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名無しさん@お腹いっぱい。 [US]
【ボリビア】新型コロナ患者の死を生放送、テレビ番組に非難殺到 [ひよこ★]

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【ボリビア】新型コロナ患者の死を生放送、テレビ番組に非難殺到 [ひよこ★]
501 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 03:27:01.89 ID:ZH/U0WA+0
  物騒で迷惑な話が南沙諸島で繰り広げられれている。中国軍が26日、大陸部から
南シナ海に向けて中距離弾道ミサイル4発を発射した。という事件だ。米国防当局者が
明らかにし所は。中国が「核心的利益」に位置付ける南シナ海領有権主張を否定して、
経済・軍事両面で圧力を強める米政権に対する「警告」をしたとみられる。ただ、米軍
も南シナ海での活動を活発化させており、小さな計算違いが偶発的な軍事衝突に発展す
る恐れもある。しかし、発射について中国政府からの発表はない。「他者を犠牲にし、
自国の利益追求のためにルールに基づく秩序を覆そうとしている」。エスパー国防長官
は26日、ハワイの政府系研究機関で講演。弾道ミサイル発射には言及しなかったもの
の、中国への対抗姿勢を鮮明にした。米当局者によると、中国軍が発射したミサイルは
西沙(英語名パラセル)諸島と海南島に挟まれた航行禁止海域に着弾した。「ミサイル
の種類については現在分析中」としている。一方、香港紙サウスチャイナ・モーニング
・ポスト(電子版)は中国軍が26日午前、内陸部の青海省から「東風26」(推定射
程4000キロ)、沿岸部の浙江省から「東風21D」(同1500キロ)を1発ずつ
発射したと報じた。いずれのミサイルも大型艦艇を攻撃できる「空母キラー」と呼ばれ
るものだ。中国軍筋は同紙の取材に「米軍が頻繁に軍用機や艦艇を南シナ海に派遣し、
潜在的危機を高めていることに対する中国の返答だ」と警告した。
米政府は7月に、中国の南シナ海領有権主張を「完全に違法」と非難している。米軍も
同月、南シナ海で空母2隻による演習を実施し、外交・軍事両面で圧力を強化した。一
方、中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報英語版は今月上旬、中国軍が東風26の
発射訓練を開始したと報じていた。中国は地域紛争時に米軍の介入を阻む「接近阻止・
領域拒否(A2AD)」戦略を打ち出し、空母キラーを含むミサイル戦力を大幅に増強
した。米軍はこれに対抗するため、日本などに地上発射型ミサイルを配備し、西太平洋
での中国軍の活動に制約を加える構想を掲げている。 
 大体中国には南シナ海に権利はないだろう。これまでの有史3千年間海を納めたとし
た歴史は全くない。近代史の中でも香港すら朝貢貿易の相手国でありちゃんと他国とし
て扱っているだろう。他の国だから英国に貸したのであって英国も大した間違いをする
からおかしくなる。最終的には日本政府のもので世界大戦は終了しているんだ。仏国の
様に植民地として手放さないと、日本が主張すれば日本の統治領だったのだから中国の
出る幕はない。どうせすぐ海面上昇で沈む土地に軍事施設を作って一体何しようってい
うのだろう。フィリピンもボルネオもタイもベトナムも仲良く共同使用してるのに中国
だけが独り占めしようってんだから 穏やかでない。こいつらは本当に公徳心がない。
もともと漢人は海辺には住まなかったし海洋人ではない、宋国人もしくは上海人だけで
かれらは今の毛沢東政権とは違い、蒋経国政権だった筈だ。米国支援の蒋介石と闘って
いたが統一出来ていない様に蒋経国政権と一緒になった事はない。
【ボリビア】新型コロナ患者の死を生放送、テレビ番組に非難殺到 [ひよこ★]
502 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 03:34:11.56 ID:ZH/U0WA+0
  アメリカは何に失敗したか。    日米開戦の陰謀の正体   ・・・・4

 日台関係構築に貢献した白団メンバー富田氏ら3名の白団先遣隊が、台湾に渡ったの
は1949年11月である。彼らはその後に大陸に渡って重慶の蒋介石と面会し、大陸で作戦
指揮を執っている。だが、補給物資である弾丸が来なくって戦況が不利となり、蒋介石
一行と共に台湾に渡った。その後、台北近郊に開設された軍学校で、旧帝国陸軍の歩兵
操典を基礎とした教練や戦術、通信、情報、戦史などを教えると共に、反共の精神教育
を徹底して施したとされる。 さらには軍学校卒業の大佐以上を対象とした高級課程の
者達の教育にも当たたった。1952年の米軍の軍事顧問団派遣に伴って 実施された高級
幕僚課程。1965年から68年までは、軍団長クラスを養成する陸軍指揮参謀大学での教育
訓練に携わるなど、台湾軍の基礎固めに大いに貢献した。白団メンバーには、日本では
密出国などの法を犯したことになるが、台湾では軍中枢部の基礎を作り上げた。として
評価され、団長を務めた富田氏は中華民国陸軍上将として遇されて、遺骨の半分は台湾
新北市にある海明禅寺に安置されているという。台湾には、日本の経団連と同じような
役割を果たす「行政院国軍退除役官兵輔導委員会(退輔会)」と呼ばれる組織がある。
これは民間企業に携わる退役軍人の会で、台湾の実業界に絶大な影響力を持つ。この会
のメンバーには白団の教育を受けた者も多く、退輔会の発足そのものも白団が退役する
軍人のために尽力した結果とされている。白団メンバーには、1972年の日中国交回復に
より、日本が台湾との国交を断絶した後に発足した「中華民族支援日本委員会」設立員
として活躍。彼らは国交断絶後も、台湾の政財界との繋がりが深くあって、現在までの
日台関係構築に貢献したことは間違いないだろう。(日本人だけが知らない「終戦」の
真実)の本には降伏文書に調印する根本博中将(1891〜1966)の写真が載る。終戦直後
、北支那方面軍司令官を兼任した根本は、戦後処理に尽力した。その後、根本は蒋介石
と20年ぶりの再会を果たす。蒋は、根本に早く帰国して日本再建に尽くすよう訴えた。
根本の帰国時には、中国側は特別列車を仕立てて見送った。金門島には当時の戦場とな
った集落がそのまま保存され、弾痕が無数にある民家や、砲撃によって焼け焦げた農家
の納屋などの生々しい痕跡を見ることができる。島の軍事博物館には、この戦闘の詳細
がパネルや蝋人形などで展示してあったが、根本氏の存在を示すものは何もない。中共
側の厦門の博物館にも行ったが、展示資料にもないと言うより、金門島の上陸作戦その
ものが展示すらされていなかった。中国ではこのような負の歴史的事実は存在しない事
にしている。又大陸の中共でも、この空白期間に満鉄の鉄道社員はいなくなってしまい
列車が動かず 中国人暴徒に襲われると言う村の村民全てが線路脇や駅のホームに集ま
って暮らしていた。ベトナム経由の復員兵の、金納・古賀・岡・冨安・松永・待鳥など
がいた。当時に毛沢東指導で、すで列車は止まっていて国民党軍の物資補給や逃亡者を
出さない作戦を指揮していたし、GHQもアチソン指導で中国からの帰還は兵に限る。
として一般人は東シナ海を渡れずに帰れなかったのである。彼らは列車を回し、拠点の
満蒙開拓団の民衆を集めて、港に日本人街を敷いた。こうして自衛の兵士を作って防備
して生き延びた。列車を一年程走らせた所で、何故か中国人にも感謝されている。それ
は督戦隊の兵士は、勝手に拉致監禁されていた兵士で やっと村に街に帰れたからだ。
港町に集められた日本人は、最初は軍人として帰還しGHQに掛け合い、やっと船をだ
して日本人は母国の地に着いたとされる。又白団の構成員の一部は、その後雇用兵とし
て朝鮮戦争にも出て行っている。彼らがいたから中盤以降に中国の人民解放軍が居た事
が判明している。
【ボリビア】新型コロナ患者の死を生放送、テレビ番組に非難殺到 [ひよこ★]
503 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 03:39:19.99 ID:ZH/U0WA+0
   アメリカは何に失敗したか。    日米開戦の陰謀の正体   ・・・・5

