- 歴史的事実に基づいて天皇を論議するスレ
39 :名無しさま[sage]:2011/12/11(日) 12:05:04.49 ID:m1FxoV94 - 関某氏の説(といっても本によって若干変動はある)だと
沼河比売(神功皇后)は北陸出身の大和政権の有力者で、(出雲と)朝鮮半島 南端と九州北部の統治者の大国主命(仲哀天皇)と手を結び、九州の統治者 卑弥呼を討伐。卑弥呼の後継者トヨとして九州と大和を統治。 しかし、大和政権(香坂皇子,忍熊皇子等)が裏切り、討伐される。 その遺児が二人いて、一人は南九州に(大田田根子)、一人は北陸経由で 諏訪に(建御名方神)落ち延びる。 大和政権で混乱が起こり、それを神功皇后の怨念が理由と考えた統治者(崇神天皇)が 南九州の遺児を探し出して迎えた(神武天皇=応神天皇の東征)。 後に、再び大和政権で混乱が起こり(武列天皇)、諏訪に逃げた遺児の子孫を 探し出して迎えたのが継体天皇。 その辺をうまーく整理して編集しなおしたのが、古事記と日本書記 だっけか
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