにお見通しなのか、柳沢は困ったように笑った。 「んな顔すんなよ。仲良くやってるみたいで、なによりじゃん」 「ん……」 「あのさ万里、もう一度言っとくけど、俺のことは、あんま気にしないでくれ」 そう言って、柳沢は目を細める。 優しい目だ、と万里は思った。 誰に向けた優しさなのだろう。目の前の自分か、この場にいない千波か、それとも。 「なんかさ、最近になって、ようやく前の自分を、ちょっとは冷静に振り返れるようになって、『ああ、俺ってダメな奴だったんだなぁ』って、つくづく思った」 「え? いや、やなっさん――」 「あ、勘違いしないでほしいんだけど、あん時みたいに自虐的になってるわけじゃない。ほんと、冷静に受け止めてるっていうか――そうだな、反省? いや、『納得』かな? それが一番近いかな」 自分の心の形を、少しずつ手探りで確かめるように、柳沢はゆっくりと口を開く。 「あのコンパとか、いま考えると俺、すげーバカだったなと。酔っ払った揚句、人の煽りに乗って告白とか、相手にすげー失礼な態度だし、 そんな冗談か本気か分からないような告白されたら――もし俺が女だったら、あぁ、そりゃ腹も立つよなって、今さらながらストンと腑に落ちてさ」 でもさ、と頭を掻きながら続ける。 「バカな形で告白したっていう事実よりも、それ以上に、ちょっと前までの俺ってば、そんな無神経なヤローだったんだなってことの方に、びっくりしたっていうか」 「え……?」 「なんつーか、相手の気持ちを考えるっていう発想自体が、無かったんだよな、俺。さんざん香子のこと、『人の気持ちを分かろうとしない』って責めたのに、 その俺自身が、あの体たらくだもん。ああぁっ! て感じだよ」 「やなっさん――」 「だからもし、あのコンパでの告白が無かったとしても、きっと俺じゃ、千波の相手は務まらなかったんだろうなって、今は思う」 静かに言ってから、柳沢はそっと目を閉じて、かぶりを振り、 「いや、むしろ――千波に振られて、良かったのかもな」
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552 :徹夜明け 8[sage]:2014/10/19(日) 21:31:55.33 ID:1WqQSC8C - おいおい、と、さすがに万里は不安になる。
どうしたのだ。反省したのは良いとしても、そこまでいっちゃうなんて。 なんかの宗教にでも引っかかったみたいな、柳沢の、気味が悪いくらいに、潔い態度に、万里は内心で、冷や汗をかく。 まさか今さら、あの宗教団体とかに、ハローネオチルドレンされちゃったなんて事は、ない――はずだが。 「ど、どうしちゃったの? なんか悟ったようなこと言って」 「おいおい、俺がこういうこと言うと変か? まあ、自分でもらしくないかもって思うけどさ」 苦笑しながら、柳沢がまた、万里の肩を小突く。 「どうせ、なんか変なモンでも食ったのか、とか、そんなこと考えてたんだろ?」 手をひらひらさせながら、友人は「いや、これ、マジに反省したんだって」と、笑って見せる。 「千波はさ、今もニコニコ笑って友達を続けてくれてるけど――これがもし他の、もっと繊細な子だったら、俺、すげー酷い傷つけ方をしてたかもしんない。もし、それで」 いったん言葉を切り、唇を湿らせてから、柳沢は視線を落とし――、 「それで、その子が、たとえば男が苦手になっちゃったり、人間不信になったり、最悪、大学が嫌いになって出てこれなくなったりしたら――って考えたらさ、今の方がまだラッキーだなって」 「そりゃ……確かにそうかもしれない、ね」 「だからまあ、大学に入ってから最初に好きになったのが千波で、んで、あんな風に気持ちよく振ってもらえて、結果オーライだったかもな、とか思ってる。後はこの経験を、どう次に活かすか、だな」 そう言った柳沢は、ちょっとはにかんだように視線を逸らして――その横顔を見て、あぁ、と万里は悟った。 あぁ、なるほど、合点がいった。 柳沢は、また新しい恋を始めたのだ。 そのピカピカ眩い、生まれたての恋心を、今度こそ間違わずに組み立てるため――その手掛かりとして、千波との苦い過去を、前向きに捉え直し始めている。 「……相手は誰? 俺の知ってる人?」 「あー、いや、まだ、そういうのじゃ、全然ないから」 頭を掻きながら、柳沢は明後日の方に目を飛ばす。 