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実習生さん
筑駒、麻布が左翼教科書「学び舎」採択 [転載禁止]©2ch.net

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筑駒、麻布が左翼教科書「学び舎」採択 [転載禁止]©2ch.net
182 :実習生さん[]:2020/09/30(水) 22:48:17.05 ID:B60qjVBX
余録 毎日新聞2020年9月13日
https://mainichi.jp/articles/20200913/ddm/001/070/095000c
叙情あふれる「星をかぞえる夜」を書いた韓国の国民的詩人・尹東柱(ユンドンジュ)も、この四辺形を
見上げていたのだろうか▲尹は第二次大戦中、留学先の日本で治安維持法違反容疑で逮捕された。
当時禁じられていた朝鮮語での詩作が独立運動に当たるとされた。27歳で獄死したのは、終戦の
半年前だった

尹東柱記事の間違い(産経新聞) ― 2015/02/09
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/02/09/7568265
 この記事のなかで重大な間違いがあります。 「朝鮮語で詩を書いたとして逮捕され」とありますが、
実際は独立運動をしたということで逮捕されました。 そして治安維持法違反で懲役2年を受けました。 
治安維持法は最高刑が死刑ですから、軽い刑です。 尹東柱がしたという独立運動は友人間で独立
の夢を語ったという程度でした。 朝鮮語の詩を書いたことが原因ではありません。
 なぜこれが重大な間違いかというと、日本帝国主義は朝鮮人がハングルを使うことを禁止したという
虚偽の歴史が広まっているのですが、この根拠の一つとなっているのが尹東柱の事件だからです。 
つまり産経の記事は、あの産経でさえこう書いているのだからと虚偽の歴史をさらに信じ込んでしまう
可能性の高いものなのです。
 産経の記者はおそらくウィキペディアなどのネット情報に基づいたのでしょうが、ネット情報は間違い
が多くそのまま信じてはいけないことの典型例です。
筑駒、麻布が左翼教科書「学び舎」採択 [転載禁止]©2ch.net
183 :実習生さん[]:2020/09/30(水) 22:52:16.32 ID:B60qjVBX
月刊WiLL 2020年11月号
■田中秀雄
歴史無視の反日映画『マルモイ』
ttp://web-wac.co.jp/magazine/will/2020%e5%b9%b411%e6%9c%88%e5%8f%b7
 創氏改名は1940年2月から8月までの半年間に届けなければならなかった。朝鮮と関係が深い石原莞爾中将は、
半年という期間限定を「愚かなこと、いつでも創氏させよ」と批判した。しかし期間限定なのは、日本名を名のらせる
ことに反対する日本人側の意見も強かったからだ。各地に相談所が置かれて、朝鮮人の問い合わせに応じた。
伝統的な「姓」が消えると怒って自殺する人まで出てきて、総督府はあわてて「強制ではない」と三度も声明を出した。
 戸籍簿には「姓」を書き入れる蘭があり、元の姓が消えることはない。姓が違うと夫と妻が同じ「名字」を名のること、
ファミリーネームを創っただけなのだ。下の名前の改名は有料で、このことからも希望に応じたものだということが
わかる。結局、半年が一年に延長されたが、届けなかった者は、自動的に「姓」が名字となった。呂運享も、京城帝大
第一期生の秀才であり、大韓民国憲法の起草者である兪鎮午も、そのままの名前を使い続けた。前記した八木信雄
は友人の朝鮮人から「八木」と名乗るからよろしくと言われた。八木は創氏しなくていいじゃないかと言ったが、結局、
友人は八木と創氏した。
 総督府は朝鮮語をなくそうとしていないが、ただ学校教育で使う言語を「国語」にしようとしたのだ。国語とは、すなわち
日本語の標準語のことである。
 きっかけは昭和13(1938)年の朝鮮教育令改正によるもので、「内鮮一体」を実現しようという機運の下に生まれた。
日本人が通う小学校や中学校、そして、朝鮮人が通う普通学校が一緒になり、朝鮮人と日本人が共存する制度に
変わったのである。教育における差別をなくそうとしたのである。学校で使う言葉は日本語である「国語」となる。それが
可能になるためには朝鮮人生徒に日本語を使ってもらわねばならない。それまで普通学校で教えられていた朝鮮語
は教えなくてもよい任意の科目となる。
(続く)
筑駒、麻布が左翼教科書「学び舎」採択 [転載禁止]©2ch.net
184 :実習生さん[]:2020/09/30(水) 23:25:12.43 ID:B60qjVBX
>>183 (続き)
 いわゆる「皇民化」であるが、これを朝鮮語廃止と声高に批判するのは実態に反している。朝鮮生まれで、教師と
なって創氏改名し、語学会事件の頃は内地に渡っていた吉野鎮雄によれば、朝鮮人校長の場合はほとんど朝鮮語の
授業は行わず、日本人校長の場合は週二時間教えていたという。朝鮮人校長の場合は日本人へのおもねりも確かに
あるが、吉野の回想では、親とのコミュニケーションができなくなったら困るじゃないかと危惧していた日本人校長の
実名も出ている。小学校(後には国民学校)の校長数の割合は、日本人と朝鮮人ほぼ十対一、つまり、大体どこの
小学校でも朝鮮語を終戦まで教えていたのである。
 京城帝大ができてすぐ、1927年に助教授として赴任した時枝誠記という国語学者がいる。それから十六年間、朝鮮で
教鞭をとっていた。国語学史上に名を遺す著名な学者である。朝鮮語学会事件の時も朝鮮におり、「朝鮮における
国語政策及び国語教育の将来」(1942年)という論文を書いている。
 彼は朝鮮の国語普及の現状を「或るものは、施政三十年間のその成功について感嘆し、或るものは、国語を理解す
るものが猶その半数に達しないことを慨嘆して、悲喜両方面の声を聞く」と理解し、公平に見て、この現状は半島文化
政策の一つの偉大な結実だと言えると冒頭に述べている。
 彼は「国語」と「日本語」を区別している。大日本帝国という、台湾、朝鮮といった広域の版図を持った国で必要なのは、
どこでも通用する標準語であり、それが国語である。分かりやすく言えば、日本語は国語ではなく方言となるのだ。
朝鮮語も放言の一つとなる。そうした方言の上に標準語としての国語がある。鹿児島弁と津軽弁とで話せば、当時は
全く理解不能であったために、標準語が必要になるのと同じだ。
 これは国語政策、つまりは国語教育の問題である。時枝は朝鮮の場合、学校教育が第一歩で、中心となると述べる。

 時枝はドイツのアルザス・ロレーヌ地方でのドイツ語政策、ポーランドに対するロシア語政策などに国語強制の問題点
が見られると述べ、「可憐な児童はサーベルの音におびえつつ、心の中でひそかに母語を懐かしむばかりである」と
批判している。


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