終戦から70周年。太平洋戦争を知っている世代が年々少なくなる一方で、毎年に節目の
月ということであり、戦勝国が対日戦勝利を祝う式典等が行われた。また、あの戦争を
テーマにした映画やドラマの放映、出版物の刊行なども相次ぎ、我われ日本人にとって
例年に増して「終戦」を意識せざるを得ない事とはなっている。これまで昭和史の中で
「8月15日」という1日で語られがちであった「終戦」について、戦勝国、交戦地な
どの視座も交えて、その知られざる一面を取り上げていく必要が中国の台頭や香港問題
で非常に高まっている。今や日本が対外的に直面している多くの問題、或いは、世界の
根源的問題が、第二次世界大戦の「終戦」にある。ということが理解できるであろう。
今回は、「終戦」とはややテーマが外れるが、終戦後の米国の行動と、中国を始め共産
国圏の動きに集点を当てたが、実は他にも大きなものとして人間の社会行動学の思考に
も問題がある。お人よしの日本人は敗戦後、満州で逃げ遅れた軍人や民間人が共産党軍
に「留用」された一方で、自ら国民党に協力して近代軍の創設に協力した旧日本軍将兵
の存在がかなりにあった。事実はマスコミなどでは報道されていたが、当時の日本国は
占領下のため、公式には認められず動けなかった。この悔しい思いは、そのまま現代の
悲劇でもある。あまりにも米国は日本人を知らなすぎたし。国人と見分けなかったのだ
。天皇は前日にわざわざ皇居に記者にを呼び布告を知らせ、 昭和十六年十二月八日付
けの詔書を先に配り、8日に記者に会見を開いている。日本時間で1941年12月8日午前
3時つまり同じ日にハワイが攻撃されている。といった調子である。近年資料開示され
たマッカラムメモは、真珠湾攻撃以前の14ヶ月前につくられたが、事細かに日本参戦
の指示をしている。アーサー・マッカラムの1940年10月07日付のメモであり、1941年(
昭和16年)12月08日の真珠湾攻撃の遥かに前の話である。スティネットによると、彼が
国立公文書館(ナショナル・アーカイブス)で1995年01月24日に発見したもので、直属
上司の海軍情報部長(ウォルター・S・アンダーソン大佐)宛のもので、「太平洋地域
の情勢評価と米国がとるべき行動についての勧告」とタイトルがある。マッカラム少佐
は、明治21年長崎に生まれていてかなりの日本通であった。18歳の時に米国海軍兵学校
に入学し、卒業後、駐日米国大使館付海軍武官を命ぜられ来日した。関東大震災時に米
海軍からの救援活動の調整を行ったという メモ作成時期は、松岡が日本の外務省整理
をし、日独伊三国同盟の締結(1940(S15)年09月27日)した時期に当たる。この時日米
の武力衝突も不可避と思えたのだろう。少佐は明確に「戦争は不可避であり、国民世論
の喚起のため、日本に先に仕掛けさせる。」と覚書に明記している。
 1、太平洋、特にシンガポールなど、太平洋における英軍基地を利用するため英国
   と同盟ないし、協定を結ぶ。
 2、蘭印にある基地の使用、補給物資の調達についてオランダ政府と協定を結ぶ。
 3、中国(蒋介石政権)にたいし、可能な限りの援助を与える。
 4、航続能力の高い重巡洋艦一個隊を極東、フィリピン、シンガポールに派遣する。
 5、潜水艦二個隊を極東に派遣する。
 6、合衆国ハワイ艦隊の主力を引き続き駐留させる。
 7、オランダに、日本の経済要求、とりわけ原油要求には拒否するようすべし。
 8、英国と共同し、日本に対し全面禁輸し、米国内の日本資産凍結を実施する。
これらの行動を実施すれば日本は対米戦に突入するだろうと結論している。これには、
米国が日本に対して絶対優位にあり、その気になれば日本を完膚なきまでに叩き潰せる
だろうという示唆をしている。マッカラム・メモの送付先は、大統領直属の2名の軍事
顧問(上記アンダーソン大佐、ノック大佐)であり、そのうちのノック大佐は明確に「
貴官の行動方針に同意する」と裏書している。アンダーソン大佐に回覧したとスティネ
ットは言う。こうしてマッカラムの日本対策要綱はすべて実行に移された。
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504 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 04:04:43.31 ID:ZH/U0WA+0
  アメリカは何に失敗したか。    日米開戦の陰謀の正体   ・・・・6

 真珠湾攻撃陰謀説(しんじゅわんこうげきいんぼうせつ)には、1941年(昭和16年)
12月8日(現地時間は12月7日)の太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦をさせた模様が逐一
海軍の真珠湾攻撃を、合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトに報告され、「事前
察知をしながらそれをわざと放置した」という説である。この説は戦時中の日本やら、
終戦後のアメリカでも唱えられていた。現代では前任者フーヴァーやマッカーサー連合
国軍最高司令官などがルーズベルト非難した事でも明らかになっている。当時アメリカ
おいて、モンロー主義に代表される孤立主義の伝統があった。他国の戦争に巻き込まれ
る或いは行動することを嫌う傾向があった。また、ルーズベルトは選挙戦においても、
「あなたたちの子供を戦場には出さない。」と公約にしていた。ヨーロッパでの第二次
世界大戦が始まっても、レンドリース法による兵器・物資の供与は行ったものの、アメ
リカは中立の立場を堅持する事を公約していた。これが日本人が騙されたきっかけでも
ある。そこに起こった真珠湾攻撃は、アメリカが連合国に加わってイギリスを助けたい
第二次世界大戦に参戦できる。と太平洋戦争を起こすきっかけを作り出した。実は既に
日本の商船や貨物船は、数々の得体の知れない魚雷に沈められていた。しかし中には、
豪州船や米国船も沈没していたので米国の攻撃とは特定できなかった。しかし、この時
に既に潜水艦攻撃で戦争は始まっていたのである。真珠湾攻撃が航空戦で始まったと、
誤解してる人は多い。だが真実は既にこうした潜水艦攻撃に怯えて客船にも魚雷が積ま
れて航行してる有様だった。これを帝国海軍は知らなかったのである。というのも米国
の大西洋航路では常識だったが、日本では爆雷や機銃掃射で足りえるものと思っていた
。ここにドイツのUボート作戦のいやらしさがある。アメリカにとっては、ドイツ帝国
も大日本帝国も敵国で同じだったのだ。戦争前からそうだったのだ。日本海軍は択捉島
のヒトカップ湾からハワイオアフ島の真珠湾(パールハーバー)まで、31隻からなる艦
隊で北太平洋を横断する大遠征を、わざわざ行った上で、戦艦や駆逐艦が駐留している
軍港を奇襲し、しかも成功したという事実は、アメリカに大きな衝撃をもたらしたのだ
った。が、アメリカほどの国が日本の奇襲をミスミス成功させた事が陰謀論のそもそも
である。更にABCD包囲網を既に進めていて A(アメリカ)B(イギリス)C(中国)
D(オランダ)による軍事的、経済的封鎖の包囲網が作られていて、当時の日本国政府
は、既に網にかかっていたのだ。これによって「やむを得ず」戦争を起こさせられた。
のは確かでこれだけ追い詰める獲物を注視していなかった筈もなかったのだ。真珠湾(
パールハーバー)攻撃には特別潜水艦の5隻がついていた。戦艦アリゾナが攻撃される
前にベローズビーチ前の海域で潜水艦で警戒し監視する事になっていた。午前6時30
分客船アンタレスは潜水艦から放たれた潜航艇が見つかり戦艦アウターブリッジがかけ
付けて撃破している。すぐさま報告は入れたがこの報告は握りつぶされた。真珠湾攻撃
は大統領まで届いていないまでも、細かに大統領府までには届いていたからだ。工作員
は軍の情報部に真珠湾攻撃の内情は既にすべてが届いていて判っていた。吉川電文は、
10月9日には解読されて爆撃計画電報は既に充分知られていたのだ。単なるハワイ内
の配置電報だが、これを放任したのはそうした重要情報の窃取である事は間違いない。
山本は既に電波による暗号通信は解読が出来ていると読んでいた。そしてそれを逆手に
アメリカが戦争に行く事に止まってくれる事を望んでいた。がそれは山本の見込み違い
であった。
【ボリビア】新型コロナ患者の死を生放送、テレビ番組に非難殺到 [ひよこ★]
505 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 04:11:26.98 ID:ZH/U0WA+0
  アメリカは何に失敗したか。    日米開戦の陰謀の正体   ・・・・7