「今の俺、まだダメダメっつーか、あれから、たいして成長したとも思ってねーし。もっとさ、顔だけでなくて、 中身も磨いて、ホントにイイ男にならなきゃなって、今はそう思ってるトコ」 「うん――俺、応援するよ」 ありがとな、と柳沢は小さく告げて、照れ隠しなのか、万里の背後に回ると、首に腕を回す。 結構力が入っていて、首が、ギリギリ鳴るよう――ていうか、痛い。 「て、痛てててっ!? くる、くるしっ!」 「やっぱ、お前はイイ奴だっ! 恋愛もいいけど、同じくらいに、イイ友達も貴重だよ!」 「そ、それはいいから――たたたっ!?」 「お前が友達で良かったよっ、最高だっ」 そうして不意に、柳沢は声を落とし、内緒話のトーンで耳元に囁く。 恥ずかしがるような、上擦ったヒソヒソ声で、 「――ちなみに、もうヤッた?」 「っ!?」
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- 【田村・とらドラ!】竹宮ゆゆこ 37皿目【ゴールデンタイム】
553 :徹夜明け 9[sage]:2014/10/19(日) 21:35:31.83 ID:1WqQSC8C - その反応で、察したのだろう。
柳沢は自分の言葉に、今さら照れたように、小さくはにかんだ。 「そうだろう、とは思ってたけど――清らかなお付き合いだよなぁ、お前ら」 「や、やなっさんに、そういうのは言われたくないって」 いや万里、と、照れたような声のまま、しかし柳沢は、頑固に言葉を続ける。 「ゆっくりのペースでっていうのは、全然いい事だけど――足踏みしたまま停滞するのは、関係が綻ぶ原因だそうだぞ」 「それ、誰の言葉?」 そう尋ねた途端、柳沢の表情が、逆さにした福笑いみたいに、ボロボロと崩れた。答える声には、木枯らしのような、寒々とした響き。 「茶道部の先輩達……。この間、クラブのバイトの打ち上げで、行った先の飲み屋で、ばったり遭っちまった……」 「ファ!?」 「あの先輩達も、なんでか知らんが、お前の動向をチェックしてるみたいだぞ……気をつけろ……」 「き、肝に銘じる……っ!」 「――まあでも、そういう事なら」 と、気を取り直しつつ、柳沢は悪戯を持ちかける悪ガキ仲間みたいな調子で、耳元に囁く。 「これ、持ってけよ」 言って、グッと、万里のジーンズの尻ポケットに、何かを押し込んだ。 「や、やなっさ――」 「この間から始めたドラッグストアのバイトで、店長がくれた。なんか豪快なオバサンで、俺はこういうの、沢山いるだろって」 なんとなく、中身が想像できてしまい、万里は口をつぐむ。 どうしよう。 いや、いいよ、いらないよ、とか言うべきか――いやけど、必要、になるかも、だし――。 「あぁーっ! ヤナってば、あたしの万里に何してんだよっ!」 響き渡った可愛らしい声に、万里は弾かれたように首を上げた。 手洗いから戻ってきた千波が、頬を膨らませながら、こちらに近寄ってくる。 その小走りするさまも、どこか、月夜の森を駆ける妖精みたいな風情で、万里は後ろの男ともども、にへらっと気の抜けた表情になる。 ていうか、「あたしの万里」かぁ――身長5センチくらいの、羽根の生えた女の子とかが出しそうな声で、所有格で名前を呼ばれると――もうなんというか、魂を吸い取られるような心地がする。 これぞまさに、岡レシアの甘い毒蜜。 「もー、ヤナ! 万里で遊ぶのも、ほどほどにしてよ。手荒く扱ったら、壊れちゃうんだよ?」 ――千波に壊されるんなら、それもそれで――とか万里がアホな妄想をしていると、万里の首を決めた柳沢が、悪ノリを始める。 「くっくっく、千波ぃ、悪く思うなよ。お前の彼氏が、あんまりイイ男なんでなぁ、つい欲しくなっちまったんだよぉ」 「ちょ!? やなっさん、それ洒落にならないから! ほら、二次元くんの友達の愛可さん! どっかに潜んでいたら、コトだよ!」 「ぬ、ぬわっ!?」 ノンケのバカ二人、慌てて互いの体を突き飛ばし、周囲を見回す。 さっきから繰り広げていた漫才で、学食に集まった学生達のうち、何人かが、こちらを白けた目で眺めているが――よかった、あの腐った女戦士(悪口にあらず)の姿は無い。セーフ。 「ふう、パターン白。命拾いしたぜ……」 「あぁ、パターンBL(ブルー)の反応があったら、危なかった。これが、狡猾にして淫欲あふれる、オカ狭間の肉の罠……」 「恐るべし、下の花……あだっ!?」 「ひでぶっ!?」
