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475 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/12/20(金) 10:33:09.12 ID:rMoDWGvg - 教養とはある種の幻想に価値を認める態度である。
幻想的かつ理想主義的な世界観を持つことによる満足はありうるがそれはあくまで幻想でしかない。 にもかかわらずそのような幻想的な世界観は多様でありうるゆえに、合理的でしかし近視眼的な判断に対して様々なバラツキと幅を与える効果がある。 そうであるがゆえに、個人がいくつかの理想主義的な営み…2つ以上の趣味(や信仰)を持つことは人生に有用である。(2つ以上としたのは狂信的ないし原理主義的になることを避ける意味で) と同時に本質的に無害であるような理想主義的な集まり(毎朝公園で自発的に行われるラジオ体操など)があることは社会的な連帯を生みかつ権力の分散をもたらし社会的ないし政治的にも有用である。 ゲーム理論との関連でいうと、ゲーム理論は社会に対する意図的な判断に関しては 一定の正当性をあたえるが人々の社会的判断の大半は非意図的でありその部分も加味すると結果が人々に直接の意図として厳密に表れるのでないような政策的意図と その波及的影響という要素が大いにありそれがおおよそ教養といえるのではないか。 実際書店には必ず西洋なり中国なりの政治の古典の解説書は置いてあり 一定の読者は常にいるようです。あるいは人生を説く自己啓発の師も大勢いて それぞれに一定の読者をそれぞれ獲得しているようです。 宗教は宗教で厳として存在しており、信者は信仰を生きる手引きにしています。 そう考えると、大体において世の中は実際に教養で支えられているように見えます。 事実として生存競争の敗者が必然的に生ずるという事実はありますが、それも含め できるところまでするしかないということではあるでしょう。しかしそれをもって 教養の行きつく果てをある種の諦念とするのでなく、理想ないし幻想を梃に 死ぬその瞬間まで気分を明朗に保つというのが教養であるとしたいと思いました。
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