 1941年11月24日、山本五十六元帥から南雲宛に「ハワイへの進軍を開始し、
アメリカ海軍の主力艦に打撃を与えよ。」と言う怪電文が通常電文で送られた。それを
考察して11月28日と12月5日に空母エンタープライズとデキシントンはウエィク
島ミッドウェー島にに向かって真珠湾を離れた。3日前に「東の・風・雨」の暗号は、
報告され、真珠湾作戦は対米開戦に行われた日本海軍の機動部隊による奇襲攻撃の日だ
けが判っていなかった。又帝国艦隊が最初の攻撃した訳ではない。輸送艦アウターブリ
ッジが潜航艇攻撃したように、米国からの潜水艦攻撃は日々激しくなっていて通商封鎖
は日本を追い詰めていた。奇襲では駐留していた米海軍の「アリゾナ」など主力の戦艦
4隻を撃沈し4隻を大中破させた上、戦闘機など 約350機を破壊し米太平洋艦隊を壊滅
に追い込んだ。これ自体は、日本の西太平洋海域の制海権を確保して、シンガポール、
マニラ陥落などの端緒となり石油確保と東南アジアの流通貿易の確保、日本への資源の
供給の確保であって全く間違っていない方針だった。それでも「真珠湾攻撃は失敗だっ
た。」という声は結果に於いて当然だ。戦果としては、一番の目標にしていた空母の、
「エンタープライズ」「レキシントン」を逃がしてしまっている。一番の原因は日本流
の働き方の考え方に起因する。結果「山本と南雲の間に真珠湾攻撃のミッションが共有
されていなかった」と分析される。今でも米国も欧州も部下がボスを選んでミッション
に参加する。そして上司も部下を選別する。つまり請負型でそれぞれにスキルが高くな
って方々に仲間を知っていく。日本の様な一律採用学歴重視の形態を取らない。当然な
がら教育システムもそうしたフリーの学生として捉え、一人の人間の参加する教育する
ミッションと取られている。日本の職業別学校の進化した形である。教育内容は別にし
て教育制度は今の日本の高校形態は小学生までであるし、小学生すら商売を学ぶ姿があ
る。こうした日本式で無理やり嫌いな南雲を採用していた海軍で、山本色一色ではなか
った。どちらかと言えば階級重視の集団編成だったのだ。山本にとって目的は空母など
主力艦隊を徹底的に叩いて、米軍の継戦意欲を失なわせること。だったし日本にとって
もそれが同じ筈だった。しかし、南雲にとっては海軍は就職先であり年功序列で司令官
に就任したサラリー仕官だった。航空部隊などは専門外で、当初から作戦を懸念してい
た。大戦果を前に敵地から早く離脱したかった。理由は永野軍令部長、つまり大本営か
ら「空母を損傷させないよう」強く要望されていたことと指摘される。更に南雲はこの
大本営方針に偏っていた。大本営総局も陸軍と同じに、アジア南方地域で資源を確保す
るための補助作戦と見ていた。つまり山本の方が逆に日本のミッションからずれていた
。そこで中途半端な「すでに所期の目標は達成した」判断を南雲はやった。さらに日本
は、この戦争突入も戦争回避も戦争終結へ向けても、全くグランドデザインを持たない
ままに終始した。松岡外相の驚天動地の態度や行動で、日本の方針が二転三転しては、
軍部が力をつけ、このグランドデザインと言う、やるべき国家像と理想形の軍がなかっ
たのだ。「具体的に真珠湾攻撃の構想を長い期間温めていたのは山本だけだった」とさ
れ海軍の作戦用兵を統括する軍令部は、山本の作戦を危険が多く投機性が強い。として
反対していたものを山本が押し切った。これが日本の国体を左右するものと言う自覚が
不足だったのだ。「実際には1927年に図上演習しており、米軍でも実施して既に防備は
出来ていた」と指摘されていて、ミッドウェー海戦でも暗号通信が傍受されて居る様に
早くから米国軍司令官にはわかり切っていた日本の動きだった。つまり失敗は起こるべ
きしておこり、敗戦も起こって当然の敗戦だった。
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506 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 06:02:29.72 ID:ZH/U0WA+0
  アメリカは何に失敗したか。    日米開戦の陰謀の正体   ・・・・8

 真珠湾攻撃陰謀説は、それそのものに意味はない。例え陰謀があっても無くても戦争
から逃げ出せない米国があって、その当て馬に西洋列強に追随する日本が丁度好い様に
鴨になったのだ。中国や東南アジアの植民地支配と言うネギを持ってそこに居た。その
構図には何ら変わるものがない。日本に終末論が流行った様に、大国に囲まれたドイツ
に於いて、生存圏論争は今のEUの難民問題の様に大きな問題だった。ナチ党が25ヶ条
の綱領の中で「我々は、我が民族を扶養し、過剰人口を移住させるための土地を要求す
る。」としているが、その求める土地がどこであるかは明言していない。ヒトラーは、
1925年の著書『我が闘争』の中で初めて東方に生存圏を獲得するという目的を記述した
。この事から東方生存圏権利と訳される。このドイツで学んだ大日本帝国陸軍の軍人で
ある石原莞爾(いしわら かんじ)は1940年(昭和15年)9月10日出版。『最終戦争論』
(さいしゅうせんそうろん)と言う著書をして大問題を引き起こす。本書の題名は、『
世界最終戦・論』(せかいさいしゅうせんろん)であり戦争が「大闘争が発生して世界
が統一されるという予言を得た。」という終末論であった。第一章に、戦争史の大観と
して欧米戦史の変遷と戦争の性質を書き「持久戦争」と「決戦戦争」について書かれて
いる。そして第二章に 最終戦争として、最終戦争という戦闘の様子について書かれて
いる。第三章で 世界の統一が語られ、最終戦争に臨むまで残る可能性の高い4勢力を
書き、その後どこが最後に残るかについて書かれている。第四章は 昭和維新をして、
これに贖って、最終戦争で東亜が勝つための条件が書き、第五章に 仏教徒の日本人に
仏教の予言で最終戦争が起こるという理屈が、日蓮の予言として書かれている。書物と
しての分はいいが何とも戦時に向かうべき意思を煽る内容だった。最終戦争で、航空機
や大量破壊兵器を駆使した殲滅戦略が実施されるので極めて短期間のうちに戦争は終結
する。と言い、このような最終戦争を戦う最新兵器を持つ国としてはブロック化した国
の集まりを想定し勢力を列挙する。つまり世界は欧州、ソビエト連邦、東亜、アメリカ
の、この4つの連合国家群へと発展し、日本は天皇を盟主とする東亜となって行くしか
なく、ヒトラーの欧州と、米国中心の南北アメリカと、中立のようだが米国寄りのソ連
の対立となる。こうなると地政学的に欧州・ソ連・東亜・米国が並びソ連と米国が挟む
東亜にしかならない。だから同じように挟まれる欧州と手を結び挟み込んで対応すべし
と言う訳である。しかし欧州は大国が密集してまとまることができない。ソビエト連邦
は全体主義でスターリンの死後は内部崩壊する。そうなると、東亜連盟と、アメリカの
決戦となる。その決勝戦(最終戦争)に勝った国を中心に世界はまとまることになる。
これは東洋の王道と、西洋の覇道の、どちらが世界統一において原理となるのかを決定
する戦争となる。と論じた。最終戦争勃発の条件として石原は、東亜諸民族の団結、即
ち東亜連盟の結成。更に、米国が完全に西洋の中心たる位置を占むること。決戦兵器が
飛躍的に発達し、特に飛行機は無着陸にて容易に世界を一周し得ること。の3つを挙げ
ている。しかし、それは見掛けの現実で、本体は法華経に救世主理論があり、自分が、
その救世主であるという理屈を論じている。つまり一つの東洋思想の思想論である。こ
うした思想の統一化は欧州でもユダヤの選民思想に現れ白人優位主義を得て人種差別を
わざわざ産んだ。つまり日本において、八紘一宇(はっこういちう:天下を一つの家の
ようにすること)や万世一系(ばんせいいっけい:永久に一つの系統が続く事)皇室・
皇統(天皇の血筋)についていう現人神論などの大いなる手助けをした。のだった。
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507 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 13:07:18.85 ID:ZH/U0WA+0
  アメリカは何に失敗したか。    日米開戦の陰謀の正体   ・・・・9