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554 :徹夜明け 10[sage]:2014/10/19(日) 21:36:17.19 ID:1WqQSC8C - パンッ、ガス! と千波が振り回したデイパックが、失礼なヤローどもの顔面をぶっ叩く。そうして叩いてから、千波はしかめっ面をこさえ、慌ててバッグを手元に引き寄せた。
「んにゃぁ、しまった! USBの入っているバッグで叩いちゃったじゃん。もう! データが飛んでたら、どうしてくれんのっ」 「だ、だいじょぶ……俺も、持ってるし……」 「あたしのが壊れてたら、また万里から貰わなきゃダメでしょ。もうっ、これから万里んとこに寄るから! ノート借りてチェックするから、壊れてたらその場でちょうだい!」 え――と、お姫様からの突然のご下命に、万里は目を見開く。 家に来る? これから? 「いや、いやいや、それはとんだ御冗談、掃除とか全然やってないし――ひっ!?」 言い逃れを試みる万里のマヌケ面に、可愛らしい顔を怒アップで近づけて、千波は万里を睨む。 息がかかる距離で覗きこんだ大きな瞳は、やはり、こぼれるように愛らしいが――よく見ると、大きく剥かれた白目に、血走った筋が幾つも浮いて、血が滲んだようになっている。 目の下には、濃いクマが影となってこびり付いて、これも恐ろしげだ。 だから、あれほど森の外へ行ってはいけないと言ったのに――! 掟を破って外に出た挙句、初めて魔物と遭遇し、相手を殺してしまった後みたいなギラギラした目で、千波は万里を睨む。 「今さら変な照れとか、要らないから。それよりも、優先するべきは?」 「さ、作品です……」 「よろしい」 闇に染まった邪妖精か、子供部屋に巣くう妖怪といった風情の千波に気圧されて、万里はそれ以上の抵抗が出来ない。 こんな突然、部屋に御来訪とか――マジですか? 落ち着かない動悸を持て余して、万里はそっと胸に手をやる。 パソコンルームの名前を出さなかった理由は、なんとなく分かる。 もうこれ以上、あの部屋の空気を吸いたくないという、互いの暗黙の了解だ。 「まったくぅ、あと三日くらいしかないのに、最終チェック――っ。それじゃあ、ヤナ、バイバイッ!」 「おうっ、悪かった。頑張れよ千波、万里!」 小柄な腕に掴まれ、連行されるように万里は歩き出す。 そっと振りかえると、柳沢は腹立たしいくらいのいい笑顔で、親指を立てていた。 ***
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555 :徹夜明け 11[sage]:2014/10/19(日) 21:38:17.00 ID:1WqQSC8C - 振りかぶった手でクッションを叩くと、バフッと細かな埃が舞い上がり、晩秋の薄曇りの空へ散っていく。
頬をさらう風には、微かに、枯れ葉と、山の水を思わせるような透き通った匂いが混じっていて、故郷の冬を思い出させた。 ベランダからの眺めは、いつもとそう変わらない。向かいの雑居ビルやマンションの、灰色の外壁。その下に広がる、一軒家や、横長のアパートの、モザイク状に並んだ、赤や茶色の屋根。 そんな眺めも、けれど今の万里には、あまり頭に入ってこない。 バフバフと、2、3回、埃を落としてから、もういいか、と切りあげる。 ベランダから室内へ戻り、万里は戸を閉めた。念の為、もう一度部屋の中を見回すが、目に付くゴミは……うん、無し。 「よし――お待たせ、さあ入って、入って」 「おっじゃまっ、しま〜す」 跳ね上がるような声で言い放って、ドアをくぐった千波が、上りがまちへ腰を下ろす。 さっきまでプリプリの「おこ・ちなみ」だった彼女様だが、ここまで歩くうちに気が晴れたのか、声の調子は、若干機嫌が治っているようにも思える。 まあ、恋人として3カ月近く付き合った今では、千波が決して、表面どおりの単純な子ではない事も、分かっているが……。 だからこそ、今の彼女は、やはり変かもしれないと、万里は疲労と緊張の回った頭で、ぼんやり思う。 今日の千波は、はしゃいだり、怒ったり、また笑ったりと、春先の天気よろしく、コロコロ表情を変えている。