- 内田樹の経済学
31 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2013/06/24(月) 07:52:48.36 ID:qjNgdtin - なぜみんな緊縮を支持するのかーひとつの仮説 Noah Smith
http://econdays.net/?p=8230 ポール・ローマーは、かつて「危機を無駄にするのはもったいない(A crisis is a terrible thing to waste)」と言った。 危機は長く凝り固まった制度を変え、長く求められていた改革を行うチャンスを与えてくれると広く信じられている。 この言葉を前にすると、次のような不快な疑念が沸くのを止められない。 つまり、これは危機を引き起こす、少なくとも容認することが長期的に制度を改善するための最善の方法だということを意味しないだろうか。 制度改革を長く唱えてきた人物の気持ちを考えてみよう。 例えば、自分が「日本通」の欧米人だと想像してみてほしい。 長年にわたって日本の停滞を見てきたはずだ。首相が回転ドアのようにパタリパタリと交代していくのも見てきた。 自民党による長期政権が何兆ドルもの納税者のお金を政治的に繋がった土建会社にばら撒いて 国中の川底にコンクリートに流し込むのを、 さらには女性たちが性差別主義者たちによって非生産的な主婦業に従事させられるのを、 因習的な企業文化を、他に類を見ない創造性溢れる非関税障壁によって輸入が阻害されるのを見てきたはずだ。 そして日本経済が停滞し、生産性が低下していくのを見ながら待った。 事態が悲惨すぎる程までに悪化して、古いシステムがやがて自らの重みによって崩壊し、 日本が経済・社会的な革命を経ざるを得ない日が来るのを待ちに待った。 「いつの日にか、もはや切り抜けられなくなるはずだ」と自分自身に言い聞かせた。
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32 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2013/06/24(月) 07:54:01.36 ID:qjNgdtin - 2011年、ついにその日が来たように見えた。
日本経済は2008年の経済危機と2011年の地震によって激しく揺さぶられた。 福島原発の事故によって政府の腐敗の酷さが衆目に晒された。 自民党の長期政権は民主党にとって代わられたが、新政権の酷さは良い勝負で、抜本的な政治の「再編成(realignment)」が 国会の有効性を回復する方法であることは明らかだった。 それに何よりも、日本の債務は急上昇を続け、とうとう大量の[訳注:債務の]削減は不可避であるように見えた。 ここで現れたのが安倍晋三、古い自民党の権化であり、デフレ脱却と金融刺激による日本の再生を掲げて政権に就いた男だ。 そしてアベノミクスは効果を発揮しているようだった。円は下落し、インフレ期待が変化し、株価は上昇した。 突如として日本が「切り抜けて」しまう可能性が現実のものとなってきた。 もちろん安倍は構造改革についても約束していたが、そんな言い訳は前にも聞いたじゃないかと自問した。 もし日本が安倍の積極的な反景気後退政策によって切り抜けてしまったら、古いシステムを変更する 実際上のインセンティブは存在しなくなってしまう。 清算の日は再度10年の彼方に追いやられてしまう。 言い換えれば、人々は自分たちが長期的な問題と考えているものを解決するのに景気停滞は最高の機会であると考えており、 だからこそ緊縮という考えを好むのかもしれない。 危機は、それを無駄にしてしまうよりかは害がないとしつつ。 と述べてきたところだけど、こうした考えはとても馬鹿っぽい。 何で僕らは、再建の中でガバナンスは改善するだろうからと定期的に自分たちの街を爆撃しないんだろうか。 でも僕はこの考えが間違っていると自信を持って断言することがとても難しいことに気づいた。 経済学者が安定化政策のコストを議論する際、彼らは市場を歪めるような税、予期しないインフレとか そんなようなものに議論を限定してしまう。 彼らは政治や制度を枠組みに入れることをほとんどしない。 なぜなら、僕らは単に制度が現実にどのようにして機能するのかについて知らないんだ。 だから僕は反景気後退的なマクロ政策が、必要な改革を行う最良の機会を、言うなれば強奪してしまうというアイデアを 否定しきることは出来ない。
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33 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2013/06/24(月) 07:55:09.96 ID:qjNgdtin - クルーグマン 緊縮のスミス・クライン・カレツキ理論 2013年5月16日
