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名無しさん@お腹いっぱい。
犯罪国家中国

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犯罪国家中国
306 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/10(土) 03:44:45.73 ID:a4bcPfH90
自然権

 自然状態においてはいかなる法も存在していない。人々の合意が存在しないからで
ある。しかし、この状態においてすべての人には、自己を保存する権利がある。それ
は人間が平等であるからであり、すべての人に生存の権利があるからだ。これが自
然権である。自然権とは「各人が、各人の自然、すなわちみずからの生命を維持する
ために、各人が欲するままに自分自身の力をもちいるという、各人の権利である。」
 ここでホッブズ、は、ヨーロッパ系の言語では同じ語があてられることが多い「権利」と
「法」の概念を明確に区別する。「権利」とは、あることを実行するか、実行するのを控
える自由である。たとえばぼくたちはふつうは集会において発言する権利も、発言しな
いでいる権利もある。どちらでも自由に選べるのだ。これに対して「法」は、あることを
実行するように、または実行するのを控えるように、そのどちらかを既定し、そう拘束
する。法によって集会で発言を禁じられているならば、ぼくは沈黙するしかない。発言
しても有効とは認められないだろう。
犯罪国家中国
307 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/10(土) 03:45:26.22 ID:a4bcPfH90
自然法

 だから自然状態では誰もが権利だけをもっている。そこにはまだ法は存在しない。しか
し、これは同時に戦争状態でもあり、この状態は永続することができない。その状態で
は人間は「自然がふつう、人々に対して生きるのを許している時間を生き抜くことはでき
ない」からだ。誰も寿命をまっとうできないのである。そこでホッブズはここに、自然の権
利を制約するような自然の法が機能すると考える。それでなければ、人間が生存しつづ
けることはできなかったはずだからだ。この法は社会で定めた法ではなく、自然法と呼
ばれる。これは人間が理性を働かせて、戦争状態を廃棄するために定めたものなのだ。
 この自然法は三つの基本的な法で構成される。平和の法、契約の法、正義の法である。
第一の自然法は「平和の法」であり、これは「各人は、平和を獲得する望みがあるかぎり、
それに向けて努力すべきである」ことを定める。この可能性がない場合には、自然権が
適用されて、各人は自己の生存を維持するために「戦争のあらゆる援助と利益を求め、
かつもちいてもよい」のである。
犯罪国家中国
308 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/10(土) 03:46:06.86 ID:a4bcPfH90
社会契約

 第二の自然法は「契約の法」であり、平和を獲得する望みがある場合に、第一の自然法
を遵守することを求めるものである。そのためには、各人は戦争状態を招いている自然権を
放棄しなければならない。ただしすべての他者が同じようにみずからの自然権を放棄する
という前提のもとにおいてである。
 さて、この各人の自然権はどのようにして「放棄する」ことができるだろうか。ある権利
を放棄するには、放置する場合と譲渡する場合がある。放置するというのは、その権利
から生まれる利益をほかの誰が享受しても構わない場合であり、譲渡するというのは、そ
の権利から生まれる利益を享受する人が定められる場合である。この自然法によると各人
は、相互の平和を確立するために、各自の自然権を放棄することに合意するのである。
 そして「契約」とは、権利の相互的な譲渡である。自然権の放棄が放置ではなく、譲渡
によって行われた場合には、譲渡した人間には義務が生まれる。譲渡した者には、その権
利による利益を享受するように意図された人、すなわち権利の譲り受け人が、その利益を
享受することを妨げてはならないのである。これを妨げることは、正義に反するとホッブズ
は指摘する。ここで正義が登場するのは、人々のあいだで権利を譲渡するという合意が
生まれ、それが義務として、法的な拘束力をもつようになったからである。それまではい
かなる法も存在しないのだから、正義も不正も存在しなかったのである。
 このようにしてホッブズのもとで社会契約という新しい概念が登場する。この概念は公
共善という伝統的な社会と正義の概念に代わって、人間が国家を設立し、そこで正義を
実現するための思考の装置の役割をはたすようになった。この思考の装置は、市場で
対等な立場で契約を結び、商品を売買する資本主義的な社会の人間のありかたから
考えだされたものである。この思考の装置では、人間が原初的な状態において実際に
契約を締結したかどうかはそれほど問題としない。重要なのは契約という考え方で、す
でに成立している国家の存在理由が説明できるということである。ホッブズからスピノザ
を経て、ロック、ルソー、カントまで、社会契約の理論は近代の国家と正義の理論の一つ
の重要な軸となるのである。
犯罪国家中国
309 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/10(土) 03:46:47.50 ID:a4bcPfH90
正義の自然法

