トップページ > 演歌 > 2010年09月27日 > 9t0ibfhf

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男です女です名無しです
御三家 橋幸夫 舟木一夫 西郷輝彦

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御三家 橋幸夫 舟木一夫 西郷輝彦
875 :男です女です名無しです[]:2010/09/27(月) 08:55:18 ID:9t0ibfhf
>>873
この曲目を見ただけで、何でオリコンチャートなるモノが設立されたのかよくわかる。
当時は大御所になればなるほど、箔付けの為にレコード売上げの数字のみが一人歩きして、
歌謡界での地位が確定されてきた。それに対し、ホントにそれだけの売上げを上げているのかという
疑問から、具体的なレコード売上げ統計を取って、ホントに売れている歌手は誰なのかを
明確にしようというのがオリコンの本来の主旨。
ちなみに、戦後初のミリオンセラーと言われたのは昭和36年の村田英雄の「王将」。
この曲は村田の代表曲であると共に、今でも歌い継がれる名曲である。
同じ昭和36年の三橋の曲は、>>873にある「石狩川非歌」だが、この曲は紅白出場曲ではあるが、
おそらく三橋ファンですら、ワンコーラスも歌えまい。勿論世間一般には忘れ去られた曲。
こういう曲がミリオンセラーとは、いくらレコード会社の宣伝文句でも行きすぎの感がする。

873に挙げた曲で、ホントにミリオンセラー?かと思える曲は、
リンゴ村から、哀愁列車、古城くらいのモノだろう。但し、三橋の場合は、昭和30年から34年くらいまでの間に
集中して大中小ヒットの連発で、ミリオンと勘違いするくらいの勢いがあったのは事実だろう。
さらに、三橋が先輩春日八郎より売上げが大きい理由は、歌謡曲以外に民謡レコードも相当数発売していること。
>>872にある「古城」は昭和34年の発売だが、当時はレコードプレーヤー(蓄音器)の普及率など
昭和40年代以降より遙かに低く、40年代以降も300万ヒットなんてほんの数曲であることを考えると、
まやかしの数字でしかないのは明白(これをレコード会社の『公称』売上げ枚数と言う)

御三家 橋幸夫 舟木一夫 西郷輝彦
877 :男です女です名無しです[]:2010/09/27(月) 10:18:34 ID:9t0ibfhf
150万枚の売上げで「戦後初のミリオンセラー」と言われるような説が出るなら、
その2年前に発売された「古城」が300万枚なんて、ホラだということは一目瞭然。
当時は30万枚でも大ヒットの部類なのだから、桁を一つ誇張しているとしか思えない。
ただ、三橋美智也の強味は、30年代まではかなり支持が高かった民謡盤を歌謡曲以上に発売したこと。
民謡と、民謡調の望郷歌謡の2本立てなら、美空ひばりも先輩春日もセールス面で敵わないのも当然。

スレタイ本来の話題に戻るなら、舟木一夫は幼少時に聴いた三橋美智也の歌声に惚れて、
歌手としてデビュー後は、三橋をだいぶ慕ったらしい。

御三家 橋幸夫 舟木一夫 西郷輝彦
880 :男です女です名無しです[]:2010/09/27(月) 11:41:07 ID:9t0ibfhf
>>878
舟木のデビュー当時の所属事務所の先輩は守屋浩だが、
舟木は自著にはデビュー後、三橋を先輩と慕いいろいろ教えを乞うていた云々の話や
芸能界での先輩三橋との接点などいろいろ書いてある。
橋幸夫と三橋の接点など、橋の自著にも書いていない。


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