トップページ > 皇室・王侯貴族 > 2011年04月01日 > NvHCrLTp

書き込み順位&時間帯一覧

7 位/50 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0000000000000000000000066



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
名無しさま
皇統を守るスレ

書き込みレス一覧

皇統を守るスレ
26 :名無しさま[sage]:2011/04/01(金) 23:11:18.71 ID:NvHCrLTp
「お世継ぎ1」(象徴の軌跡)
「眞子天皇」も一時想定
 一九九七年四月、東京・赤坂プリンスホテルの一室に政治、歴史が専門の大学教授や官僚OB六、七人が人目をはばかるように集まった。内閣法制局の工藤敦夫元長官はあいさつで念を押した。「会合の存在や内容は口外しないでください」
 工藤氏の私的研究会として始まった"密議"のテーマは、内部資料によると「皇位継承を最重要課題として念頭に置いた皇室制度の将来像」。皇太子夫妻は子どもがないまま結婚から四年近くになり、秋篠宮家に二女佳子さまが生まれて約二年半がたった時期だった。
 政府高官が振り返る。「陛下の孫は女子が二人だけだった。危機感を抱いた古川貞二郎官房副長官と宮内庁の新旧幹部が発足を促した」。実態は古川副長官が橋本龍太郎首相の了承を得て始めた政府の研究だった。
 高官は「天皇家の家系図を見れば将来、女性天皇を認めるかどうかの論議は必至。国家としての準備が必要だった」と語る。一方「天皇制の根幹に触れる検討が公になったら"不敬"と批判され政権がつぶれる心配があり、官僚OBの研究会形式にした」と明かす。
 月一回開かれた会合は、平成への代替わりに備え内閣がひそかに進めた研究会と同じく赤坂プリンスホテルが舞台だったことから 「平成の赤プリ会」と呼ばれた。古川副長官や宮内庁の鎌倉節長官らが三カ月に一回、研究会メンバーから議論の推移を聞いた。
 秋篠宮家の長女眞子さまを皇位継承者とするケースが示された時は意見が熱を帯びた。「本人への早めの天皇教育が必要になる」「皇太子家に男子が誕生する可能性も考慮に入れるべきだ」
 女性天皇の配偶者についても検討された。「婿選びは苦労が多く、独自教育をどうするのか」。英エリザベス女王の夫で旧ギリシャ王家出身のフィリップ殿下の経歴を基に「日本にこんな良い候補はいるのか」との声も出てため息が広がった。
 研究は、九九年十二月に雅子さまが流産した後の二〇〇〇年春から愛子さまの誕生を挟み三年間休止する。この間、天皇家の将来を一番案じていたのは誰か。宮内庁幹部は「首相でも官僚でもない。陛下ご自身」と打ち明けた。
(肩書、場所は当時)
皇統を守るスレ
27 :名無しさま[sage]:2011/04/01(金) 23:12:59.31 ID:NvHCrLTp
【解説】
 皇位継承皇位(天皇の地位)は憲法2条で「世襲」とされ、皇室関係の重要事項を定めた皇室典範で「皇統に属する男系
の男子」が継承すると規定されている。継承順位を・皇長子・皇長孫・その他の皇長子の子孫ーなどと定めている。皇
族の身分を離れた男性のほか、天皇の子孫であっても女性皇族は継承資格がない。
(静岡新聞平成20年4月16日「象徴の軌跡」)
皇統を守るスレ
28 :名無しさま[sage]:2011/04/01(金) 23:15:36.43 ID:NvHCrLTp
「お世継ぎ2」

