- 堺屋太一
133 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2019/12/06(金) 21:46:07.30 ID:lj/rd+QM - 私の父方の祖父は障害を持つ子供たちを引き受ける学校の校長先生でした。
祖父は生徒たちの命を助けるため、必死になって疎開先を探して毎日大変な目に遭っていました。 子供たちを危険に晒す戦争にも反対していました。 母方の祖父は沖縄戦で亡くなりました。まだ二十代の若さで。田舎で百姓をやっていた青年です。 私が高校生の頃、同級生だった在日の人はこう言いました。 「お前のお爺ちゃんも戦争中は悪いことしたんだからお前も俺に謝れ」 その日のことを私は一生忘れないと思います。
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