- 徐々同人愚痴スレ part.15
557 :名無しさん@どーでもいいことだが。[sage]:2021/03/28(日) 11:35:28.14 ID:ibhszFlv - 安置や悪魔の感情や行動は、紐解いていくと誰にでもある感情がベースになっている。
たとえ成熟した人であっても知らずして罪を犯すこと、抑圧された欲望が歪んで顕在化する事、感情を暴走させてしまう事は起こりうる。 人間は弱い。強い意思で正しく生きようとしない限り、環境で簡単に狂っていく。気を抜けばすぐに悪い流れに絡め取られる。 そして、そういう部分から目を背ければ背けるほど、闇は暗く翳っていく。 安置や悪魔が5部の作中で行うことは決して他人事じゃない。誰しもきっと、他人には見せたくない自分がいて、抑圧された傷があって、諦めた想いがある。 5部敵の存在は、そういう人間の弱い部分をダイレクトに揺さぶってくるから、「敵やラスボスに対してどう思うか」という問いの答えは、その人自身が自分、あるいは人間というものに対してどう思っているかに深く関わってくると思う。
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558 :名無しさん@どーでもいいことだが。[sage]:2021/03/28(日) 12:00:02.99 ID:ibhszFlv - 不安や闇を抱えながら、ぱっと見危なっかしく守りたくなる存在のように見えるけれど、彼らには、すさまじい芯の強さがある。私はこれを5部敵の「徐々らしさ」と呼んでいる。
それは御詠のように颯爽と道を切り開くような鮮やかなものではないけれど、彼らに備わった美徳であり強さ。じっと耐えて、粘って、待って、事を成すのが安置や悪魔の強さ。 たとえば安置は「従順なフリ」をしているわけではなく「従順に振る舞わざるを得なかった」だけ。安置は、あの過酷な環境で生きていく為に、従順である事を選ぶしかなかった。 そして従順さの裏にある安置の感情は、組織での様々な仕打ちの中で恨みとして募り、眩しい人達への嫉妬で濁っていく。 そして最終的に悪魔に子供がいた情報を手にしたことでタガが外れてしまい、安置はずっと抑圧していた「周囲への恨みと怒り」を最悪のタイミングで顕在化させてしまう。 悪魔は犯罪者の息子として生まれ神父に育てられたが「臆病で鈍臭い性格」と知られやっと手にした人並みな幸せさえ自分が母親にした仕打ちの所為で手放す事になる。 恐らくは息子を想い訪ねてきた母親を恐れ拒絶したのだろう。この世で唯一の肉親がかつて罪を犯し自分を求める姿は「過去の恐怖」以外の何物でもなかったのだ。 悪魔があれほど過去からやってくるものと血の繋がりを嫌悪し殺してでも排除しようとする姿勢は故郷の島での出来事が大きく起因する筈だと思えてならない。 こうして人間の感情の仕組みから安置や悪魔を紐解くと、彼らは「幸せになりたかっただけ」という結論に帰結する。 しかし社会的な見方をすれば別だろう。彼らの感情とは別に、彼らが大量殺人を犯すことは事実だ。社会的観点から「敵を許せるのか」という議論をたまに見る。 擁護派と断罪派ではそもそも立ち位置が違うので、この議論はいつも平行線になる。だからここからは意味のない仮定だ。 けれどこれを語らないことには、私がどうして敵を肯定しているのかが伝わらないと思うから、無意味でも書いておく。
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559 :名無しさん@どーでもいいことだが。[sage]:2021/03/28(日) 12:05:43.06 ID:ibhszFlv - まず、私は幸い「身近な誰かを他者の手によって奪われる」という不幸に見舞われる事なく生きてきた。その上、悪魔ほどではないにせよ、発達にトラウマを抱えているため、生育環境に歪められ罪を犯してしまった人にはどうしても同情的にならざるを得ない。それが凶悪犯罪者でもだ。
そして同情的である以上、「実際に大事なひとを殺された時でも同情的な立場でいられるのか」という問いについては、5部についての論争なども見ながら、何度も考えた。 結論から言えば「いられる」。たとえ旦那を殺されようと、同情的な立場は変わらない。何故そう言えるかと言えば、自分の感情や被害者意識と、事実を切り分けて考えているから。 もちろん、それとは別に身を引き裂かれるような悲しみを抱くだろうし、きっと復讐心を抱くこともあるだろう。 けれどそれは私の感情で、加害者を責めても何も解決しない。 彼らはずっと我儘を抑えてきたから上手な我儘の言い方がわからないだけ。成長の機会を奪われた子供に過ぎないのだ。
