- 【2014】 クソゲーオブザイヤーinエロゲー板 96本目 [転載禁止]©bbspink.com
588 :名無しさん@初回限定[sage]:2014/11/19(水) 21:34:50.50 ID:4+nQg13d0 - 日蓮大聖人が間違いであったのだろうか?
否、である。 当時の庶民・農民の教育は現在のようにいきとどいておらず、 仏の詳細な教えを説いても、理解できないと考えた。 そこで「南無妙法蓮華経」を唱えて仏の加護にあずかれよ、という単純なものなら、 それは学の無い庶民の拠所と安心立命に利する、と。 しかしながら今日、現在の義務教育を卒業した者どもならば、それは必要ない。 直接御仏の説かれた教えを修学・実践・理解できるのである。 具体的に言えばhttp://www.amazon.co.jp/にて、 「ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫) 中村 元 文庫 ¥ 1,015」 「ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫) 中村 元 文庫 ¥ 1,080」 「ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1) 中村 元 文庫 ¥ 972」 「ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2) 中村 元 文庫 ¥ 1,037」 「ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫) 中村 元 文庫 ¥ 1,015」 の5冊(内容も非常に簡易で誰にでも分かりやすいものであり 義務教育を卒業した方なら5冊一ヶ月程度で読めます)、を購入し、読書してみてください。 そこには本当のブッダの教え、真実の御仏の教えが書かれています。 そしてそれらを皆様が読み終えた時、徹底検証!「宗教法人顕正会」 の【問】 の回答は皆様自身の頭で導き出す事ができるでしょう。
|
- 【2014】 クソゲーオブザイヤーinエロゲー板 96本目 [転載禁止]©bbspink.com
589 :名無しさん@初回限定[sage]:2014/11/19(水) 21:37:18.08 ID:4+nQg13d0 - 無始からの輪廻を繰り返して
無明の暗闇に覆われて 真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じて 渇愛に依存して 掴もうとして離すことが難しい固執が生じて 『中有などと言うマヤカシなど存在しない 生まれ変わりを思う(考える)のは心の問題なのであり、単に妄想してるに過ぎない 中有論は生まれ変わりを思う「思い」の上にしか成り立って居ない 空想として中有を考えるのは構わないが、事実として中有を思うなら ビッグバン以前と以後との因果関係が成り立たず、現代科学にすら太刀打ち出来ない戯論となる 仏教の中道思想はそんなヤワな構造を持ち合わせて居ない』 と掴もうとしている想いが 因と縁の双方が相応一致して この現世に現れ この現世から滅して逝く 仮設としての色受想行識は 自分でもない・自分のものでもない、と知覚して住むことである 煩悩障(自己に対する執着)・所知障(外界のものに対する執着) http://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757 大念住経(大念処経)
|
- 【2014】 クソゲーオブザイヤーinエロゲー板 96本目 [転載禁止]©bbspink.com
590 :名無しさん@初回限定[sage]:2014/11/19(水) 21:38:42.86 ID:4+nQg13d0 - http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AB%E7%BF%92
無明薫習 衆生は無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている。真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html 無明から渇愛が生まれるのです 無明と渇愛に依存して 無始なる過去から(輪廻を繰り返して)終わりなく苦しみをつくり出しています 客観的に自分を観ることによって、無明と渇愛を消していきましょう というのがお釈迦さまの教えなのです http://www.tibethouse.jp/culture/37_04.html まず始めに『自己に対する執着・外界のものに対する執着』を掴もうとしている人の立場を理解して その段階の人を導く為に、その次の段階として 煩悩障と所知障を取り除くための方便を示すのが、仏法です 煩悩障(自己に対する執着)・所知障(外界のものに対する執着) 煩悩障(情的な迷い)・所知障(知的な迷い)
|
- 【2014】 クソゲーオブザイヤーinエロゲー板 96本目 [転載禁止]©bbspink.com
592 :名無しさん@初回限定[sage]:2014/11/19(水) 21:39:58.57 ID:4+nQg13d0 - 金剛般若経
第二十八章 スブーティ長老は、師に、こう尋ねた 「功徳は、積むべきではないのですか?」 師は、スブーティ長老に、こう答えた 「積むべきだが、囚われてはならない それゆえ、このように説かれるのである 『囚われないもの、それこそが功徳である』」 _ _ _ 厚い雲の隙間から 妄想に影響されることのない『あおぞら』を見て触れて知覚して住んで この『あおぞらから雲を観察していく』と言うような感覚で 思いを手放し、思いが落ちて 平等性智(びょうどうしょうち)の立ち位置から 息を吐く時に、自分の幸せを白い光の形で、衆生に与え 息を吸う時には、衆生の苦しみを黒い煙の形で、受け取る それが功徳を植えて、人徳を具えていく
|