 連合艦隊の司令部でも第2撃の議論が起きた時に山本は「それをやれば満点だ。自分
もそれを希望するがここは機動部隊指揮官にまかせておこう。」と述べたとされる。米
側の闘争心をくじくという狙いも、ワシントンでの最後通告が開戦後にずれこんだため
、逆に米国民の戦意を高める結果に終わった。といわれる。「実際は海軍において長期
持久戦計画と、山本の連続艦隊決戦構想とに最後まで分裂していた。」と結論付けてい
る。現代企業でもミッションの共有はもっとも重要とされる。かつての日本海軍はそこ
に盲点があり、自由主義社会の良さでもある。そして今の日本社会の優しさでもある。
中国やソ連或いは共産党や独裁者はこうした優しさに付け入り甘えて国を動かしている
。本末転倒な事に、人民が自分を守るものだと思っている。そして人民も国が領土やら
生活やらを守るものと信じている。ところが現実は労働者が国民であり指導者が国民だ
そして独裁者も又国民なのだ。中国の間違いはそこにある。習近平もプーチンも決して
特別な存在ではない。普通の国民である。日本の天皇は特別な血統であろうが特別な人
物ではない動かさない動かせない権威の飾り物なのだ。それは家と同じ様に祖先の中に
祈るべき壇の上のみある物である席だ。だから国民は自分の中ある。労働者も消費者も
、更に管理も指導者も自分の中にある。これが理解できない限り戦争は絶えない。米国
の間違いは、この時代にも人間に変えれない知の王道と、常に目まぐるしく変わる覇道
を間違えてしまったことだ。もともと真珠湾攻撃のアイデア自体は隠してもいなかった
し、攻撃日も大体予想していたろう。更に日本に送った幾千もの諜報員から殆どが連絡
が来ていただろう。だからこそハル国務長官と日本の外務省は連絡が取れなかったのだ
。日本が癇癪起こして戦争仕掛けた。と言うのは簡単だ。それはそれでもいいがしかし
そうした大戦前に、日本郵船の客船や商船などや中小企業や独立機関の、貨物船が次々
沈んでいた事実が隠され、今も発表されていないのは何故だ。という事だ。第二次世界
大戦では連合国側、枢軸国側ともに無制限潜水艦作戦を実施した。植民地帝国であった
イギリスは島嶼国でもあり、海外との貿易に依存して国家経営をしている為、国民食料
を確保し、ドイツとの戦いを続けるには、百万トン以上の食料物資輸入を必要とした。
こうして大西洋の戦いは行なわれていた。実質上、イギリスに送る物資の輸送を止める
枢軸国とそれを維持しようとする連合国の輸送力戦争となっている現実がある。ドイツ
は1942年からヨーロッパ大陸への反攻を未然に防ごうと、イギリスに駐屯する連合国軍
の部隊の装備強化を妨害しようとした。これが戦争が始まる前に、ドイツ海軍が潜水艦
艦隊司令官に群狼作戦を進上させる原因で、第一次大戦で採用となった。それがUボー
トが輸送船団を攻撃し、護衛艦を連れて対応させる隙を与えない。というものだった。
このはるか第二次世界大戦前から存在した大西洋の死闘。これになれたドイツは太平洋
にも進出していた現実があったのだ。従って単に戦前に沈められたのが米軍の魚雷とも
簡単に言えなかった。イギリス海軍で対潜水艦兵器は、初期のアクティブソナーと爆雷
を装備した駆逐艦を使って護衛させることであった。イギリス海軍を始めほとんど海軍
国は1930年代まで、対潜戦闘への意識などなかった。それはヴェルサイユ条約によって
無制限潜水艦作戦が禁止され、海軍本部もソナーの開発により潜水艦が発見されると、
信じていた。だから警護付き航行など対潜戦闘の研究は、防衛意識過剰という見方が強
かった。更に現代の社員的働き方は戦後の「常識」にすぎない。戦前は決して暗黒時代
ではなく自由が尊厳を持っていた時代で、どの国も海を公共施設の一部と見ていた。戦
前の日本でも、自由で自助努力を肯定するアメリカのような国で、卑怯な潜水艦などは
とんでもない違法行為と見られていた。
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508 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 13:13:11.27 ID:ZH/U0WA+0
  アメリカは何に失敗したか。    日米開戦の陰謀の正体   ・・・・10

 ソナー自体は第一次世界大戦の時からあった。ソナーは、水中を伝播する音波を用い
て、水中・水底の物体に関する情報を得る装置である、既に近代戦で土の掘削作戦に及
んでいた時、金属の蓋による音の聞き分けで敵を察知する方法が取られていた。第一次
世界大戦で、これを音の波長と強弱で判る仕組みが電気的に取り入れられた。そして、
その技術は初期型にUボートに採用されていた。これを格段に精度の良い受信機と表示
に改良し英国の船は運航していた、取り付けた初期のソナーは一時期「アズディック」
と呼ばれていた。アクティブ・ソナーの原型となる装置である。これは米国において、
科学者フェッセンデンがダイナミック・スピーカーの可動コイルの原理で、トランスデ
ューサー(送受信器)を作り、1100Hzの可聴音による音響ビームを一方向に放って反響
波を受信するものを作った。この装置は2マイル先の氷山の探知に成功し、タイタニッ
クの沈没事故を防ぐものとして開発されていた。1914年の事で第一次世界大戦勃発時で
あった。その後米国や英国はより高機能高性能の開発をして、ハイドロフォンセンサー
(のちのパッシブ・ソナー)での探知を可能にしていた。此のレーダー感知技術は空中
レーダーにも利用された。ここに大きな日本と米国の技術差が産まれていた。研究予算
と余裕と競争の大きさの違いである。Uボートの名はドイツ潜水艦の代名詞である。第
一次大戦では約300隻が建造され、商船約5,300隻、戦艦10隻ほかを撃沈する戦果を上げ
たが、178隻が戦闘で失われた。第二次大戦では1,131隻が建造され、終戦までに商船約
3,000隻、空母2隻、戦艦2隻を撃沈する戦果をあげ、引き換えに849隻の損失を出した。
この大西洋全域で行われた連合国と枢軸国の戦いは1939年にヨーロッパでの戦争勃発と
同時に始まり、100以上の輸送船団と約1,000隻の艦船が戦闘に巻き込まれ1940年の中期
から1943年の後期にかけて山場を迎え、戦術、対抗策が開拓され1945年にナチスが降伏
するまでの6年間もの長い戦いをしている。この通商破壊作戦は太平洋でもインド洋で
も行われていた。第二次世界大戦で連合国側、枢軸国側ともに無制限潜水艦作戦を実施
したが、国際条約により保護されるべき船舶など本来禁止されていた。ドイツ海軍及び
イタリア海軍は、連合国大西洋航路に対するもの(大西洋の戦い)を行い、アメリカ海
軍は、日本の南方航路に対するもの(太平洋通商破壊作戦)バルト海でもドイツ、ソ連
両海軍戦(ベルリン作戦ノルウェー包囲戦)などによって行なわれた。Uボート捕獲に
米海軍はギャラリー大佐を起用し「ハンター=キラー」グループのタスクグループ22.3
を派遣した。この海域の護衛空母ガダルカナルと5隻の護衛駆逐艦ピルスベリー・ポー
プ・フラハーティ・チャタレイン・ジェンクスで構成されていた師団である。1944年に
5月15日にノーフォークを出港して、U-505を鹵獲した。一緒に押収された暗号資料には
、特別な「座標」コード・1944年6月分のエニグマ暗号機の設定・短期天候暗号表・短
電文暗号表・各々7月と8月分を有効化するための隣接2文字テーブルが含まれていた。
こうしてエニグマ暗号まで完全解読に至っている。つまり日本の解読よりドイツ暗号文
の方が遥かに重要だったのである。だが暗号文は似たり寄ったりで、当時にはどこにも
なかった手動式コンピューターを米英は持っていて日本の暗号の解読には難解なもので
ない限り瞬時に解けて上司に報告されてた。更に撃たれた乗務員が驚く程砲弾技術が優
れて、飛行機対する高射砲も煙幕もレーダーも格段に米国備品は進化していたのである。
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509 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 13:50:02.33 ID:ZH/U0WA+0
 アメリカは何に失敗したか。    国際社会の制裁の実態   ・・・・1