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561 :名無しさん@どーでもいいことだが。[sage]:2021/03/28(日) 12:34:32.43 ID:ibhszFlv - 実際に「たまたま最悪の形で交わっただけ」「間が悪かっただけ」というあまりにも悲しく空虚な事実があるのみで。
「綺麗事」「正しすぎて怖い」そうかもしれない。そんな風に割り切れる方がおかしいのかもしれない。 感情に任せて他者を責め立てられるなら、どんなにいいかと、自分でも思う。いや、もしかしたら、同情心と憎しみの板挟みになって、理解するより先に心が壊れてしまうかもしれないけど。 けれど罪を犯した人も、行動の結果が違っだだけで同じ人間だと思ってしまう。それは、私自身が彼らと同じように成長の機会を奪われ、エゴを肥大化させてしまったから。 幸せに生きたいという渇望が、満たされない想いが、歪に顕在化して人を傷付けることを、その狂気を、身をもってよく知っているから。 「俺達の邪魔をする奴らなんていなくなればいい」 本当に人を殺せる力を持った彼らがそう思ってしまったら、もう、そこからは泣くのを堪えて世界を敵に回すしか道がない。 安置も悪魔も本当は、ただ認めて欲しかっただけなのに。辛くて苦しくて、ずっと其処にある居場所が欲しかっただけなのに。 皆、「醜い・愚か・邪悪」と見なしたものがのたうち回るの大好きでしょう? それを見て、正義は成されたって高笑いするの大好きでしょう? 悪や悲劇に打ち勝つお話じゃなくて、悪や悲劇の人を虐殺するお話大好きでしょう? それがどれほど醜く愚かでも、見下した相手こそ悪で醜く愚かなのであって自分達は違うって言い張りたいでしょう?
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563 :名無しさん@どーでもいいことだが。[sage]:2021/03/28(日) 12:48:19.88 ID:ibhszFlv - 心の準備をして、できるだけフラットな状態で彼らに向き合おうと思ってアニメを観ていた。
頭が心を他人事だと切り離さないように、身体に爪を立てて観る必要があるほどだった。 そしていつの間にか、彼らの感情に深くリンクしてしまっていた。彼らが死に、無間地獄に飲み込まれるシーンで湧き上がったのは、悲しみでもしんどさでも恐怖でもなく、ただ「怒り」だった。 「なんで彼らの周りにある世界は、こんなにも彼らを嫌っているんだろう」 エンドロールと共に流れる主題歌を聴きながら、怒りに身を震わせて、うずくまってしまった。けれど涙は出なかった。 ああ、ここまでリンクしてしまうんだ。と、自分がいかに彼らに自分を重ねて感情移入しているのかがわかってしまった。
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564 :名無しさん@どーでもいいことだが。[sage]:2021/03/28(日) 12:53:13.19 ID:ibhszFlv - アニメ終了後しばらく、安置や悪魔への否定的意見も踏まえてを客観視、もとい切り離そうと試みた。けれどそれはもはや自分のダメな部分を否定するのと同じ感覚になっていて、激しい痛みを伴うものだったように思う。
だから、私は結局、彼らを自分と切り離して考えるのは無理だと悟った。 だって性根があまりに似ている。彼らの気持ちがわかりすぎる。 安置や悪魔に同情して泣いてくれる人、悪魔や悪魔の辛さに向き合ってくれる人、安置や悪魔を理解しようとしてくれる人達。きっと、優しいんだろうなって。 人の気持ちに素直に寄り添える人なんだろうなって。愛されてきた人なんだろうなって想像をする。 けれど、私はそういう気持ちを言葉にできない。自分とは違う境遇の人をそんな風に思えるのは、すごくすごく素敵なことだと思うけど、私には手の届かない眩しい感情のように思えた。 私は下心や打算、好奇心の方が信用できる。無償の愛の方が理解できなくて怖い。
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565 :名無しさん@どーでもいいことだが。[sage]:2021/03/28(日) 13:08:51.86 ID:ibhszFlv - 安置や悪魔の感情を肯定することで、やはり私自身が「許されたい/肯定されたい」のだなと感じた。
「誰しも彼らになりうるのだから彼らを否定しないで欲しい」という主張は、そのまま「私を否定しないで」という叫びでもある。 原作やアニメで感じた怒りは、過去に出会った無理解な他者への怒りでもあった。 彼らの弱さに、闇に惹かれる時、人はきっと「愛」を獲得するのだと思います。それは人によって形が異なるもの。 たとえば「可哀想」という憐れみであり、或いはこんなどうしようもない自分でも受け入れてもらえるという「安心」でもあるような。
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