- サヨク教員
3 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/10/29(土) 01:47:16.18 ID:6uoWKOgS -
大学の先生でもないし、経済学とも関係ないんだが、小学校の先生でこれでもかってぐらいの左の先生がいた。 普通、小学校の先生は担任が全教科を教えるんだが、うちの小学校は6年になると社会は社会専門の先生が教鞭をとった。 自分はいま38歳。当時その先生は50前後だったと思う。小6の社会はほとんど日本の歴史だった。教科書も使ったがプリントが多かった。 そのアラフィフの先生のプリントを使った授業が実にふるってた。以下列挙してみる。 ・山上憶良の貧窮問答歌 「・・・こしきにはくものすかきて・・・」といって、いかに当時(奈良時代)の庶民が役人からの苛斂誅求に虐げられていたかを延々、2時間。授業参観の日にその古文を読まされる・・・ ・正長の土一揆、近江坂本の一揆、一向一揆の大礼賛 お上にたてつき一揆をおこす農民がいかに勇気があって 弾圧する武士がひどい存在だったかをイラスト付きで熱血指導。 自分もその先生も石川県出身ではないんだが、前田利家よりも一向一揆を英雄視した授業をするんだろうな・・・ (しかし、これらの一揆、小学生の履修する内容なのかしらん?) ・信長の「恨み瓦」「見せたく候」 確か、信長の家来の前田利家が加賀平定の際、多くの百姓を火あぶりにしたり磔にし、その惨状を百姓が瓦に書いておいたものが後年、出土し、それを授業のプリントで使われた。 それから信長の残虐書状もプリントで配布。大虐殺のあとの累々とした死体を前に信長が「見せたく候」と書状を送ったことをプリントで・・・ (小6っすよ、当時の僕ら…) ・「べろだしチョンマ」「渋染一揆」 渋染一揆は有名なので割愛。「べろだしチョンマ」というのは代表越訴型百姓一揆の悲しい話。 年貢が払えないとお上に進言しただけなのに一家全員がお上に楯ついたかどで磔に。 その家の子はべろを出し眉毛を下げたひょうきんな表情をして弟や妹をあやしたりしていた。磔になっても泣き叫ぶ弟たちを笑わすためこの表情をしたというもの・・・ これもプリントで。(その日の給食のコーヒー牛乳がほろ苦かったこと・・・) ・「名裁き」 これもプリントで。江戸時代、ある被差別部落の一員が祭りに行ったところ町人複数に絡まれ袋叩きにあって殺されてしまう。 それを仲間が町奉行に訴えたところ「その方ら7人が町人1人の価値に値する。まともに裁きを受けたくば、あと6人殺されて来い」との判決。 当時これが名裁きと評判だった・・・ 「さあ、これをどう思う? 」って授業。(なんか、言ってほしい答えが決まってるやん・・・ともいえず。。。) ・とにかく徳川憎し。 一貫して身分差別、同和問題すべて徳川が悪い!って論調。今から考えると江戸時代に急に「おまえ今日からエタ」「今日から商人な」って身分が固まるわけないのだが、さもそんな感じで決まったかのような論調。 島原の乱も、乱の事実、原因というよりは、いかにキリシタンの拷問がひどかったかを強調してたような気がする。 ・南京大虐殺 これも有名な話。いかに日本軍が蛮行を働いていたかをプリントで。しかもどくろや哀れな子供のの写真付きで(今じゃ信憑性の薄い写真)。 ・「したに〜したに〜」 授業参観の時、生徒全員に「したに〜したに〜」と掛け声。そして親の前で一斉土下座!(実話です) 「なっ、こんなことを武士はさせてたんだよ」 (どうやら武士の非道さを教えたかったらしい) まあ、とにかく、「お上は悪、庶民は弱く正しい」というのが基本。唯物史観だの、階級闘争だのが好きだったんでしょう。 風の噂によると、彼は今、70を超えてもなおかくしゃくとして、某左翼系政党所属の議会議員として力をふるっているという。 果せるかな。くわばらくわばら・・・ 大体こんな感じなのかね? 当時の小学校社会科指導って。今はどうなんだろう?
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