- 【教育】学校のここを変えて欲しい【改革】
280 :実習生さん[sage]:2013/09/15(日) 15:07:13.64 ID:6xvwZHgf - >>279
共同体主義というのと少し違うと思います。 自己は自己の外部の何かにその正しさを保証されていないと自己を維持できません。 日本では周囲の人々の是認です。 「周囲の人々」とは、自分の所属するあるいは所属したい集団の人々の事です。 この集団は、近代以前には、限られていました。 例えば、村に所属していれば、それが唯一の所属集団でした。 ですから、村の人々から是認されなければ、他に生きていく場はありませんでした。 ですから、村から是認されることは絶対必要だったと思います。 そういう状況では、村の意思と矛盾する個人の意思を通すことはできなかったでしょう。
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- 【教育】学校のここを変えて欲しい【改革】
281 :実習生さん[sage]:2013/09/15(日) 15:11:46.37 ID:6xvwZHgf - >>280
近代以前は、藩だとか村だとか、唯一所属する集団の人々が自己の支えであり、 それは、同じ集団に所属する他の人々も同じだったので、みんなが共通の規範を持っていたと思われます。 共通の規範を持っているという事は、個人が村の意思と矛盾する意思を持つという事がないという事です。
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- 【教育】学校のここを変えて欲しい【改革】
283 :実習生さん[sage]:2013/09/15(日) 16:58:29.10 ID:6xvwZHgf - >>281
近代になると、藩や村を自己の支えにすることは「前近代的」「封建的」であるとして、 伝統的な日本人の自己の支え方を否定するようになりました。 例えば、夏目漱石は、周囲の人々の是認を求め、周囲の評価を気にする日本の自己の在り方を「他人本位」 として、自らの思い通りに生きる「自己本位」を素晴らしいものと考え、いわゆる「近代的自我」の確立を目指す ようになりました(彼は後に挫折します。不可能なことを目指したので挫折せざるを得なかったのです)。 欧米人の自我と出会って、日本人の自我は根なしの浮き草のようで弱いものだと考えるようになったからです。
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