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572 :実習生さん[sage]:2020/07/21(火) 22:22:20.18 ID:/v9hxLtR - 【マスゴミ】朝日新聞の元広岡社長「中国の意向に沿わない記事は書かない」と明言 [無断転載禁止](c)2ch.net
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/mass/1471243315/ WiLL 2020年6月号 ■山正之×大高未貴 中国ウイルスに侵された人たち ttp://web-wac.co.jp/magazine/will/2020%e5%b9%b46%e6%9c%88%e5%8f%b7 【大高】 本多氏もスター級の反日謝罪男≠ナしょう。広岡社長(当時)が、校正担当だった本多氏を スター記者に育て上げたのです。意のままに操りたいがための措置だったのではないでしょうか。 広岡氏は日中国交回復の時期も中国に数週間滞在しているので、おそらくそこで骨抜きにされたのでは ないでしょうか。 ともかく、本多氏を当時のアイリス・チャンに仕立て上げたのが、広岡氏だった。広岡氏については、 長谷川熙氏が『崩壊 朝日新聞』(ワック)の中で広岡氏のルーツが中国であることを指摘しています。 【山】 そういうことです。
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573 :実習生さん[sage]:2020/07/21(火) 22:23:11.13 ID:/v9hxLtR - >>572
崩壊 朝日新聞 長谷川煕(ジャーナリスト) 著 ttp://web-wac.co.jp/book/tankoubon/1036 P228 それでも、1977年(昭和52年)12月に十年間務めた社長を広岡が辞めた時のことを次の社長の渡邉誠毅が こう語っていたと元東京大学新聞研究所教授の桂敬一が『追想 渡邉誠毅』(2008年、渡邉葉子、渡邉誠毅 追悼集刊行委員会編集・発行)という本の中で書いている。 「思い出に残るのは、(筆者注 渡邉誠毅が)朝日の社長になられたときの話だ。(略)『いろいろな意味で 広岡さん(広岡知男氏)にはもう社長をお辞めいただいたほうがいいと思っていた。だれかがいわねばならん。 秦くん(秦正流専務)がやれといってくれた。それで思い切って言い出しっぺになった』」 専務取締役編集担当でソ連派の秦正流と代表取締役副社長で比較的ソ連派とみられていた渡邉誠毅が組み、 偏向が著しい中国派の広岡を、ともかく社長兼主筆から外したことが語られている。一種のクーデターだった。 …(略)… 林彪の消息を巡って朝日以外の報道戦が続いていた時、中国首脳部の異変なるものを『週刊朝日』が報じた ことで東京本社の中国派の人物から、「クビにしてやる」などの罵声を浴び、実際にその時の職務を間もなく 解かれた当の『週刊朝日』編集長の工藤宜も、それから二十年近く経った1989年に、朝日新聞社の出版局報の 同年9月1日号にこう書いた。 (続く)
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574 :実習生さん[sage]:2020/07/21(火) 22:24:02.49 ID:/v9hxLtR - >>573 (続き)
「(略)あの長い間続いた中国報道の誤りは、一人の過ちではなくて全社の――社長をトップとしておそらく すべての幹部が関係し、下は一般記者にいたるまで苦々しい思いで参加し、あるいは抵抗したという構造を 持つものだった。 にもかかわらず、社として今日まで何の処置も取っておらず、誰かが責任を取ったという話も聞かない。 …(略)…」 誰のことでもない自分の体験をあってはならないことと考え、この工藤も、かなり時間が経ってからではあるが、 右のような思いを局報の中でしたためたのだろうが、彼が望んだような自己検証、改革は何ひとつなされなかった。 まるで、次に来るあの慰安婦虚報放置の予行練習でもしていたかのように、である。 2002年に94歳で死去した広岡を悼む『追想 広岡知男』(2003年、『追想 広岡知男』刊行委員会編集・発行)に 件の秋岡家栄がこんな話を寄稿している。 「広岡さんは中国が好きだった。 広岡さんが1970年春、松村謙三さんたちと北京を訪ねたあと(筆者注 自由民主党衆議院議員の松村謙三を 団長とする訪中使節団に松村の友人という資格で朝日新聞社長広岡が同行していた)、当時はまだ、北京、 東京間に直行便がなかったので、香港経由で帰国するため、広東に着いた。私は広東出発まで、広岡さんに 付き添った。 迎賓館に入って夕食を終わったら、『秋岡君、ちょっと散歩をしたいんだけど、車を用意できないかね』という 電話がかかってきた。『樹の多いところがいいね』という御注文に、旧租界の沙面へ行った。 『実はね』と広岡さんが、感慨深げに口を開いた。『ボクの先祖は千年まえ、中国の広東から日本へ来た。 医者だったと言うんだ。秦と言ったそうだ』」 (続く)
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575 :実習生さん[sage]:2020/07/21(火) 22:24:52.17 ID:/v9hxLtR - >>574 (続き)
特派員はなぜ見誤るのか まさか、こうした私的感情のみで広岡が朝日新聞の中国報道を、「追放されるな」と固く取り締まったとまでは 考えにくいし、一方、内戦の勝者に中国を代表させ、そことの国交を正常化すべきだと社長の広岡が主張するのも 本人の信条であろう。しかし、その政治論と報道・言論の自由とは別の話である。広岡はそこを混同してしまった。 しかし、そんな広岡の言動とは別に、朝日新聞紙面には、その体制の何たるかもよく分からずに、共産主義国家 を美化し、讃えるような記事が目立った。北朝鮮、カンボジア(ポル・ポト派)贔屓の報道もそうだ。従って、あの歪ん だ中国報道も、社長が広岡だったからというより、仮に広岡が存在しなくても似たような紙面になったと思われる。 それは、階級闘争による共産主義社会の到来を予告するマルクス主義を善、マルクス命名の資本主義、私の 言う自由経済を悪とし、そのうちにマルクスの発見した階級闘争の歴史法則によって善が悪を滅ぼすという御伽噺 に影響された人が、朝日新聞社内には少なくなかったからである。
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576 :実習生さん[]:2020/07/21(火) 22:25:29.92 ID:/v9hxLtR - >>575
崩壊 朝日新聞 長谷川熙 (著) https://www.ama▼zon.co.jp/dp/4898314430 https://www.amazo▼n.co.jp/dp/4898317782 『崩壊 朝日新聞』|感想・レビュー - 読書メーター https://bookmeter.com/books/10142447 「朝日は不治の病」 OBの敏腕記者が激白 著書『崩壊 朝日新聞』が話題に https://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160119/dms1601191140004-n1.htm 【聞きたい。】長谷川ひろしさん 『崩壊 朝日新聞』 https://www.bookbang.jp/review/article/509752
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