皇太子夫妻と擦れ違い
 「このままでは天皇家が途絶えてしまうのではないだろうか」
 天皇陛下の懸念は続いていた。皇太子家に子どもが誕生せず、一九九四年十二月に秋篠宮家に次女佳子さまが生まれた前後から、「お世継ぎ」が誕生しない悩みを周囲に漏らすようになった。
 陛下の苦悩は、皇太子夫妻との擦れ違いでさらに深まっていた。
 陛下「将来についてどう考えているのか」
 皇太子さま「あちらがいるので…」
 「将来」とは天皇家の後継ぎを、「あちら」は弟の秋篠宮家を指す。天皇家の危機について多くを語らない長男。陛下の不安は募り、二人の間に重い雰囲気が漂った。
 雅子さまと陛下が「お世継ぎ」について語る機会があった。
 「国民の皆が待っている」と語りかけた陛下に、雅子さまは「私の友人にそういうことを言う人は一人もおりません」と応じたという。強気の姿勢に陛下は黙り込んでしまった。
 宮内庁はこの時期、九七年からの政府の極秘研究に先駆け、女性天皇容認に向けた制度変更の検討にひそかに着手。旧皇族の皇室への復帰が可能かどうか調べた資料も作成した。
 宮内庁幹部は語る。「陛下の指示があったわけではない。だが、新しい後継者がなく、先細りが目に見えている皇室の存続を考えなければいけない状況に追い込まれていた。皇太子家にお子さまがいない事情とコインの裏表だった」
 検討は長官、次長、法制度を担当する審議官ら限られた幹部が進め、結果はその後の政府の研究会の内容とともに両陛下に伝えられた。
 秋篠宮家の長女眞子さまが皇位継承順三位で、四位が佳子さま。陛下とともに受けた報告でこんなシミュレーションを聞かされた皇后さまは、孫娘の将来を深く気に掛けたという。
 長く続いた天皇の男系継承という伝統を変え、女性、女系天皇の検討を迫られた皇室。宮内庁幹部が陛下の胸の内を代弁する。「順守を誓った憲法の制約によって『家長』である陛下自身が天皇家の継承制度を決められない。不安定な状況にその後も心配は続いた」(肩書は当時)


【解説】
 男系と女系男系天皇とは父方に天皇を持つことを意味する。皇太子家の長女愛子さまや、眞子さま、佳子さまはいず
れも男系の女子。この3人が結婚して生まれた子どもは男女にかかわらず、仮に即位すれば女系天皇となる。歴史上、女
性天皇は推古天皇ら10代8人が存在したが、女系天皇の例はなく、男系による皇位継承が維持されたとされる。
(静岡新聞平成20年4月17日「象徴の軌跡」)
皇統を守るスレ
29 :名無しさま[sage]:2011/04/01(金) 23:19:37.72 ID:NvHCrLTp
「お世継ぎ3」
典範改正検討に戸惑い
 皇太子さまは「愛子天皇」実現に向けた動きに戸惑いを見せた。「もうちょっと待ってほしい…」
 二〇〇四年。小泉純一郎首相が女性天皇を認める皇室典範改正を最終決断し、近く有識者会議を立ち上げるー。宮内
庁幹部から内々の報告を受けた時だった。政府の動きは既に、天皇、皇后両陛下に伝えられていた。
 体調を崩し前年暮れから長期療養中だった雅子さまは公務復帰のめどが立っていなかった。「愛子さまに重い運命を
背負わせることに迷いがあったのだろう」。周囲は皇太子さまのためらいをそう受けとめた。
 政府は内閣官房、法制局、宮内庁の共同で、女性天皇を容認する法改正に向けた検討を小泉政権下の〇三年五月から
水面下で再開し、本格化させていた。愛子さま誕生から一年半がたち女性天皇容認論が高まっていた。
 検討を急いだのには、ほかの理由もあった。ある政府関係者は「〇三年一月に陛下ががんの手術を受け、皇太子家に
第二子が生まれる期待も望みが薄くなった。将来への不安が一層高まったのが大きな要因」と語る。
 政府は女性天皇の必要性をまとめ、〇四年五月十日付で「皇位継承制度のこれからのあり方について」という内部資
料を作成。「将来、皇位継承者が不在となる懸念が増大(最年少の皇位継承資格者は秋篠宮殿下)」「皇位継承資格者の
教育の時期にかんがみ早期に検討を開始すべき」と危機感がつづられている。継承順位を男女の区別
なく長子優先とするか、兄弟姉妹間で男子優先とするかは「総合的に判断すべきだ」とし、有識者会議にげたを預けた
形になっている。
 同じ五月十日、皇太子さまは記者会見で雅子さまの男児誕生を期待されるプレッシャーや外国訪問が少ない苦悩を明
かし、 「人格否定発言」として波紋を呼ぶ。政府高官は「宮内庁幹部が有識者会議の立ち上げを伝えたのもこの前
後。あまりに皮肉」と振り返る。
 「皇室の周辺が騒然としていて落ち着いた議論ができない」との判断から〇五年一月に発足がずれ込んだ有識者会
議。女性、女系天皇を認めた結論に強硬な反対論が上がる。(肩書は当時)