 帝国国策遂行要領(ていこくこくさくすいこうようりょう) は、1941年(昭和16年)
9月6日第3次近衛内閣時に御前会議において決定された大日本帝国国策と同年11月5日
東條内閣時に御前会議において再決定された国策(甲案乙案含む)をいう。この時既に
1941年(昭和16年)8月のアメリカ対日石油輸出全面禁止を受け、アメリカ・イギリス
に対する最低限の要求内容を定め、交渉期限を10月上旬に区切り、この時までに要求が
受け入れられない場合、アメリカ・オランダ・イギリスに対する開戦方針が定められて
いる。1.通商無差別問題として、九月二十五日案にて到底妥結の見込みなき際は「日本
国政府は無差別原則が全世界に適用せらるるものなるに於ては太平洋全地域即ち支那に
於ても本原則の行わるることを承認す」と修正す。と決めている。この「九月二十五日
我方提案」とは、@対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に、概ね十月下旬を目途とし
戦争準備を完整す。A平行して米英に対し外交の手段を尽して帝国の要求貫徹に努む。
B外交交渉に依り、十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては、
直ちに対米(英蘭)開戦を決意す。として1941年9月6日の御前会議で決定されたものだ
。この「帝国国策遂行要領」に基づいて米国に提出した最終案であったが、これに対し
て米国は10月02日に、いわゆるハル4原則、すなわち
 1.領土の保全及び主権の不可侵
 2.内政不干渉
 3.通商上の機会均等
 4.平和的手段によるものを除く太平洋の現状不変更
に照らして日本の提案はこれを縮小するものだ。として、近衛首相が求めていたルーズ
ベルト大統領との首脳会談は拒否されている。これによって 対米開戦の可能性がいよ
いよ現実のものとなったのだが、近衛は撤兵で譲歩することにより米国との妥協を図り
和平を求めていた。海軍は近衛に一任したが、東条陸相は断固として撤兵を拒否し主戦
論に立った。このため、内閣は瓦解した。この責任が後の東京裁判においての戦争当事
者としての責任となった。後任の首相に東条が起用された経緯は、産経の記事によれば
木戸幸一の推挙で東条が後任に指名されたことになった。国内外で驚きで迎えられた。
東条は とりわけ中国に対しては強硬派である。対中妥協ができないなら米国との交渉
は困難で開戦必至と考えていたからである。と報じている。只現実的には木戸の狙いは
逆で、開戦に走る陸軍を抑えられるのは陸軍の東条しかいない。しかも、忠誠心の厚い
東条なら、昭和天皇が、懸念を示した9月6日の「戦争辞せず」の決定を、白紙に戻す
のを躊躇(ちゅうちょ)しないで撤回できるし、非開戦となるだろうとの読みがあった
。と伝えている。ところが、アメリカのジャーナルは、既にこの時にナチスの侵攻で、
日本が参戦果たすものと認識した話題が多い。つまり南方インドシナから即時全面撤兵
はしないだろう。又「北支及蒙彊の一定地域及海南島」には「概ねそのまま駐屯するで
あろう。これで中国大陸には欧米は近づけなくなるだろう。そして仏印からは支那事変
が解決するか「公正なる極東平和」が確立されれば撤退するとしているが無理な話だ。
それまでは居座り続けるということであり、その時期は明確でない。米国にしてみれば
これらは明確な4原則違反ということになる。と言う世論である。但し米国民にとって
は、あまり関心のある話では無かった。既に日本人は収容所送りで市中にいなかったの
である。が、米政府にしてみればこんな筒抜けの新聞情報も無かったろう。が予算の付
かない陸軍は、予想に反して、鉄路が完成するとインドシナから殆どが引き上げている
。そもそもがインドシナに戦う理由がなかったのである。だが引き上げて後のインパー
ルでは、兵士達はさんざんに死んで行った。
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510 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 14:02:40.85 ID:ZH/U0WA+0
 アメリカは何に失敗したか。    国際社会の制裁の実態   ・・・・2

時の陸軍大臣の東条英機の談話すらあるのだから、ハワイ奇襲は早くから予想されてい
て、問題は何時起こるかだけだった筈だ。1941年(昭和16年)に首相官邸で開催された
『第一回総力戦机上演習総合研究会』に近衛内閣の陸軍大臣として参加した東条英機は
、総力戦研究所より日米戦争は「日本必敗」との報告は受けている。10月14日の閣議で
日米衝突を回避しようと近衛文麿首相が話した。「日米問題は難しいが、駐兵問題に色
つやをつければ、成立の見込みがあると思う。」と回避発言したのに対して東條は激怒
した。「撤兵問題は心臓だ。撤兵を何と考えるか」「譲歩に譲歩・譲歩と加えてその上
この基本をなす心臓まで譲る必要がありますか。そこまで譲りそれが外交か、(これは
)降伏です。」と唱えたという。これにより外交解決を見出せなくなったので、翌々日
に辞表を提出した。辞表の中で近衛は「東條大将が対米開戦の時期が来たと判断してお
り、その翻意を促すために四度に渡り懇談したが遂に説得出来ず輔弼の重責を全う出来
ない。」とし、第3次近衛内閣は瓦解した。近衛は「戦争には自信がない。自信がある
人がおやりなさい。」と言った。という。この後に資質も能力もないのに豪語する東条
が木戸幸一の推挙で東条が後任に指名され首相になった。なんとも国民受けの風見鶏の
木戸だったのだ。本来、近衛の後任首相については、対米協調派であり皇族軍人である
東久邇宮稔彦王を推す声が強かった。皇族の東久邇宮であれば、和平派・開戦派両方を
まとめながら対米交渉を再び軌道に乗せうるし、また陸軍出身であるため強硬派の陸軍
幹部の受けもよい。と、いうことで、近衛や重臣達だけでなく東條も賛成の意向であっ
た。ところが内大臣・木戸幸一は、独断で東條を後継首班に推挙し、昭和天皇の承認を
取り付けてしまうのである。この歴史上の偏移は時代のなせるものであろう。ただ仮に
皇族の東久邇宮であっても、英米更にドイツソ連、又中国他東南アジア諸国、そうした
全てが、日本に強い開戦要求があってそれぞれの思惑でその為の行動をしてる中で時期
は変わっても戦争の突入、つまり開戦は避けられなかったであろう。では戦争で勝った
か。それも先に言う様にグランドデザインも描かず、年功序列の仕官の上級であり殆ど
同じ過程を行くのが関の山であろう。つまり宮家を総理大臣をしなかった事で天皇制が
維持され、より以上の日本国内の混乱が無かった事こそが不幸中の幸いだったのかも知
れない。勝つ見込みのない戦争は日本国民は殆ど思っていたのではないだろうか。たた
どこかで日露戦争の様に終結の停戦条約が結ばれると理由もなく思っていたと思える。
條は「交渉妥結の可能性は充分にある」と自信有り気だった。しかし、ハル・ノートを
目の前にしたとき、対米協調をあくまで主張してきた東郷でさえ「これは日本への自殺
の要求にひとしい」「目がくらむばかりの衝撃にうたれた」といい、東條も「これは、
最後通牒である。」と言葉が詰まったはずだ。ハル自体は民主党員で人柄は抗日の人で
はなかった。国際連合の発案者および熱心な支持者であった。しかし、上司はルーズヴ
ェルトが集めた白ロシア共産党のスパイ上がりが多かった。財務省のナンバー2である
ハリー・ホワイトが書いたのがハルノートだった。ホワイトはソ連軍情報部の協力者で
あったことが、ベノナ文書により確認されている。1941年、ルーズベルト大統領時代の
財務次官補としてハル・ノートの草案作成に携わった。パブロフというボスから 日本
が呑めないような条件を書け。という命令を受けて、それをルーズベルトに出したら、
ルーズベルトが気に入り、「これでいこう」 ということになった。ルーズベルトは、
誰もが知る戦争好きの交戦論者だった。
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511 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 17:45:14.75 ID:ZH/U0WA+0
 アメリカは何に失敗したか。    国際社会の制裁の実態   ・・・・3

 経済学の中でアーヴィング・フィッシャーの貨幣数量方程式の変形版 「Mv=PY」
(M:貨幣供給量 v:貨幣の所得流通速度 P:価格水準 Y:産出物の数量。)とされ
るこの方程式はかなり一般的語られる。需要と供給のバランスの数式だからだ。普通マ
ネタリストの提唱する貨幣数量説の基礎となっていた。マネタリストとは管理通貨制度
提唱者でケインズ経済論の先駆者たちの事だ。米国では、経済政策として、政府による
有効需要のファインチューニング(需要習性操作と供給管理)を通じ、古典派の唱えた
完全雇用と経済成長を操作して実現可能と考えた新古典派の経済論の主流である。多く
はロシアのポグロムから逃れて来たユダヤの子孫たちの経済学で、国や中央銀行で紙幣
による操作で経済はどうにでも管理できる。と言う理論である。そして国が豊かになる
には貨幣価値が高くなる必要があって、それは物不足が一番である。そうするとインフ
レが起こって、物の価値が高くなって交換貨幣の需要が多くなる。もしその貨幣同士で
交換レートが高くなれば貨幣同士の売買によって国は金を安く買い富む事が出来る。と
という事を謳っていた。こうして貨幣量が短期的にでも実質経済に大きな影響力を持つ
と、長期的には国が富み安定し、実質経済への影響がなくなり、インフレにのみ作用す
る通貨で在り続ければ良い。という考え方で、政府や中央銀行の裁量よりルールを重視
すべきという主張だ。これはニュー・ケインジアンを含め現代のマクロ経済学に広く組
み込まれており、多くのモデルが、何らかの意味でこうしたマネタリズム的である。と
されている。これらは逆に国家は民衆をこの「発行貨幣」で富を管理し国民を幸せにす
べきと言う思想が根強くある。この経済論には、タンス預金の経済やら、物々交換或い
は、世界が競争によって物品供給が多くなるとか、豊富になって消費者や購入者が居な
くなる。などは考えない。又、基本の生活者が生産者で消費者と言う視点はない。ハリ
ー・ホワイトもヘンリー・モーゲンソー財務長官の次官として、こうしたケインズ理論
の信奉者で、日本の様な、ゼロサム社会の富やマルクス・エンゲルスの様な生活者需要
の意識はない。戦争になって、今の様な話し合いの中の貨幣価値取り決めよりは、ここ
で、日本の資本を潰せば、米国紙幣や世界の統一政府で国民が管理される事が可能であ
り、国民は豊かになるという前提で、今でいう中国の様な覇権国家主義のもとの理論し
かなかった。1944年ニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで連合国通貨金融会議(45
ヵ国参加)で締結されたウッズ体制は、1945年に発効した。国際金融機構協定で、国際
通貨基金協定と国際復興開発銀行協定を結んで「アメリカ合衆国ドルを基軸とした固定
為替相場制」を決定し、1オンス35USドルと金兌換を決定して、アメリカのドルと各国
の通貨の交換比率(為替相場)を一定に保つことで自由貿易を発展させ、世界経済安定
の仕組みを工作した。こうしてドルの価格を決めても各国は疲弊し、米国製品購入には
ならなかった。そこでジョージ・マーシャル国務長官を中心に「欧州復興計画 (おうし
ゅうふっこうけいかく)」が練られた。マーシャルプランと呼ばれるアメリカ援助での
復興である、援助受け入れ機関として欧州経済協力機構(OEEC) を設置し、同じように、
ドル建て貸付の体制に国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD)を作っ
た。国際通貨基金は通貨発行に必要な資金を融資し、国際復興開発銀行(IBRD)は
戦後の復興開発に資金供与を行っていく。しかし、それは日本やアジアを除いた世界の
姿だった。ホワイトは共産主義者であると告発され裁判を受けた。仲間の党員名簿に名
があり。1948年の夏に下院非米活動委員会において、非米活動委員会に召還された。
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512 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 17:46:35.88 ID:ZH/U0WA+0
 アメリカは何に失敗したか。    国際社会の制裁の実態   ・・・・4