けれど本来の彼女は、大抵の事を、弾力のある笑顔の底に飲み込んで、受け流してしまうタイプだ。 それがやけにハイなのは――やっぱり徹夜の影響かなと、あくび混じりに結論付けながら、万里はノートパソコンの電源を入れた。 「じゃあさっそく、千波のデータ、チェックしてみよう」 「うん」 編集ソフトを立ち上げ、USBを接続。動画のダウンロードを始める。 出品作品は、小一時間ほどのドキュメンタリーだ。さすがにそれだけの容量となるとかなりデカイため、落し込むだけでもけっこう時間が掛かる。 画面上のタスクバーの伸びは、いつも以上に遅くて、終わるまでにカップラーメンが2回ほど作れそうだ。 「長いな……」 「やっぱ、ギガ単位あるとねぇ」 言いながら、千波は周囲を見回す。 「万里の部屋に来るの、何回目だっけ? ちょっと物が増えた?」 「んー、この前、先輩から預った機材とかかな。そこのレフ板とか、邪魔だから早く引き取ってほしいんだけどね」 部屋の隅に立てかけられた、数本の筒に、万里は目をやる。 板状のロールレフという奴で、使う時はパイプを組み立てて四角い枠を作り、中に反射布を張る。 畳むとコンパクトになるが、それでも2つ、3つと持ちこまれては、決して広くはないこの部屋を圧迫してしまうので、なんとかして欲しいのだが。 そっかぁと頷いて、千波は感慨深げに微笑んだ。 「すっかり映研だね」 「まあねぇ」
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556 :徹夜明け 12[sage]:2014/10/19(日) 21:40:08.85 ID:1WqQSC8C - 「そうそう、初めてここに来たのって、映画鑑賞会の時だったよね」
「うん。やなっさんと、二次元くんと一緒に、お気に入りの一本を持ち寄って」 映研としての活動が本格的に始まったのは、あの日からだったように思う。自分一人で娯楽として見ていたら、絶対に目を向けなかったような作品を知ることも出来た。 そして柳沢と二次元くんが帰った後、時間が余った万里は、千波のもう一つのお気に入りを見せてもらって――。 「――っ!」 「ん? どしたの万里?」 「あぁ、い、いや――なんでもない」 不意に、ヘソの下から噴き出した熱い欲望に、万里は呼吸を乱し、落ち着きなく身体を揺すってしまう。 思い出してしまった。 2本目に見た、あの映画。千波が大層お気に入りだったヒューマンドラマ。 たしかに感動的ないい話だったけど――ところどころで、ものすごくエロい描写があった、アレ。 ああ、だめだ。 だめだ、だめだ――考えるな、意識するな、想像するな。 徹夜明けで、脳内物質のバランスがちょっとおかしくなってるぞ、多田万里。 今は違うだろ。そういうんじゃないだろ。 「万里?」 「あ、あぁ? う、うん?」 「やっぱ、なんか変」 「い、いやぁ、なんかほんと、ボケッとなりやすくなってるみたい」 「まぁ疲れるのも分かるけど」 パソコンの画面に目をやると――ダウンロードの完了率は、まだ半分にも届いていない。 間が持たない。 何か話そうと、万里は油の切れかかった歯車みたいな頭を、必死にウンウンと回し続ける。 「そ、そういえば千波、あの時、2本の映画もってきてたよね」 「うん。2本目は万里と一緒に見たんだよね」 「あの時、みんなで、一番お気に入りの一本をって話だったけど――千波は本当は、どっちが好きなの?」 そう尋ねると、千波は白い指で髪をいじりつつ、考えこむ。 「んー、そうだなぁ。甲乙つけがたいってのが、あたしの本音だけど……んー、にゃぁぁ……ダメ、やっぱ決められない」 「そっか。らしいね」 困ったように顔を歪める千波を見て、万里は少し笑う。 「でも2つとも、いい映画だったね。雰囲気は全然違ったけど、テーマとか、いろいろ奥が深くて」 「うん。でもあたしの中では、あの2つ、そんなにかけ離れた作品ってわけじゃないんだ。どっちも――『不確実な愛を信じる』って主題は同じだし」 そう言って、千波は最初に見た、昔のSF映画の名前を口にした。 「あの作品ね、原作の小説があるんだけど、実は、映画と原作で、かなり雰囲気が違くて」 「そうなんだ」 「うん、原作はなんか、『信じることの難しさ』がテーマっていうか、世界への不信感みたいなものに溢れてて、これ書いた人、ぜったい友達少ないよね、て感じなんだけど――あ、小説自体はちゃんと面白いよ?」 「そ、そう」 「でも映画の方は、『細かい事は良いんだよ! 自分が信じるって決めたんなら、それを貫けよっ!』て感じで、それが気持ちよくて、好きなんだ」 千波の言葉を聞きながら、万里はあの映画のラストを思い出す。 真実に薄々気づきながらも、ヒロインと手を取りあって、一緒に去ってゆく主人公の後ろ姿――。 「そうだね、あの主人公は――なんか、良かった」 そうして、万里は何にも考えずに、ぽろっと続けてしまう。 「なんか、千波に似てたな」