【解説】
 有識者会議
継承資格を「男系男子」に限る現行制度では皇位継承が行き詰まるとして2005年1月、皇室典範に関する有識者会議が
発足。11月に女性、女系天皇の容認を求める報告書をまとめた。委員は吉川弘之元東大学長を座長に園部逸夫元最高裁
判事や奥田碩日本経団連会長、古川貞二郎前官房副長官、緒方貞子国際協力機構理事長ら10人。
(肩書は当時)
(静岡新聞平成20年4月18日「象徴の軌跡」)
皇統を守るスレ
30 :名無しさま[sage]:2011/04/01(金) 23:22:38.29 ID:NvHCrLTp
「お世継ぎ4」
女系に反対、国論を二分
 「これは"国体"の問題だ」。二〇〇六年一月五日、三笠宮寛仁さまが還暦を迎え、東京・元赤坂の住まいでお祝いの
催しが開かれていた。席上で寛仁さまが宮内庁の羽毛田信吾長官を問い詰めた。集まった周囲の人々が驚くほどのけん
まくだったという。
 寛仁さまは、皇室典範に関する有識者会議が〇五年十一月にまとめた女性、女系天皇を認める制度改正案に反対し、
雑誌などで男系維持の持論を展開。羽毛田長官が、典範改正は内閣と国会が責任を持つ政治問題と説明し「皇室の方々
が発言を控えていただくのが妥当です。殿下困ります」と説得していた。
 有識者会議の結論に対しては、永田町でも反対の声が上がっていた。郵政造反組で無所属の平沼赴夫元経済産業相を
軸に、与野党の保守系議員らが「男系継承が皇室の伝統。女系は伝統の破壊」「旧皇族の復帰を」などと主張。大規模
な集会も開いた。
 一方、政府は典範改正法案の提出に向けて最終準備を進めていた。
 天皇陛下の心中はどうだったのか。側近は「継承問題で国論が二分する事態に大変心を痛めていた」と明かす。皇太
子妃雅子さまの療養も続いており、心労が重なって眠れぬ日が多かったという。陛下の心痛を案じていた皇后さまも一
時、めまいの症状が出るなど体調を崩しがちだった。
 天皇家を覆う重い空気を秋篠宮夫妻が振り払った。〇六年二月、紀子さまの懐妊が明らかに。「一人で悩んでいらっ
しゃる陛下の苦しい胸の内を二人が理解して決断してくれたのと思います」。皇后さまはこのころ、親友に打ち明け
た。
 九月に悠仁さまが誕生。「三人目の子どもを欲しがっていた秋篠宮一家の夢がやっと実現した」と宮内庁関係者は話
す。皇室に四十一年ぶりに新たな皇位継承資格者が加わった時でもあった。
 訪問中の札幌で知らせを受けた両陛下は「母子ともに元気であることを知り、安堵(あんど)しました」と喜びの感想
を発表した。
 典範改正は見送られ、激しい議論は沈静化した。だが政府関係者は「皇位継承の課題は残ったまま。不安定な状況は
続く」と事態を冷静に見詰めていた。(肩書は当時)

