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名無しさん@ピンキー
山文京伝について Part85

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山文京伝について Part85
257 :名無しさん@ピンキー[]:2021/06/18(金) 03:30:43.58 ID:rXs/zRck
>>214
ここ数日暇なとき「無償の愛」ということに絞って少し考察してました。
最終回の状況が、暁年の「無償の愛」故に成り立ちえるのかどうかを考えたとき
越えねばならないハードルがありすぎて、正直いうと「あり得ない」感が半端なかったというのが現状でした。
失踪してた唯子が見つかってから、秋月家に出戻るまでの一週間で暁年が唯子、卍と話し合われたであろう結果の唯子の帰還。
暁人の憶測ではあるが、暁年は「唯子と共にありたいと願った」と語られている。
暁年が「唯子と共にありたい」と願う前提として、「唯子を卍に奪われたくない、取り戻したい」という願望が根底にあったはずで
まさに根幹としてのその願望がないと「共にありたい」という願いは成立し得ないんじゃないだろうかと感じた。
そこで、卍と唯子の関係を只の不倫とするなら、暁年は唯子の不義を許し、彼女に卍との関係の解消を促し
相応のケジメをつけさせた上で、夫婦関係の再構築ということを望んでいたことだろう。
だが、唯子は卍との関係を自ら断つことができない。 もしかしたら、断ちたくないと暁年に断言していたかもしれない。
雌豚にまで堕ちていたであろう唯子を垣間見、間違いなく暁年の望んだ再構築の目は絶たれたはずだ。
唯子本人が卍への帰属を強く求めていたかもしれない状況で、もし暁年の唯子に対する愛が冷めていったのなら
普通は卍と唯子に社会的制裁を加えて唯子と離婚という方向に進んでいくのだろう。
山文京伝について Part85
258 :名無しさん@ピンキー[]:2021/06/18(金) 03:31:40.98 ID:rXs/zRck
だが、暁年の唯子に対する愛は醒めることはなかったようだ。
であれば唯子への未練に対し、壮絶な悲哀を感じたのなら、暁年は唯子との関係を解消し自ら身を引いたかもしれない。
激しい怒りと恨みへと変貌したのなら、卍と唯子に徹底的な暴力的制裁を加えることもあったかもしれない。
絶望的に世を儚んだのであれば、唯子を道連れに無理心中を図ったかもしれない。
どちらにせよ、唯子が卍に傾倒していることを悟った暁年は「唯子を取り戻す」こと諦めることになっただろう。
「唯子を取り戻すことを諦める」こと、それはすなわち「唯子と共にあること」を望むこともできなくなるということだ。
ではこの相反する感情が両立することはあり得るのか? 唯子を諦めた状態で、唯子と共にあることができるのか?
この疑問に自分は相当悩みました。 それを可能にするには、何かしらの条件を付加しなければ実現しない。
他作家のNTR漫画などでは、夫が間男に借金があったり弱みを握られていたり、何某かの交換条件があったり
暴力等で精神的抑圧状態にあったり、果ては夫に寝取られ性癖があったりと
様々な理由付けがなされて物語に整合性を得ようとしている。
しかし、月下香の物語上に暁年にそういった条件付けにあたる事柄が全くと言っていいほど存在しない。
にも拘わらず、様々なことをすっ飛ばして、唯子を諦めながら共にあるという奇跡にも似た「両立」を暁年はやってのけたのだ。
卍との関係を保ったままの唯子を自らの伴侶として秋月家に出戻ることを許すという地獄を受け入れたのだ。
妻を愛するが故に妻の不貞を見て見ぬ振りをしたり、もともと旦那バレを起こしていないということなら
そういうこともあるいは在りうることなのかもしれない。
だが、月下香では旦那バレどころか家族バレをも引き起こしており
さらに暁年はあろうことか己の妻の不貞の現場に自ら足を運び、妻の認知下でそれを観賞するという暴挙をかましているのでそれもあり得ない。

「無償の愛」・・・・愛ゆえに・・・愛ゆえに・・・愛ゆえに???
山文京伝について Part85
259 :名無しさん@ピンキー[]:2021/06/18(金) 03:32:54.21 ID:rXs/zRck
月下香の物語中に秘密倶楽部の管理人が暁年に語った言葉に
「男と女ってのは愛し合えば愛し合うほど体より精神の結びつきを強くする・・・」
ってセリフがあった。
物語の流れから言えば、この男女ってのは卍と唯子のことを指して言っているのだろう。
だけど、自分はものすごい違和感を感じてしまった。
愛し合えば体より精神が勝るのであれば、唯子は何をもって卍との精神の結びつきを強めたんだ?と
「無償の愛」でもって最終回の整合性が保たれるのであれば、逆に管理人の言葉を体現しているのはまさに暁年ではないかと?
愛する妻と共にある為に、地獄の業火で焼かれ苦しみ続ける暁年を前にしておきながら
牝の燃焼とやらを忘れられずに、暁年を罵倒して卍に抱かれ続ける唯子とは一体何なのだろうかと・・・・?
山文氏はどういった意図でこのセリフを挿入したのだろうか・・・?
・・・・・・・・
・・・・・
・・・ふむ
でも、管理人のこの言葉は、月下香の、というか秋月家の救いの言葉になるかもしれないかな?
唯子は愛より体(快楽)が勝って卍に傾倒した。
だけど暁年は体(妻を寝取られ、妻も心身共に寝取られることを望んでいるという最悪状態)
によって地獄の責めを受け続けるも、唯子への愛(「無償の愛」)を貫いた。
愛が体より精神の結びつきを強めるのなら・・・
もしも、唯子に万分の一も暁年に対する愛が残っているのなら、その後において
いつか卍の呪縛より逃れることもあったりするんだろうか?
であれば、今は白々しく見える最終話の唯子の笑顔も少しは良く見えたりもするのだろうね。
山文氏がこのセリフの意味をどう解釈しているのか、どれだけ重要視されているのかによっても変わってくるのだろうなぁ。
まあでも、二巻での唯子の闇堕ち具合の高まりを見たら、その線はもうあり得ないかな。
山文京伝について Part85
260 :名無しさん@ピンキー[]:2021/06/18(金) 03:39:58.61 ID:rXs/zRck
なんというか・・・
月下香、考察すればするほど唯子が人ではない別の何かに思えてくる。
人妻唯子に翻弄されてきた身としては、唯子に「人妻」としての価値が失われていくのが
もったいなく悲しい・・・
では失礼いたしまする。


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