http://d.hatena.ne.jp/okemos/20130517 緊縮政策がどれほど失敗しようともエリートからの多大な支持を集める本当の理由について、 ノア・スミスが最近、面白い意見(邦訳http://econdays.net/?p=8230)を出している。 彼が言うにはエリートは経済的苦難を「改革」を推し進めるチャンスだとみているのだという。 この改革というのはつまるところは彼らが望むようにものごとを変えろ、 それがまあ経済成長の促進という利益に実際に貢献するのかどうかはともかくとしてというもので、 こういった変化を必要とせぬまま危機を緩和するようなどんな政策にも彼らは反対するのだと。 「緊縮論者」は不況対策のマクロ政策が制度を改善しないままに社会が危機を「なんとかやり過ごす」のを可能にしてしまう事を懸念しているのではないかと思う。 言いかえると、景気刺激策の成功が都合のいい危機を無駄にしてしまうことを恐れているのだ。 ... もし彼らが景気刺激策の危険とは失敗ではなく成功の事なのだと考えているのなら、彼らはそうはっきり言うべきだろう。 そうやってようやく、コストとベネフィットについての最適な政策論議をすることが可能になるだろうと僕は思っている。 そして彼が述べるごとく、このポストが書かれた翌日にワシントンポストのSteven Pearlsteinが緊縮政策の為、まさにその主張をおこなっている (タイトルが"The case for austerity isn’t dead yet"(緊縮の根拠はなくなってはいない)。 確かに緊縮政策は景気を悪くするべきだが、それでもやる意味があると主張するコラム。) すこし驚きなのだが、スミスは彼の議論がナオミ・クラインのショック・ドクトリンのそれに非常に近いという事を述べていない。 その本の主張は、エリートがネオリベラル政策を推し進めるために惨事を組織的に利用してきた、 たとえそういった政策が惨事の根本とは本質的には無関係であってもそうだったというものだ。
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34 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2013/06/24(月) 07:57:50.62 ID:qjNgdtin - 私としては、彼女の本が出た時にその本を嫌う偏見を持っていたことは認めておかなければならない。
たぶん、自分の職業的な領地を守ろうとしようとしてとか、まあそういう事から。 (クルーグマンは左だけど、一般的には左とされるような反グローバリズムの人とかとは微妙な関係にある。) しかし彼女の仮説は多くの事を、とくにヨーロッパで起こっていることについて説明するのに本当に助けになる。 そしてこの繋がりはさらに続く。2年と半年前、 http://rortybomb.wordpress.com/2011/01/21/kristol-kalecki-and-a-19th-century-economist-defending-patriarchy-all-on-political-macroeconomics/:totle=Mike Konczal]が 我々にミハウ・カレツキによる由緒ある1943年(!)の論文のことを教えてくれたが、 カレツキは実業界がケインズ経済学を憎むのは、それが上手くいくことを彼らが恐れているからだと述べている。 上手くいってしまえば、政治家たちはもはや信任を維持の名の下にビジネスマン達に首を垂れる必要がなくなってしまう。 これは、緊縮を行わなければならない、なぜなら景気刺激策は構造改革へのインセンティブを取り除いてしまうから、そして予想がつくだろうが、 この構造改革こそがビジネス界に彼らが景気を回復してくださる前に提供しなければなならないものなのだという主張にとても近い。 そしてやはりというか、今朝、私のメールボックスにアベノミクスの成功の兆しを嘆く記事が届いていた :アベノミクスはうまくいっている−−しかし上手くいきすぎない方がいいとか。 もし上手くいってしまったら、どうやって構造改革をするんだということか? なので、緊縮への欲求とは逆ヒポクラテスの誓いの実践とみなすこともできる:「一 苦しみを和らげる事はするべからず」。 ネオリベラルの改革が花咲くためには、人々は苦しまねばならないのだから。
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