- 「なぜ人を殺してはいけないのか」 ←何て答える?
450 :実習生さん[sage]:2013/11/05(火) 08:47:29.55 ID:EJDVNcxq - いったい人は、この規範を「いつ」「どこで」獲得したのでしょうか。
大河(言葉のかたちをした規範)の上流に源流(情動のかたちをした規範)があるならば、さらにその上流には、川の起点となる場所が、この情動のかたちをした規範がこんこんと湧き出る場所が、 いにしえより伝わるこの規範の最初の姿が、「なぜ人を殺してはいけないのか」の本当の答えが、存在するはずです。 それはいったい、どんな場所なのでしょうか。そこは我々にとってどんな意味を持つ場所なのでしょうか。 いまから、みなさんをその場所にお連れします。 我々をそこに導く道しるべとなる概念があります。それは「情が移る」という概念です。 「正月に絞めようとニワトリを飼い始めたものの、世話をするうちに【情が移って】しまい【殺せなくなり】 今や家族のようなもんですわ。」 「ぬいぐるみに【情が移って】【捨てられない】」 「情が移る」が起きたとき、それまでは「殺せる存在」だったものが「殺せない存在」に変化する。 「情が移る」が起きたとき、「捨てることが出来る存在」だったものが「捨てることが出来ない存在」に変化する。 「情が移る」という言葉自体は、いまこの時代に起きることに関する概念です。しかしその意味やメカニズムを 理解すれば、過去を推定する手がかりになります。 「情が移る」。そのメカニズムを理解したとき、この規範の起点が人類の歴史よりはるかに遠い場所にある ことを確信するはずです。
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451 :実習生さん[sage]:2013/11/05(火) 09:13:30.38 ID:EJDVNcxq - (補足)
「人を殺してはいけない」という規範は、もともとは「人を殺す想像(イメージ)がもたらす激しい情動」そのものでした。 この情動は、その時代の死生観の影響を受けるため、現代の我々とすこし違うものを含んでいた可能性があります。 アニミズム(霊的存在への信仰)の生命観に基づくその情動はおそらく、死者の霊魂に対する畏れを 多分に含んでいたはずです。なぜならその時代、死とは「肉体から霊魂が離れるイメージ」のことであり、 殺すとは「霊魂の住処たる肉体を破壊して霊魂を漂わせるイメージ」のことだからです。 繰り返します。言葉はまだ存在しないのです。イメージを思い浮かべる(想像する)と情動が湧き上がる。そういう世界です。
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452 :実習生さん[sage]:2013/11/05(火) 16:59:37.06 ID:EJDVNcxq - では「情が移る」とは、いったいなにが起きることでしょうか。
それは、ある人が、相手に対して、相手を好意的に肯定的に心を開いて 呼びかけるような気持ちで接したときに、相手が応えてくれたと確信したときに、 「この相手には、自分と共通する情動が存在する」と相手を認識してすることで、 相手の感情を想像出来るようになって生まれる原始的な共感のことなのです。 野良猫に「怖くないよ、おいで」としゃがんで呼びかけているとき、 野良猫の心もまた「もしかして『怖くないよ、おいで』と言ってるのか?」と問いかけてる。でもそうじゃないかもしれない、でもそうかもしれない。 で、恐る恐る近寄って、「やっぱりそう言ってたんだ」と猫が確信したとき、人は、猫と心が通じた喜びを感じて、猫の気持ちを想像できるように なる。 そのとき、猫もまた、人の気持ちを猫の想像力の範囲で想像出来るようになるのです。 そうすると、想像力で、無意識に理解するわけです。「あなたが殺される」は「わたしが殺される」と同じなんだと。同じ情動が存在する、という だけではなく、 想像力が、相手の痛みを自分の痛みと重ねて自分に感じさせるわけです。 これが情が移る、のメカニズムです。
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453 :実習生さん[sage]:2013/11/05(火) 17:00:57.20 ID:EJDVNcxq - YouTubeには、種類の異なる動物が互いに相手の気持ちに意識を向けながら
振る舞ってる動画がたくさん出てきます。 これなんかもそう。 http://www.youtube.com/watch?v=5qq0HjGN8MM この猫がそっとセキセイインコの前にに手を差し出す仕草には、 猫が狩る対象として鳥に手を伸ばす仕草にはまったく存在せず、人間がセキセイインコに 手を差し出す仕草には存在する同じ要素が存在します。 その要素とは、相手への気遣いです。 猫が、この小さな鳥が手を伸ばされたとき感じるであろう恐怖感を想像できて初めて出来るはずの配慮を、 この猫は、ちゃんと理解して気遣いをしています。 この猫は、セキセイインコを殺してはいけないと思ってる。だけどそれは 単に飼い主に叱られるから、じゃないのです。 猫も、セキセイインコに情が移って、殺したらその痛みが自分にも分かるから、 だから殺してはいけないと思うのです。
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454 :実習生さん[sage]:2013/11/05(火) 17:05:34.75 ID:EJDVNcxq - カラスも、犬や猫と心が通じると確信したとき、信頼関係がうまれ、情が移るのです。
http://www.youtube.com/watch?v=RZ3o5S61lBY 野生の猫はトカゲを愛するということは普通しないはずです。 しかし、人がトカゲを可愛がっているのを見たとき、猫は気づくのです。 この生きものは、心があるのかもしれないと。 そして、そうなんだと猫が確信すれば、猫はトカゲを信頼して情が移るのです。 トカゲが大好きな猫 http://www.youtube.com/watch?v=b5QSlzfK8Vw
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455 :実習生さん[sage]:2013/11/05(火) 17:25:05.38 ID:EJDVNcxq - 「情が移る」は、この過程でおきます。
この飼い主にとって、殺処分から救ってきた時点の犬は、まだ心は通って いないのです。 この犬は他の犬と同程度に殺したくない存在です。ほかの犬と心の距離感が 変わらない犬です。 情が移るは、この犬と心が通じるこの瞬間に起きることです http://www.youtube.com/watch?v=u5_frz3hchU この犬は、 だれかの「殺してもいい存在」 ↓ この人の「他の人に殺させたくない」客観的な存在 ↓この動画 この人の「感謝と愛情と好意に満ちた、殺すなんて頭に浮かばない」存在
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456 :実習生さん[sage]:2013/11/05(火) 17:50:51.14 ID:EJDVNcxq - ぬいぐるみは、それと情が通っていない人にとっては「クマの形の布に綿を詰めた塊」です。
ぬいぐるみを、情が通うものだという気持ちになって、心で語りかけ、 【ぬいぐるみがその人の呼びかけに応えてくれたとき】 心が通じて、塊が塊でない存在に変わるのです。 これを、認識を基準にした言葉でいえば、塊に魂がこもる、です。 塊は土の鬼。魂は云う鬼。 鬼は、土で出来てる肉体と、「云う」つまり精神で出来てるという意味があるのです
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