- やっぱり体罰は必要だとおもう
706 :実習生さん[]:2013/01/31(木) 10:56:01.17 ID:fhVbqV2j - 暴力の実際の使用頻度という点では、
暴力団よりもスポーツ界のほうが上回っているんじゃないか? 暴力団ですらここまで暴力を毎日振るわないだろうってくらい スポーツ界は暴力の巣窟。 「暴力団」という言葉はむしろスポーツ界のためにこそあるようなもの。
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- 【教育】学校のここを変えて欲しい【改革】
198 :実習生さん[sage]:2013/01/31(木) 11:13:28.02 ID:fhVbqV2j - 暴力を行使しなければまともに運営できんような理念や制度そのものを疑うべきだろ。
他の選択肢はないのか、とね。 他の政治的選択肢の余地がなくなったとき、最後の最後の自己防衛手段として 暴力は許されるべき。 暴力をやたら濫用しないと秩序が保てないような政治システムや社会制度システムは 共産主義国家と同様にある意味ではそれ自体が専制的なシステムになっているということだ。 スターリンもポルポトも、自分の理念を守るために暴力を行使せざるをえなかった。 反対する勢力、自分たちの理念が掲げる秩序を乱す勢力を説得力や多様性の導入 ではなく暴力でもって徹底的に弾圧せざるをえなかった。 そのときに考えるべきなのは、暴力を行使しなければ運用できないような秩序や 制度や政治理念が、本当に正しいのか、政治的に唯一の選択なのか、ということだ。 他に選択肢があるのに、その模索を怠り、自分の理念や制度だけを暴力をもってしても 守らねばならないと固執したところに、 スターリンやポルポトが暴力を必要とせざるをえない必然性があった。 暴力を日常化しなければ維持できなくなっている学校教育制度のあり方 そのものにこれと同様の歪みがある疑いが濃厚なのだ。 そういう学校教育を「スターリン体制の学校」と呼ぶことにしよう。 このあり方を根本的に改革しないかぎり、学校版の天安門事件が起こることになろう。 いや、すでに生徒たちの反乱は点在的に起こっているのである。 スターリン体制の学校は、教師にとっても有害である。体制の強引な維持のために 彼らの責任を肥大させ、暴力にまみれた仕事に追い込むからである。
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- やっぱり体罰は必要だとおもう
711 :実習生さん[sage]:2013/01/31(木) 15:32:31.57 ID:fhVbqV2j - アザができるほどやっちゃあかんだろ。
「こらっ!ダメだぞ」と軽くはたく程度とは全然違う。
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