トップページ > 演劇・舞台役者 > 2011年05月10日 > QYzEO3xG

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名無しさん@公演中
三島由紀夫全戯曲上演プロジェクト

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三島由紀夫全戯曲上演プロジェクト
394 :名無しさん@公演中[]:2011/05/10(火) 10:23:45.28 ID:QYzEO3xG
この地上で自分の意欲を実現する方式に二つはないのではないか? 芸術も政治も、その方式に於ては一つなのでは
ないか? だからこそ、芸術と政治はあんなにも仲が悪いのではないか? ただ、いつも必ず失敗し、いつも
必ず怒つてゐるのは、理想主義者だけなのである。
ワグナーは、加藤道夫氏とちがつて、どうやら、理想の劇場は死んだといふことを、誰よりも鮮明に、腹の中で
知つてゐた男のやうに思はれる。だから彼の「理想の劇場」が建つてしまつたのである。しかしこの壮大な規模の
古代祭典劇の再現を自分で見ながら、やはりワグナーは、その友にして仇敵ニイチェが荘厳な面持で、
「神は死んだ」と言つたやうに、ニヤリと笑ひながら、「理想の劇場は死んだ」と呟いてゐたかもしれない。
私はワグナーといふ男のことを考へると、彼の作品のあのやうな悲愴さにもかかはらず、ワグナー自身は、毫も
悲愴さを持たぬ人間だつたやうな気がしてならない。それは多分彼が「芸術家だから理想主義者ではない」といふ
風土に、育ち且つ生きたからであらう。

三島由紀夫「楽屋で書かれた演劇論 理想の劇場は死んだ」より
三島由紀夫全戯曲上演プロジェクト
395 :名無しさん@公演中[]:2011/05/10(火) 10:24:55.89 ID:QYzEO3xG
ラヂウムを扱ふ学者が、多かれ少なかれ、ラヂウムに犯されるやうに、身自ら人間でありながら、人生を扱ふ
芸術家は、多かれ少なかれ、その報いとして、人生に犯される。
ラヂウムは本来、人間には扱ひかねるものである。その扱ひには常に危険が伴ふ。その結果、人間の肉体が犯される。
人間の心とは、本来人間自身の扱ふべからざるものである。従つてその扱ひには常に危険が伴ひ、その結果、
彼自身の心が、自分の扱ふ人間の心によつて犯される。犯された末には、生きながら亡霊になるのである。そして、
医療や有効な目的のために扱はれるラヂウムが、それを扱ふ人間には有毒に働くやうに、それ自体美しい人生や
人間の心も、それを扱ふ人間には、いつのまにか怖ろしい毒になつてゐる。多少ともかういふ毒素に犯されて
ゐない人間は、芸術家と呼ぶに値ひしない。

三島由紀夫「楽屋で書かれた演劇論 俳優と生の人生」より


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