第三の自然法は「正義の自然法」であり、その契約が守られることを求める正義の法で
ある。この権利の譲渡の契約が結ばれたのちは、契約の当事者がたがいにその契約を
守ることを信頼しあうのであり(ホッブズはこれを「信約」と呼ぶ)、この信約に反することは
不正である。この正義が守られるためには、ある裏づけを必要とする。この裏づけなしで、
不正を犯した者がそのまま罰せられないままであるならば、それは戦争状態がつづいてい
るということであり、契約の意味がなくなるからである。
 その裏づけとなるのが国家である。国家が設立され、何らかの強制力が存在して、不正
を犯した者を罰する必要がある。「正義は各人に各人のものを与えようとする不断の意思
である」とホッブズは伝統的な配分の正義の概念を提起する。ただしここで、「各人のもの」
が可能となるためには、少有権が確立されている必要があり、少有権が成立するためには
国家が成立されていることが必要である。「各人のものがない場合、すなわち所有権がない
場合には、不正義は存在しない。また強制力が樹立されていないところには、すなわち国家
がないところでは、所有権は存在しない」。この三つのもの、正義と国家と所有権は不可分の
ものなのである。
犯罪国家中国
310 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/10(土) 03:47:30.13 ID:a4bcPfH90
国家と正義

 このように正義が存在するためには、国家が存在して所有権を確保し、契約に違反する
者を処罰する必要があることが示された。国家とは「人々を恐れさせ、処罰の恐怖によって
人々が信約を実行し、さまざまな自然法を遵守するように拘束する可視的な権力」のことで
ある。このようにして国家が成立することによって、正義が確立されたのである。
 この国家はその内部において国民たちがたがいの信約を守るように強制する権力であり、
正義の権力である。しかしホッブズの国家においては、この正義の権力そのものは、正義の
処罰の対象となることがない。それではこの権力がもしも国民の「各人のもの」を侵害する
ようになった場合には、正義はどのようにして守られるのだろうか。
 皮肉なことに、ホッブズの構想ではこの場合には正義を守る権力はないのである。その
ことを国家の成立構想にさかのぼって調べてみよう。ホッブズは国家が成立するパターン
として、設立による国家の成立と獲得による国家の成立を分類している。獲得による国家は、
外部から強制力によって国民に権力をおしつけ、国民の所有権を保護する国家である。国
民はいわば制服されて国家の一員となったわけである。
 この場合には、これまで考えてきたような三つの自然法は適用されないことになる。この
国家において国民の正義が守られない場合には、国民は国家を離脱するか、国家を倒す
しかないだろう。だから正義の確立が問題となるのは、三つの自然法のもとで、国民が集ま
って自主的に国家を設立し、権力を譲渡する設立による国家の形成の場合である。
 この設立による国家の形成の場合には、人々はたがいに、「わたしはこの人、またはこの
合議体にたいして、自己を統治するわたしの権利を、権威づけ、与えるが、それはあなたも
同じように、あなたの権利を彼に与え、彼のすべての行為を権威づけるという条件のもとに
おいてである」と契約するものである。この契約の特徴は、国民たちがたがいに第三者に権
力を譲渡することが契約されるだけであって、権力を譲渡された第三者(主権者)は、この
契約の当事者(臣民)ではないことである。主権者は臣民の契約に拘束されないのだ。


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