- 【粋】大衆演劇がおもしろい!〜第25場〜【艶】
691 :名無しさん@公演中[sage]:2011/03/22(火) 00:22:57.35 ID:ef9cv1G/ - あの時点であそこで演ることは、じぶんたちだけでなくお客にも危険性が有ったからヤムを得ない。
まだ被害が出てないというのはあくまで結果論にすぎない。
|
- 【粋】大衆演劇がおもしろい!〜第25場〜【艶】
693 :名無しさん@公演中[sage]:2011/03/22(火) 01:49:01.02 ID:ef9cv1G/ - 被災地で被災者を励ますために公演するのは被災後でも遅くない。
まだ被害が出るかもしれない所に踏みとどまるのが褒められることか? それこそ第三者のエゴだよ。
|
- 【粋】大衆演劇がおもしろい!〜第25場〜【艶】
695 :名無しさん@公演中[sage]:2011/03/22(火) 06:01:29.25 ID:ef9cv1G/ - たまたま被害が無くてよかったけど、被害が予想される所にいたなら避難して当たり前。
避難しなかったらしないで金儲けのためなら安全はどうでもよいのかと言われ、 避難したらしたらで逃げた呼ばわり、どうすれば誰もが満足するの?
|
- 【粋】大衆演劇がおもしろい!〜第25場〜【艶】
706 :名無しさん@公演中[sage]:2011/03/22(火) 17:15:45.65 ID:ef9cv1G/ - >>705
津波大警報出てたから必ずしも安全ではなかった。 しかも昔から九十九里は安全な地域ではない。 ↓ 元禄一六年(一七〇三年)一一月二三日(今日で言うと一二月三一日)深夜から未明にかけて起きた大地震による巨大津波で 九十九里地方では深夜の大地震に続いて起こった大津波で、数千人の死者が出たといわれます。現在、犠牲者の供養のために建てられた石碑が一八基も残っています。 その一つ成東町の百人塚の由来記につぎのようなことが書かれています。現代の言葉に直してみましょう。 「元禄一六年一一月二三日の深夜(午前一時頃)大地が大揺れして人々は天地がひっくり返るかと思った。古い家は壊れつぶれ、山は崩れて、池は平地になってしまった。ひとびとはあわてふためいて逃げようとしても、よく歩くことができなかった。 海辺の人はまさか大波が陸に押し寄せるなどとは夢にも思わず、彼方此方に集まって、嘆きあっているだけだった。 夜明け前の一番鶏が鳴いた頃、大津波が矢よりも速く陸に向かって襲いかかってきた。浜にともを並べた漁船や、海辺に軒を連ねた納屋も漁師たちも、一瞬のうちにすべて粉々に壊れ滅びてしまった。 死人は田や畑に散らばり、畑の畝や他の畦を枕にして横たわっていた。成東本須賀だけでも九六人の犠牲者が出た。この地に犠牲者を葬って百人塚と名付けたのである。」
|
- 【粋】大衆演劇がおもしろい!〜第25場〜【艶】
707 :名無しさん@公演中[sage]:2011/03/22(火) 17:17:35.97 ID:ef9cv1G/ - 続き
九十九里浜だけでこのとき亡くなった人は二三八七名だったといわれます。中でも南白亀(なばき)川流域の村々の被害はひどく、 幸冶村は推定人口四二〇人中 三〇四人と七二パーセント強が、古所村は六〇パーセント、中里村は五九パーセント強の人々がそれぞれ犠牲になったそうです。 この他、内房の鋸南町から外房の御宿までの南房総では、約二八〇〇人の犠牲者が出たそうで、 特に鴨川市の旧前原村では、全村民およそ一三〇〇名が津波に飲み込まれたといわれています。 江戸湾から神奈川の犠牲者を除いても、関東沿岸の犠牲者数は五千百人以上になりました。 全滅したといわれる鴨川の前原は紀州海民が開き、漁業基地にしたところであり、 九十九里沿岸もまた紀州海民の漁業基地であったことを思うと、彼らの悲惨な運命は気の毒すぎて言葉もありません。
|
- 【粋】大衆演劇がおもしろい!〜第25場〜【艶】
709 :名無しさん@公演中[sage]:2011/03/22(火) 17:41:33.41 ID:ef9cv1G/ - >>708
あの後も余震に注意ってなってました。 今でもまだ安心できません、茨城沖〜房総東方沖
|
- 【粋】大衆演劇がおもしろい!〜第25場〜【艶】
711 :名無しさん@公演中[sage]:2011/03/22(火) 17:49:32.76 ID:ef9cv1G/ - >>710
しつこいな
|