- 泣ける唱歌・童謡
953 :西六郷合唱団[sage]:2012/05/30(水) 01:03:26.27 ID:CBZCJzBA - >>226
>>872 うちも父の米国海軍の夜間レーダー照準による 砲撃で沈められた駆使艦の通信兵だった兄によせて、 クリスマスは祝わず、里の秋をうたいます。 台湾では、4つ目の歌詞があるそうです。 静かな静かな里の駅に、 白箱に入った父の遺骨を 受け取るにいく、 母と子の情景です。 自分は母方が台湾のクオーターなので、沖縄と違い、 戦場にならなかったけれども、 明治から日本本土してよりそってきてくれた、 台湾の方々、特に戦後すぐの方々の日本の敗戦への気持ちが 現れているのかと思っています。 父は山梨県出身でしたが、兄もみな海軍でした。 陸ではフィリッピンで山岳戦の強さを頼まれた山梨・長野の連隊が 苦しいの戦いで密林に追いやられてなくなっていく中、 同時期に兄の父もフィリッピン沖で敵の射撃により、 暗くなった艦底で亡くなっていったのには、何かしら時というものを 考え込んでしまいます。 父の田舎は東海自然歩道の佐野・徳間の間にあります。 のどかな山の中を戦闘機製造のための軽金属・アルミニウム会社の 送電線が海の方静岡に向かって入っています。 今は錆びた送電鉄塔ですが、後に家で地図で確認すると その送電線の多さに国をあげて激しい勢いの中にあったのが 実感できました。 10年近く前、父の村が町村合併で無くなる前日に、 上井出の駅から井出の里を歩き、徳間から帰りはタクシーで駅に戻りました。 一月前、父の姉の夫が勤めていた浦賀ドッグもなくなるので、 町村合併するこの村に足を運びたかったのだというと 年配のタクシーの運転手が途中で車を止め、深呼吸されました、 それから、井出の駅に暫く停車され、私が電車に乗るまで、 駅に停車され、駅舎のこちらをチラチラと覗かれていたのを 思い出します。 クリスマスイブという流行ものをやらず、偏屈に里の秋を歌い、 近所のすし屋のちらし寿司で祝う父の背景もこの年で理解できてきて、 子どもや妻からは数十年文句を言われるでしょうが、 毎年12月24日にはこの歌をうたっていきたいと思います。
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