- 河北新報@社説
254 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/06/02(木) 11:37:40.44 ID:AUWMB2Af0 - 以下のメール送ってみた。
昨日の「大変を生きる」の書評を読みました。 私は「三陸海岸大津波」自体は読んだことがないのですが、書評内で「50mの津波が来た」とされているのが気になりました。 ウィキペディアには、以下の様に書かれています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E4%B8%89%E9%99%B8%E5%9C%B0%E9%9C%87 >小説家・吉村昭はルポルタージュ『三陸海岸大津波』のためにこの災害に関する証言収集の一環として岩手県田野畑村羅賀を訪問した1970年(昭和45年)、津波当時10歳であった老人から 海抜50m近くあった自宅に津波が浸水してきたという証言を得たと記しているが、海洋学者・三好寿は、件の老人の家は国土地理院の地図によると海抜25m程度に位置し、50mという値は吉村と老人の会話の食い違いから生じた誤認であったとの見解を示している。 つまり、50mというのは吉村氏の間違いであった可能性があります。 明治三陸津波の最大記録は38mですから、50mとなると今までの記録が塗り換わってしまうことになります。
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