- チェルフィッチュ、五反田団、ポツドールあたり
600 :名無しさん@公演中[sage]:2013/10/15(火) 01:55:55.19 ID:cZUb/6Gv - 僕は「ここは駄目だよ、衰退する街だよ」と思っています。要するに何かが足りないんですよ。元佃だって、佃煮屋さんなんかけっこうあっておもしろいけれど、それだけなんです。
何かが足りないというのは、高度な資本主義社会に対応できていないんです。たとえば、若者たちが集まる今のお台場の町にしても、 本当なら佃島や月島の人が出ていけばいいところなんです。しかしそんな頭は働かないから、他所からきた資本に占められてしまい、地元はさっぱり。 どっちつかずなんですよ。つかり「ここは埋立地で、伝統なんかそんなものは全然ないんだって」というだけの開放感もない。元佃は佃煮の古い土地だとか、 そんなことをいっていても、時代に即応して少しは何とかしようというものもないんです。だからここはもう衰える一方だって、僕らは考えているわけです。
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601 :名無しさん@公演中[sage]:2013/10/15(火) 01:57:07.43 ID:cZUb/6Gv - アフリカ的な都市の可能性、つまり第三世界的都市の可能性はないだろうか
と考えると、僕にはただひとつだけあるとおもわれるのです。それはようする に草原です。草原がこれでいうと28.3%、つまり30%近くが草原だとい うことです。草原のあとにこれを耕作地にしていくというふうに発想すれば、 たぶんアジア的段階の都市、あるいはそんな自然に近づいていくことになりま す。しかし、アフリカにおける民族国家の政府が左翼であれ、保守派であれど ちらでもおなじですが、とても賢い政府で、よくよく人類の歴史を見通すこと ができ、この草原地帯を、理想の都市像に設計しようとか、理想の都市と農作 地をどういうふうに位置関係を割りふりをしたらいいか、懸命に考えて計画を 練り、その計画を実行する可能性があるとすれば、それはこの草原地帯しかあ りえないわけです。いいかえれば、草原地帯があるということは、それができ ることを意味します。
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602 :名無しさん@公演中[sage]:2013/10/15(火) 01:58:25.41 ID:cZUb/6Gv - 世界がこの先どうなっていくっていうのは、経済的理由や軍事的理由をいく
つかあげることはできても、これが主たる理由だというのはなかなか指摘しに くくなっているということが言えるんじゃないでしょうか。それは、世界史の 全般にわたって形が見えなくなってしまっていると。つまりこれまでは、単純 に言ってしまえば軍事力と経済力のふたつを見ていれば、だいたい世界史的な 行き方と現状の対立の原因が、一般的にはわかるものではあったんですね。 しかし現在の状況を見ると、その他にプラスXやプラスαか、なにか世界史 的な理由が、あるいは世界史的な根拠があるんじゃないかと。それがなんであ るかっていうのをよく見ないと、いろいろな間違いを起こしてしまうと思うん です。
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603 :名無しさん@公演中[sage]:2013/10/15(火) 12:31:01.78 ID:cZUb/6Gv - <横浜が神戸と異なるのは、多くの文学作品の舞台になったということである。さらには、作家そのものをこのまちは幾人も生んだ。横浜の都市成分に、そういうものも、あるいは含まれているのではないか。>
<たしかに、このまちは日本の他の都鄙と異なっている。都市に含有されている「成分」というべきものが多様で、 こういうまちに育って成人したひとびとは、倫理的な骨組みや美的な皮膚感覚、さらには自己のなかの世界像が、どこかちがってくるにちがいない。> <三島由紀夫はその生立ちにおいて横浜とは無縁だが、その「午後の曳航」において港の背後の台上に成立した富裕な階層のもつ気分が、ある母子の特殊な状況を通じて見事に描かれている。 その台上の家はつねに外国船の出入りする港が足元にあり、非日本的なものが、台所から子供部屋、若い母親の寝室にいたるまで潮風ともに満ちていて、世界というものの華やぎと物憂さが、住む人の大脳のひだにまでしみ入っているようである。
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604 :名無しさん@公演中[sage]:2013/10/15(火) 22:20:28.02 ID:cZUb/6Gv - 横浜には旧幕時代という歴史があり、この点、神戸は、明治維新とほぼ同時に開港したために、
迷いも暗さも苦味もないあっけらかんとした開明時代そのものの歴史が、まちの性格を決定づけている。 しかも、神戸の゛開化゛を推進した初代の兵庫県知事が、 御殿山英国公使館焼打の犯人のひとりである伊藤博文であったということは、幕末・明治の価値の逆転史を考える上でも、 横浜と神戸の性格と歴史を感じる上でも、ひとつのつぼであることをおもわざるをえない
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