【解説】継承順位
 悠仁さまは天皇陛下の孫の世代では初めての皇位継承資格者となる。継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次ぎ第3
位。天皇陛下の弟の常陸宮さま、昭和天皇の弟の三笠宮さま、その長男三笠宮寛仁さま、次男桂宮さまが続き、継承資
格者は計7人いる。明治時代に制定された旧皇室典範で継承資格が初めて明文化され、男系に限定された。
(静岡新聞平成20年4月19日「象徴の軌跡」)
皇統を守るスレ
31 :名無しさま[sage]:2011/04/01(金) 23:25:29.59 ID:NvHCrLTp
「お世継ぎ5完」
女性宮家設立案も浮上
 秋篠宮家の長男悠仁さまが二〇〇六年九月に誕生してから数カ月後。慶賀の余韻が残る中、皇室メンバーが高齢とな
り漸減してゆくことを懸念する政府関係者の一部が、ひそかに「女性宮家」設立の検討に着手した。
 皇太子家の長女愛子さまは幼稚園生活を送り、秋篠宮家の長女眞子さまは中学校に、佳子さまも小学校にそれぞれ
通っていた。三人は結婚すれば次々と皇籍を離れることになる。各宮家も後継者がいないのが現状だ。
 政府関係者は語る。「このままでは悠仁さまが将来一人で皇室を背負う運命になる。せめて、三人の『内親王』の
方々が結婚しても皇室の活動を支え続ける制度改正ができないものか。皇籍を離れてからでは遅い」
 事実上棚上げとなった女性、女系天皇を容認する皇室典範改正への強硬な反対論に配慮し、独立して宮家を設立して
も皇位継承資格は持たないが、皇族にはとどまる。皇室の危機を暫定的に回避するための「窮余の策」(政府関係者)
だった。
 異論もあった。女性宮家に生まれた男子は皇族でありながら女系のため皇位継承資格はない。「子どもの立場が不安
定。女系天皇容認を前提にしないと破たんする」「女性、女系天皇の是非は先送りしじっくり議論すればよい。国会を
通らなければ意味がない」。検討の行方はまだ見えない。
「皇婿(こうせい)陛下」「王配(おうはい)殿下」。皇婿は女性天皇の、王配は内親王や女王ら女性皇族の配偶者。国会提
出目前だった典範改正案では皇室入りした「婿」の称号をこう定める方向で調整が進んでいた。
 幻の改正案は、再び日の目を見るのか。政府関係者は、天智天皇の子どもと弟が後継をめぐり争った「壬申の乱」に
例え新たなジレンマを語る。
 「天皇家の家系図を見れば将来の女系天皇の論議は避けられないが、世論が『愛子天皇派』と『悠仁天皇派』に割れ
るような事態は避けなければいけない」
 今年十二月に七十五歳を迎える陛下。前立腺がんのホルモン治療は続き、副作用で骨粗しょう症の恐れもあると診断
された。側近は言う。「お孫さんの将来も含め天皇家の行く末を案じている」。陛下の不安は消えていない。(肩書は当
時)
 

【解説】
内親王と宮家
 歴代天皇の子と孫に当たる男性皇族を「親王」、女性皇族を「内親王」と呼ぶ。ひ孫以下はそれぞれ「王」と「女
王」。宮家は、男性皇族が成人あるいは結婚後に独立した生計を営むために創立。現在、秋篠宮、常陸宮、三笠宮、桂
宮、高円宮(当主は久子さま)がある。三笠宮寛仁さまは、「寛仁親王家」を営んでいる。女性皇族の宮家の設立は認め
られていない。
(静岡新聞平成20年4月23日「象徴の軌跡」)


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。