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557 :徹夜明け 13[sage]:2014/10/19(日) 21:42:17.75 ID:1WqQSC8C - 言ってから、「ぁっ」と声をあげてしまうが、もう遅い。
頭からバケツで水を浴びせられたみたいに、千波がヒクッと震えて硬直する。その表情は、免許証の顔写真みたいな、完全な真顔。 直後、千波は獅子舞みたいに髪を振り乱して、万里に詰め寄ってくる。 「えぇぇぇっ? ない、それないよ。『渋いオジ様みたいだ』って言われて喜ぶ女子大生とか、日本のどこにいるの!? 静岡!?」 「ちょ、ゴメ! 悪気は無かったんだ! あと静岡にもいない!」 それにハリソン・フォードは、まだ若かった! ――と言おうとするが、カヤコみたいな目付きで迫る千波に、何も言えなくなる。 「当り前だよ! 悪気があったら、今頃、ひどい事になってるよ!」 超音波ボイスで放たれる、正体不明の脅しに身を竦めながら、万里は無様に、言い訳を試みた。 「ほんとゴメン! ただなんていうかっ、千波もあの主人公みたいにっ!」 「みたいに!?」 「俺を――俺のことを、受け止めてくれたから! だから俺は、惚れたんだ! 千波は俺のヒロイン! いやむしろヒーロー!」 「――っ、そ、そう!?」 「うん。ほんと、感謝してる! あの時の千波は、スゲー可愛くて、スゲーカッコよかった!」 図らずも、それは嘘ではない。まぎれもなく万里の本音だ。 夏休み。故郷のあの橋で、二人が恋人同士になったあの時に、千波が言ってくれたこと。 「俺は確かに千波に救われたんだ。あの映画のヒロインみたいに。ここにいられるように、俺を捕まえてくれるって――だから俺、今が本当に幸せで」 「す、ストップ!」 耐えきれなくなったように、千波が両手を振り回して万里を止める。 「そーゆー不意打ちは、恥ずかし過ぎるから、今はそこでストップ!」 「あ、うん……」 勢いが止まると、自分の言ったセリフが思い返されてきて、万里も頬が熱くなる。 今さらのように、大声で恥ずかしい事をがなりたてていたのに気付く。隣が不在らしいのが幸いだ。いたら絶対、またNANA先輩から、地獄の稲妻みたいな怒声で怒鳴り込まれてた。 咳払いで誤魔化して、カップル2人、互いにモジモジと間をはかる。 やがて千波が、いつもより熱のある声で、そっと囁いた。 「ま、まあ、任せてよ。たとえ『雨のように、涙のように』、万里がどこかに流れて行こうとしても――あたしが絶対、捕まえるから」 「千波――」 映画のセリフを引きながら、耳をくすぐるような、甘い調子で、 「捕まえてぇ――――ゴクゴクって飲み干しちゃう。下の花で」 「へ、へっ?」 にゃはははっ! と、一転、アニメ声で大笑い。 「驚いた? いっつも、からかってくる、お・か・え・し!」 らしくない卑猥な冗談が、千波の口から飛び出した事に動揺して、万里は燃えるように熱くなった顔を背け――あ、と声を上げる。 「だ、ダウンロード、終わってる。チェック、始めよっか……」 「うんっ!」 ***
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558 :名無しさん@ピンキー[sage]:2014/10/19(日) 21:45:44.02 ID:1WqQSC8C - 中途半端ですが、長くなったので、今回はここまで
エロ要素もちょっとは考えてますが、そこまでが遠い…… ともあれ、暇つぶしにでもなれたら幸いです
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