 施政方針演説で壇上に立った東條首相は、日米関係を中心とする南方問題に言及し、
忍びがたきを忍んで 帝国が世界平和確保のため、あらゆる努力を傾けきたった経過を
説明する。「……然るに英米蘭諸国は、この帝国の当然なる自衛的措置を迎うるに猜疑
と危惧の念とをもって、資産凍結を行い、事実上全面的禁輸により、帝国を目標として
経済封鎖を実施致しまするとともに、その軍事的脅威を急速度に増加して参ったのであ
ります。かくのごとき行為は帝国の企図(きと)する支那事変の解決を 阻害するのみ
ならず、更にまた帝国の存立に重大なる影響を与うるものであります。断じて黙過し得
ざるものであります。政府は肇国(ちょうこく)以来の国是でありまする 平和愛好の
精神に基づき、帝国の存立と権威とを擁護し、大東亜の新秩序を建設するため、今なお
外交に懸命の努力を傾注 好の精神に基づき、帝国の存立と権威とを擁護し、大東亜の
新秩序を建設するため、今なお外交に懸命の努力を傾注しておる次第であります。これ
によって帝国の期するところは、第1、第三国が帝国の企図(きと)する 支那事変の
完遂を妨害せざること、第2は、帝国を囲繞(いぎょう)する諸国家が 帝国に対する
直接軍事的脅威を行わざることはもちろん、経済封鎖のごとき敵性行為を解除し、経済
的正常関係を回復すること、第3、欧州戦が拡大、禍乱(からん)の東亜に波及するこ
とを極力防止することであります。以上3項にわたる目的が外交交渉によって貫徹され
まするならば、ひとり帝国のためのみならず、世界平和のため誠に幸いであると信ずる
次第であります。」と演説した。つまり、「欧州戦が拡大、禍乱(からん)の 東亜に
波及することを、極力防止することであります。」と欧米の拒否を貫き、「以上3項に
わたる目的が外交交渉によって貫徹されまするならば、ひとり帝国のためのみならず、
世界平和のため誠に幸いであると信ずる次第であります。」と日本の希望を寄せている
。これは、米国からは、「…むりだよ…」と言う返事は当然である。既に「参戦の獲物
」だったからだ。ドイツが無制限潜水艦作戦を実行に移した第一次大戦の1915年2月で
あり、日本は連合国側にいた。しかし、第二次世界大戦では、この無制限潜水艦作戦は
条約を取り付ける40年9月、日独伊三国条約の頃には、無警告攻撃さえ行っていて、
日本の戦い方とは随分違っていたのだ。連合国側の対策の充実からその戦果は、急速に
低下したものの、それでも脅威でありアメリカが連合国側で参戦する一因となった。し
たがって、真珠湾攻撃が米側の潜水艇攻撃から始まり、真珠湾に一番の目標にしていた
空母「エンタープライズ」「レキシントン」が居なっかったのは当然だった。この2隻
の空母はアメリカの威信だった。レキシントンは当初大型巡洋戦艦として建造が開始さ
れ、ワシントン海軍軍縮条約に基づいて巡洋戦艦としての工事は変更され、姉妹艦サラ
トガと共に航空母艦へと改造された。レキシントンと同型艦のサラトガは、基準排水量
33,000トンと公表され、満載排水量は40,000トン以上あった。完成時には、世界最大の
空母で太平洋艦隊と大西洋艦隊にそれぞれ配属された、以後沈没まで所属し続けた。レ
キシントンは、エンタープライズと共に奇襲に生き残った太平洋の守りの空母二隻でも
あり、大切にされた。従って攻撃の危機が少しでもあれば、航海させ真珠湾に駐留して
いない様にするのは当然でもあったし、日本の空襲に備えた新型連射砲を入れ替えて、
島の防備向かわせたのは彼らの幸運でもあった。米国側は日本の連合艦隊などこの空母
2隻で叩けると過信していたからである。彼らにまだレーダー精度が無かった事が、逆
に日本の艦隊と鉢合わせせずに助かったという幸運があった。
【ボリビア】新型コロナ患者の死を生放送、テレビ番組に非難殺到 [ひよこ★]
513 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 18:07:46.19 ID:ZH/U0WA+0
 TV局ははしゃぎすぎだ。辞任の意向はなどとよくまあ官邸前インタビューですべき
事じゃないだろう。岸田氏に総裁選出馬に意欲在りますか。などおかしいだろう。
【ボリビア】新型コロナ患者の死を生放送、テレビ番組に非難殺到 [ひよこ★]
514 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 18:29:30.65 ID:ZH/U0WA+0
 潰瘍性大腸炎が再発した安倍氏にお疲れ様を言う人はいないようだが 話題豊富で、
TV局も良かっただろう。しかし、この病気が何かは知らないが、あまりにも清潔好き
で腐った魚なんか食わないからではないのか。大体の所カビの生えたパンや餅などを、
焼いてミソでもつけて食べれば、殆どは治る病気が多い。医者の医食同源の考え違いで
たっぷり薬を飲みすぎではないのか。 改めてお疲れであったろう。ご苦労さん。
【ボリビア】新型コロナ患者の死を生放送、テレビ番組に非難殺到 [ひよこ★]
515 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 18:59:21.51 ID:ZH/U0WA+0
アメリカで警官の黒人射殺が絶えない。黒人差別の問題から社会学の問題に移っている
。というのも、今回の少年がライフル持ち出してデモ隊の2人を撃ったのだ。警官支持
で、恐らく熱烈なトランプ支持派であろう。と見られている。近頃のコメンテーターの
意見では、どうもTVゲームで視野が狭く、寛容な精神が育っていないのではないか。
と叫ばれだした。勿論トランプは分断社会へのいざないの言葉を多用しわざわざ米国を
分断している。と言うのは事実だが、コロナ下での学校教育の社会システムが壊れてい
る中での意見は多い。その上にこうした閉鎖を強いる社会に米国特有の敵を創る思想が
これまでのアフガンやら中東から逆輸入され持ち込まれているのではないか。とも言わ
れだした。つまり兵士訓練で敵を射殺する。と言う行為が正義にとられ、今や警察行政
では自国民が米国市民でないような、環境の違うテロリストのように見る教育が産まれ
て警官VS市民の構図になって行く中にあるのではないか。と言うのである。こうなる
とこうした選民思想の人種差別と違って、優性生存における他者排除の本能という事に
なる。するとこの思想は黒人のいない日本にもやがては持ち込まれる可能性が高く危惧
する事になりそうだ。TVゲームのデスファイターつまり殺人狂バトルゲームが現実の
社会に現れた事になる。これは非常に危険な兆候で止まらないだろう。はたして米国で
こうした警官の暴行事件が収まるのだろうか。気がかりだ。
【ボリビア】新型コロナ患者の死を生放送、テレビ番組に非難殺到 [ひよこ★]
516 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 22:18:49.80 ID:ZH/U0WA+0
 アメリカは何に失敗したか。    国際社会の制裁の実態   ・・・・5

