トップページ > 経済学 > 2018年04月01日 > LeWtyy4H

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名無しさん@お腹いっぱい。
マンキューの経済学書で学んでいる人のスレ

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マンキューの経済学書で学んでいる人のスレ
70 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/04/01(日) 10:27:56.54 ID:LeWtyy4H
メニューコスト関連:

Small Menu Costs and Large Business Cycles: A Macroeconomic Model of Monopoly(PDF) (英語)
Quarterly Journal of Economics. 1985;100(May):529-537.
http://scholar.harvard.edu/files/mankiw/files/small_menu_costs.pdf

日本語訳:
http://blog.livedoor.jp/sowerberry/archives/26972079.html
http://blog.livedoor.jp/sowerberry/archives/27117411.html
補足
http://blog.livedoor.jp/sowerberry/archives/27162481.html


 いくつかのケインジアンのモデルでは、価格は単純に外生的に固定されている。他のモデル
では、経済参加者が取引の前に、前もって価格を設定しておかなければならない。提示されて
いる価格を変更するのは、確かに費用がかかる。これらの費用は、新しいカタログを印刷した
り、販売員(販売店)に新しい価格を知らせるなどの費用を含む。しかし、これらの「メニュー・
コスト」は小さいものであり、従って、一般的に固定価格モデルを採用する理由としては、弱い
理論的基盤しか与えないと見なされてきた。しかし、この考えには見落とされている点がある。
小さいメニュー・コストでも大きな社会的損失を生み出す可能性があるのである。価格を修正
する費用は小さい、という主張だけでは、その費用が経済変動を理解する上で重要になる、
という主張を否定することはできないはずだ。
 この論文は、独占企業の価格設定の静的モデルを提示する。企業は前もって価格を設定す
る。そして、事後的に価格を変更するが、そのときには小さいメニューコストを払なければなら
ない。この論文で私は、企業の価格最適化の方法は、社会的に見て決して最適でないことを
示そうと思う。

メニューコストについては以下の方も参照
Relative-Price Changes as Aggregate Supply Shocks (PDF) (英語) (with Ball L)
Quarterly Journal of Economics. 1995;Feb:161-193.
http://scholar.harvard.edu/files/mankiw/files/relative-price_changes.pdf
マンキューの経済学書で学んでいる人のスレ
71 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/04/01(日) 11:10:21.88 ID:LeWtyy4H
Mankiw, "Reincarnation of Keynesian Economics."
http://www.nber.org/papers/w3885.pdf

http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20110604/The_reincarnation_of_keynesian_economics
それ[ルーカス]に対しこの小論でマンキューは、ケインズ経済学は転生した、と宣言しているわけである。ただし、
再生ではなく転生という言葉を使った点について、以下のように説明している。

このケインズ経済学の再出現を「再生(resurrection)」ではなく「転生(reincarnation)」と呼んだのにはわけ
がある。私の辞書では「転生」を「別の体への生まれ変わり」と定義しているが、それは今日のケインズ経済学を
良く表わしている。1990年代のケインズ経済学は、以前のケインズ経済学の精神を受け継いでいる。以前のケインズ
経済学と同様、ニューケインジアンたちは、ワルラス的な枠組みで経済全体の好不況を説明することに疑問を呈し
ている。新旧のケインジアンは共に、見えざる手が完全雇用を維持できるという見方に懐疑的である。
しかしながら、こうした一般的な原則以外では、新旧のケインジアンは大きく異なっている。多くの点で、
1990年代のケインズ経済学は1930年代のケインズ経済学と似ておらず、1960年代のものとさえ違っている。
一部のオールドケインジアンにとっては、ニューケインジアンはまるでケインジアンに見えないかもしれない。
実際、ニューケインジアン経済学は、デイヴィッド・ヒュームの古典派経済学、もしくはミルトン・フリードマン
のマネタリストの経済学の方により似ているようにさえ見えるかもしれない。

こうしたマンキューの見解は、ここ↓で紹介したRoweの主張と共通している。
[魚は自分の泳ぐ水を感じない(原文は「Fish don't feel the water they swim in.」)
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20101208/Fish_dont_feel_the_water_they_swim_in]
その上でマンキューは、旧来のケインズ経済学の以下の6つの主張に疑問を投げ掛け、それらは捨て去るべきだ、と
述べている。

1.経済の仕組みを理解する最善の方法はケインズの一般理論を注意深く読むことである
2.古典派経済学の教えは世界の仕組みを理解する上で役に立たない
3.資本主義経済は、趨勢的な停滞を招きかねない過剰貯蓄の脅威にさらされている;従って、財政赤字を伴う支出は
経済にとって良いことである
4.財政政策は経済の安定化のための強力なツールであり、金融政策はさほど重要ではない
5.政策当局者はインフレを許容すべきである、というのは、それは低失業率の代償だからである
6.政策当局者は経済環境の変化に対応するために裁量的な政策を実施することが許される
べきであり、厳格な政策ルールへの固執は避けるべきである

大不況後の現在から見ると、ここでマンキューが排撃した6つの主張が(少なくとも一部は)
まさに「resurrection」を遂げたように見えるのが興味深い。


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