- 英語と国語の教師は一般教養を持てや
35 :実習生さん[]:2013/03/16(土) 20:08:52.28 ID:fzOopgVE - 国語の先生は自分と関係なさそうな話や文章は読まない。流してしまう。
国語は、話や文章を理解するため、そして自分が文章で主張出来るようになるために訓練するもの。 世の中の話や文章を理解するために国語の練習をするのだから、国民がそれが出来てなければ国語の目標は達成出来てないのだが 学校の国語の先生自身が、そもそもメディアで流れるような何かについて語った話を理解しようとせず、聞きとばす。 政治の話なんかこの国の国民はすみからすみまでわからない。無論学校の先生も。 文章を理解するために国語の練習をするのに、自分が理解できない文章を簡単に読みとばそうとする国語の教師とは一体なんなのか?
|
- 教員の早期退職問題について
482 :実習生さん[]:2013/03/16(土) 20:27:25.52 ID:fzOopgVE - 日本人の社会観に問題がある。
学校が終わった時間に何をするか?会社に行ってない時間に何をするか? 学校とか仕事への「所属状態」だけを日本人は強烈に認識してて、人間の行為や活動は何があるか?を日本人はわかってない。 日本人は生活の中身が希薄。 学校時代、職業時代どちらも生活の中身が足りない。 というより、この学校時代と職業時代という分別の仕方で強烈に認識されてる社会観こそが、 日本人が学校、職業という「所属状態」でしか社会を認識しておらず人間の行為や活動を認識しない元になっている。
|
- 教員の早期退職問題について
485 :実習生さん[]:2013/03/16(土) 20:51:27.56 ID:fzOopgVE - たとえばこういう話がある。
社会人になった人間が、久しぶりに学校時代やってた部活の競技をやって、 現役時代のようにうまくいかないな〜、とか言うことがある。 変なのが、職業に就くと部活でやってた活動をやめる人間が非常に多いことだ。 これは学校の部活という制度にも問題があるのだが、 なぜ職業に就くことで活動をやめて続行しようとしないのか? これは日本人の社会観が学校時代、職業時代で強烈に色分けされて、その所属状態でのみ社会を認識してて人間の行為を認識してないからだ。 学校の部活だから学校じゃなくなったら活動の場所を変えなきゃいけないのだが、 日本人は何かの活動をするかしないかより「学校時代」「職業時代」という所属状態の方が優先されるのだ。 学校の部活は学校時代、職業時代と強烈に色分けされた社会観が土台になった学校時代限定の活動形態だからあまり良くない。
|
- 教員の早期退職問題について
487 :実習生さん[]:2013/03/16(土) 21:05:42.59 ID:fzOopgVE - >>486
職業にしろって言ってんじゃなくて、部活でやってたスポーツとかをやめてしまうのが非常に多いということ。 学校じゃなくなったら部活はやれないんだからそれはそうかもしれないが、 けどその部活という形態自体が人間が世の中でやる活動を学校時代限定というやり方でやっていて、 学校時代、職業時代という所属状態で人間の活動を左右してしまってることだということ。 何かの行為や活動をする事は学校時代職業時代なんてことは関係ない。 世の中の見方を学校時代、職業時代でわけてる日本人はおかしい。
|