 海洋国家にとって、重商通商封鎖作戦は、かなりの致命傷であった。元々アメリカは
、大西洋(対ドイツ、イタリア)と太平洋(対日本)の両面へ艦隊を振り分けなければ
ならず、太平洋艦隊だけでは日本海軍に対して劣勢であるのは当然だった。それが珊瑚
海海戦で空母レキシントンが撃沈されたことで、さらに差がついてしまう。この焦りが
、アメリカがミッドウェーにおいて日本軍を撃退するために全力を尽くして準備をする
原動力となった。1940年(昭和15年)8月26日発行の日本ニュース 第12号の映像では
「ドイツ最後の和平勧告案も、ついにイギリスの容(い)れるところとならず、ヒトラ
ー総統は断固イギリス本土総攻撃を決意し、急遽(きゅうきょ)国会をベルリンのクロ
ールオペラに招集しました。国会に臨んだヒトラー総統は、ヨーロッパに新秩序を建設
せんがために、イタリアと協力イギリスを総攻撃せんと獅子吼(ししく)すれば、臨場
のチアノ・イタリア外相は議席より立ち上がって拍手を送り、全ドイツ国民、また奮い
立って決戦の覚悟を新たにしました。ドイツはいかなる武器と戦略によって攻撃するか
、ドーヴァー海峡の最短距離は実に40km。東京・千葉間の距離に相当します。フラ
ンス海岸に据え付けられた長距離砲は、その射程距離200km。海峡を越えて対岸を
攻撃することができる。かくて海峡一帯にかけて遊弋(ゆうよく)するイギリス艦隊は
、この弾雨下にさらされることになりました。さらに空軍は、いかなる進路を取って英
本土を襲うか、トロントハイムからアイスランドまで1520km、アイスランドから
クラマティへ1160km。スタヴァンゲルからスカパフローへ450km、スタヴァ
ンゲルからロンドンへ720km。ジルト島からロンドンへ480km。このあたりは
パラシュート部隊が活躍する地方と予想されています。ブレストからコークまで480
km。コークからロンドンデリー、ダブリン、ペンフローク、さらにダブリンからイン
グランド北部、このあたりもパラシュート部隊活躍の地方と予想されています。前大戦
に連合国側に封鎖された 苦い経験に鑑(かんが)み、ノルウェーを攻略したドイツの
北方よりのイギリス攻撃は、その距離720km。優に爆撃機の行動圏内に入ります。
対英攻撃の花形中の花形、ユンカース、メッサー・シュミット、スッカーなど、攻撃機
急降下爆撃機は堂々の大編隊を組んでイギリス本土を急襲します。ついで海軍は英本土
封鎖作戦をとり、北海、英仏海峡、セント・ジョージ海峡、ノース海峡を封鎖しました
。キール軍港に潜んでいたドイツ海軍の精鋭は、総攻撃とともに一斉に出動。燦然(さ
んぜん)の海の隼(はやぶさ)、シュネルボートすなわち快速艇は、時速40ノットの
超スピードをもってフランス・カレーから対岸ドーヴァーまでわずか1時間。この快速
をもって海上を縦横に疾駆し、魚雷による奇襲攻撃に華々しい活躍をしています。前大
戦にも、また今時大戦にも、海の狼Uボートの活躍はめざましく、北海から英仏海峡に
かけて出没。イギリス艦隊の心胆を寒からしめ、前大戦と逆に英本土封鎖の体制を整え
ました。10世紀以来、900年の長きに渡り、外敵の侵入を許さず、かのナポレオン
の大軍もスペインの無敵艦隊をも撃破した大海軍国が、破竹の勢いで進撃するドイツ軍
の攻撃に果たして 耐えうるかどうか、世界戦史未曽有の大攻防戦は、初秋の英本土を
中心として展開されていきます。‥‥‥‥これは日本の映画ニュースの放送内容だ。こ
こに時系列で日本がハワイ攻撃する前に既にフランスの端までドイツ軍が蹂躙して英国
に砲弾発射し、ドーバー海峡でバトル・オブ・ブリテン日本語での英国空中戦の、エア
ーウォーが行われV2ロケットが放たれる頃だった事なのが判る。つまり今や英国は、
米国の介入なしには、風前の灯火と化して、ドイツの猛攻に必死に耐えていた頃だった
のだ。それなのに経済封鎖の嫌がらせが効いて、わざわざ米国の介入の元を与えたので
ある。インドシナ進軍を果たして、チェンバレンなど油井制圧前の段階だろうが、戦略
的には、そのまま宣戦布告もハワイ攻撃もなしに済んだところだが、日本の天皇は、と
言うよりは、日本人は火事場の泥棒みたいなことはしたくなかったのだろう。例え制裁
で苦境にあっても堂々と宣戦布告して、米国と敵対する紳士らしさが必要だったのだ。
なぜだかそうする事が国是だったのだろう。
【ボリビア】新型コロナ患者の死を生放送、テレビ番組に非難殺到 [ひよこ★]
517 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 22:45:44.59 ID:ZH/U0WA+0
 アメリカは何に失敗したか。    国際社会の制裁の実態   ・・・・6

 戦後の世界の中で、大多数の国が近隣諸国との武力紛争や独立戦争、内戦、海外派兵
などで、多数の死傷者、難民を出し、経済、財政に重大な損失を招く中、日本は3世代
にその後の戦禍を免れてきた。その理由は、いくつかの要因が考えられる。
(1)島国で陸上国境がないため国境紛争が起こりにくいこと
(2)制海権を持つ米国、その同盟国となったため他の国の侵攻を受けにくいこと
(3)単一民族とも揶揄され、人種、宗教間の対立が少なく国内不和がないこと
(4)法治主義であり、世界大戦での惨敗で戦争軍事問題に対する忌避感が強いこと
――などだ。
 日本が平和を謳歌し繁栄したのは結構この上ないが、その結果、戦争はめったに起き
ないように感じ、戦争の危険を軽視した楽天的な防衛論が台頭することは寒心に堪えな
い。その一つは北朝鮮の弾道ミサイルの脅威に対処するため、敵のミサイル基地を攻撃
する能力を持つべきだとする「敵基地攻撃論」だの「敵地攻撃論」の非合理ミサイル「
発射」の把握困難だの、敵ミサイル基地攻撃を唱える人々の主張には、軍事知識や戦争
の現実についての認識の「欠落」がある。小銃射撃や砲撃でも、攻撃をするには目標の
位置を知ることが不可欠であるのは自明のことだが、敵基地攻撃を唱える人々は「どの
ようにして相手のミサイルを探知するのか」を考えていない様子だ。偵察衛星は地球を
ほぼ南北方向に約90分で周回する。地球は東西方向に自転するからおよそ1日に1回、
世界各地の上空を高度200キロ程度、時速約2万9000キロで通過はするのだが、カメラの
首振り機能を生かしても北朝鮮を撮影できるのは1日に数分でしかない。夜間や雲があ
る場合には光学カメラは使えないから、精密レーダー衛星があるが、解像度は劣る。の
であって、偵察衛星では飛行場や造船所など、固定目標を撮影するには有効だが、移動
目標を探知し、監視するにはほとんど役に立たないのが現実だ。「静止衛星で見張れる
のではないか」と思う人も少なくないが、それは不可能だ。静止衛星は地球の直径の3
倍に近い高度約3万6000キロで赤道上空を周回する。この高度で衛星速度と地球の自転
の速度が釣り合う。この為地球から見て止まっている事になる。だから電波の中継など
には活用される。が、この距離はミサイルのような小さい物体を撮影することは不可能
で、米軍では光学カメラを搭載した光学衛星5機、レーダー衛星7機更に実験衛星5機
でもまだ鮮明さに欠ける。日本は光学衛星2機、レーダー衛星5機の運用だが、故障も
あって実質5機で、同時稼働する事も無い。とされる。常時監視や鮮明な分析には偵察
衛星が百数十機を上げておく必要があるが、そんな事はどの国もしない。飛行機を飛ば
す事の方がずっと簡単で有利だからだ。今や弾道ミサイルは移動発射台搭載で山岳地帯
などのトンネルに隠して燃料を注入し待機する「貯蔵型液体燃料」を使用している。新
型は、さらに即時発射可能で、移動も固体燃料で楽だ。これではトンネルから出てきて
発射まで15分程とかからない。大型グライダーの「グローバル・ホーク」の偵察機を常
に旋回させてもトンネルから出て来たところを攻撃する事はおろか発見することも困難
である。従って、ミサイル発射後の赤外線は探知するぐらいだ。「発射」第一報を受け
、迎撃のミサイル防衛は出来るが、敵基地攻撃などは全くできない。基地がないからだ
。つまり、敵基地攻撃論の論拠はなく、敵地攻撃と勘違いした議論があり空虚である。
 昭和天皇がいたら唾を吐くような議論としてさっさと退席しただろう。それほど戦禍
の中の苦しさ、戦後の生活の苦しさを知っていた。それが彼の運命的人生と言えばそれ
で終わりだが、それなりに死を覚悟して物を言った事は度々あった。2・26事件など
の国内紛争でも、日中戦争時の海外要人を迎えた時も、御前会議で反対した時も、終戦
に向けて玉音放送した時も、戦後を作る為にGHQのマッカーサー対談を果たした時も
、更には国体保持に戦後に方々に行幸した時も、暗殺や暴徒の危険を顧みないその態度
で日本を救ってきたのであろう。そしてその誇りこそが松岡けなしの一因でもある。
【ボリビア】新型コロナ患者の死を生放送、テレビ番組に非難殺到 [ひよこ★]
518 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 22:47:21.47 ID:ZH/U0WA+0
 アメリカは何に失敗したか。    国際社会の制裁の実態   ・・・・7

