- ■ 道徳教育 ■
869 :実習生さん[age]:2020/04/03(金) 20:33:09.79 ID:Jy8IeYPb - http://e-freetext.net/hoshinokun_niruida.txt
道徳の教材に使われる『星野君の二塁打』。 道徳の授業では「監督の言い分が正しい。自己犠牲の精神を持つべきだ」という結論に持っていくのがセオリーらしいが この話で監督の言い分で正しいのは、 「バントで山本君を二壘へ送る。これがあのときティームできめた作戰だつた。 星野くんは不服らしかつたが、とにかくそれを承知したのだ。いつたん承知しておきながら、勝手にヒッティングに出た。 小さくいえば、ぼくとの約束をやぶり、大きくいえば、ティームの統制をみだしたことになる。」 ここだけだと思う。「約束を破った。だからペナルティとしてもう試合には出さない」これだけなら完全に軍配は監督にあがる。 だが監督は余計なことを言い過ぎている。自己犠牲は尊いが、それは自主的に行うから尊いのであって、自己犠牲の精神を持っていないからと言って罰するようなものではない。自己犠牲を強いるのは"不道徳"に他ならない。 自己犠牲の尊さを教える方法は一つしかない。模範を示して「自分もこういうことができる人間になりたい」と思わせるしかない。 (でも、そういう意図をもって模範を見せて自己犠牲へ誘導するのは、意図があるということ自体がすでに道徳に反している) それに星野君には打てないという監督の判断は結果的には間違っていたわけで、監督自身も「面白くない」と言っているし、どうにも面目を潰された腹いせが入っているように見える。 つまりこの話の教訓は「偉い人のメンツを潰してはいけない」ということになるように思う。
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