 真珠湾攻撃に対して アメリカが事前に知っていた事は、陰謀説として片づけられる
。そして、その理由の多くは、真珠湾攻撃には無線を使わなかった筈だし、暗号文での
連絡だった筈だから。と言う理由が多い。しかし、輸送艦アンタレスと駆逐艦ハワード
の事が隠される理由からも 多くの事がハワイの無線傍受センターは理解していたのだ
ろう。ハワイにあったアメリカ海軍情報部(海軍情報局)合衆国のインテリジェンス・
コミュニティー(情報共同体)の統合本部として機能した。陸軍の情報保全コマンド(
INSCOM)、空軍の情報・監視・偵察局(AFISR)、海兵隊 の情報部とともに、国防総省
の管轄下にある四軍の情報機関を束ねた任務に当たっていた。しかし、仮想敵に関する
諜報情報の収集が日々の任務で優秀ではあったが、収集した情報の分析及び配布は許可
されていなかった。この権限を有していたのは、海軍作戦部のみであった。海軍情報部
の歴史は古く、かつての合衆国を二分した南北戦争からである。合衆国海軍は南北戦争
において、連合国海軍(南軍)とともに装甲艦(甲鉄艦)を建造・実戦投入したり、海
上封鎖により南部経済に大きな打撃を与えるなど行う為に創設され、次第に大きな進歩
・戦果をあげた。第二次世界大戦における最も輝かしい成果は、日本海軍の暗号のほぼ
完全な解明とその事実の秘匿の成功であると言われている。日本海軍の暗号の解読は、
ミッドウェー海戦時に日本空母の正確な所在地を確定し、その勝利にも大きく貢献した
。又。1943年04月18日の連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将搭乗機の撃墜にも(海軍
甲事件)も、その成果の1つとされる。こうして日本軍に対しては数々の戦果を挙げて
いて、マキン島コマンド奇襲による暗号書類の奪取や、ガダルカナル島において座礁し
たイ‐1潜水艦内部からの暗号書類、暗号装置の奪取、海軍乙事件においての作戦関係
書類の情報分析など、情報戦での貢献は非常に大きなものがある。この情報戦の分野で
日本は、陸軍の堀栄三少佐が中心となり対策を講じたが、戦勢挽回には至らなかった。
また、ドイツ海軍のUボート潜水艦の暗号無線機エニグマの奪取作戦に参加して、その
解読に成功した結果、Uボートを大西洋から駆逐することに成功し、英国の初期コンピ
ューターもアラン・チューリングが開発した多数の暗号解読機「ボンベ (Bombe)」も、
ここに複製され稼働した。戦時中に、一連の独立部署が創設され海軍写真解読センター
なども増部された。、艦隊の作戦準備には顕著な影響を与えていた。ブーゲンビル島で
山本が撃墜されたのもこうした解読からであったが、そもそもが山本自体が開戦前から
電波が傍受されて、アメリカの暗号解読が進んでいる事は知っていた。たからこそ空母
の撃沈がなかったのに追撃命令を出さなかったのである。海軍情報部または海軍情報局
の存在は当然山本五十六は知っていた。と言うよりは研究してた。と言った方がよい。
帰国後もアメリカの本など取り寄せて海軍情報は集めていた。しかし国防総省の管轄下
にあって、収集した情報の分析及び配布は許可は全て作戦本部で押さえていて、口外す
ることも雑談する事も出来なかったのである。つまり攻撃が判っていたと言う資料は、
確実に廃棄する事が求められていたのである。そもそもが日本は米国に勝とうなどとは
思っていない。最初からハワイ攻撃などを想定したのは国際社会に溶け込む共和主義で
あったからだ。それを判ってくれ。と言う訳だったが、もし戦略的に欧米流の戦争意思
だったら、最初からアメリカの油井を叩くし、ニューヨークやワシントンを狙って上陸
作戦を決行するであろう。それを行わなったの中国制圧と同じに、国力拡大よりは国体
保持を優先する民族だったからに他ならない。そしてそれは天皇一下国民全部が戦争を
嫌う国家だったからだ。これに対し米国は参戦理由に叩き原爆まで落としたのである。
【ボリビア】新型コロナ患者の死を生放送、テレビ番組に非難殺到 [ひよこ★]
519 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US][]:2020/08/28(金) 22:49:42.92 ID:ZH/U0WA+0
 アメリカは何に失敗したか。    国際社会の制裁の実態   ・・・・8

 1940年9月3日には米英防衛協定が調印され、アメリカはイギリス領のニューファンド
ランドと、北大西洋のイギリス空軍、海軍基地を使用することと引き換えに、イギリス
に50隻の旧型駆逐艦と、大量の小銃、機関銃、砲、弾薬を貸与した。1940年09月27日、
日独伊三国同盟条約が調印されたことを聞いて、ルーズベルト大統領は側近に「これで
、日本をわれわれとの戦争に誘いこめる」と笑顔になったという。1940年10月07日には
、アメリカ海軍情報部極東課長のアーサー・マッコラムによる、@蒋介石政権に可能な
限りの支援を行う A米英が協力して対日禁輸を実施する B蘭印に日本へ石油を輸出
させない。などの項目からなる、日本を対米戦争に追い詰めるための提案書が提出され
、ルーズベルト大統領はただちに承認した。マッコラムメモが流用された瞬間だった。
このメモ形式は欧米ではもっともポピュラーな事で、イエロージャーナルの新聞記者が
嗅ぎつけない様に軍人上がりの政治家は多用した。ポツダム会談でも史上最大の作戦と
言われたノルマンディー上陸作戦でも同じにメモによる連絡や宣言或いは打ち合わせで
あった。1941年8月9日からルーズベルトとウィンストン・チャーチルはニューファンド
ランド島の沖合のアルジェンチアで会談を行った。が、この時チャーチルは何としても
アメリカをヨーロッパ戦争に参加させ、ナチス・ドイツとの戦争に勝利しなければなら
なかったのである。実は日本の物理学は長岡半太郎時代に肩を並べ、戦時には既に欧米
を抜いていた。オットー・ハーンとリーゼ・マイトナーの1938年にウラニウムの、核分
裂を報告した。これは即座に多数の原子物理学の科学者達に、強力な爆弾「原子爆弾」
が理論的に作成可能である。という事を示していた。しかし、ほとんどの科学者はその
様な原理的な爆弾は不可能であると考えていた。ここでイギリスはチューブ・アロイズ
という核兵器開発計画が立ち上がる。第二次世界大戦中の核開発の英国のコードネーム
だが核兵器開発と言うよりは、高レベルの秘密として可能性を管理する事だった。しか
しこの開発が現実味が帯びるとイギリス国内での実験や研究は不可能と判断して米国と
協議に移った。このプロジェクトを科学的成果を見返りに資金提供したのだ。数ヶ月の
交渉後、ケベック協定が、チャーチルとルーズベルトの間で1943年08月19日に結ばれた
。アメリカのマンハッタン計画はそうやって始められ科学者集団はロスアラモスへ向か
う事になる。ところが戦争終了後、イギリス政府はアメリカが技術を共有すると信じて
いたが、それらの技術に英政府はアクセスできなかった。1944年06月マンハッタン計画
に合流し一緒に発明を行なった。と見ていたのに英国は自力開発を迫られたのである。
だが、その成功に仁科芳雄は充分に貢献している。彼は、当時に概要でしか求められな
かった散乱するエネルギーに、相対論や量子論の効果を取り入れた光散乱の精密な関係
式でエネルギー量を計れる、クライン=仁科の公式を発見していた。実はこのクライン
=仁科の公式が無ければ、原爆の爆発度合いの数値は見つけられなかったとさえ言われ
る程重要な計算式だった。マルセイユに渡った彼は、ケンブリッジ大学やゲッティンゲ
ン大学に移った。しかし「物理学は十分に成熟していて新たに取り組むべき問題はもは
やない。」と家族への手紙に書いている。しかしニールス・ボーアの講演を聴いて改め
て物理学興味を持ち1923年にコペンハーゲン大学のボーアの研究室に移り研究員として
5年半過ごし、このクライン=仁科の公式を発見して帰国した。


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