- 靖国?
92 :wqqq51[]:2011/01/10(月) 01:19:35 ID:GAR91UWU0 - 懐疑主義者さんへ
>>でも、その地図も無効なんですよね? >>平和条約でも何でもないから。 そうです、その地図が決定的な証拠としても無効です、もし地図だけがあるなら。 でも、まだすでに島を先占した他の証拠(政府文書、歴史文化財など)が存在するから、例え一冊の地図が無効でも島の先占が証明できます。 >>貴方は結局、都合の悪い事実から逃げているじゃない 他の悪くない事実も↑の内容に書き込みました、もしこれも逃げる行為なら言う言葉がない >>そりゃ中国や台湾から「我が国の領土だ!」といきなり言われれば対応しますよ。 残念、青天白日旗が石油を発見する前に存在していました。 そして日本の行政範囲がコンクリート標柱で表明することが明治時代から始まります。 日本の各地で例えどんなに小さな地域でもコンクリート標柱が存在しています。 違いますか 最初も言った、貴方あるいは誰を説得するつもりがありません、説得しでも意味がありません、たださまざまな事実を展示したいと考えています。 最終の解決が両国の政府が交渉を通じて、この問題の平和解決すべきと信じています。
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93 :wqqq51[]:2011/01/10(月) 01:20:30 ID:GAR91UWU0 - >>89
>>貴君は「平等条約」と「不平等条約」の違いおよび「平等条約」の具体例について明確に示すことができないこと がわかりました。 国家主権を侵犯するかとうかが主な区別点です、近代の戦争条約と通商条約がほぼ不平等条約で、だからいまが殆ど廃止しました。 現代に入ったあと平等条約が段々出でいます。 例が沢山過ぎてそして明確の日本語条約名の検査が時間を稼ぎすぎでご勘弁ください、もし本当が必要なら改めて挙げて宜しいですか で言うかさ、日本の方々がいつもただ話を聴いて他人の考え方を推測しますか >>1895年(あるいはそれからさかのぼって10年程度)当時、日本軍が尖閣諸島周辺で生活していた清国人を軍事力に よって追い払ったという確かな証拠をお示し下さい。 それを証明する必要がありません、あとであの地域に生活していた清国人が存在していましたことを証明すればいい。 先占という前提でこの地域に無人地として自国の管轄地域に入れて問題があります。 >>1895年時点で尖閣諸島が中国の実効支配下にあったという文献・条約などをお示し下さい。 これも同じあとで提出します。
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94 :wqqq51[]:2011/01/10(月) 01:22:29 ID:GAR91UWU0 - >>どの政府の誰がいつ述べたのか教えてもらえれば幸いです。
いやいや、私も専門家ではありません、ただ各国の資料をできるだけ多いに調べて、歴史の本来を知りたいと思いますので もし何が誤解をまねかせることがあるならすべて個人の勉強不足のせいで、まだまだ自己勉強する必要があります これが中華民国政府の元大統領当時の考え方の一つで、当時のアメリカ大統領と交渉した結果、否決されました。 >>日本による尖閣の領有は侵略戦争とは無関係におこなったものとなるので、この主張は無効になります。 まず一つ勘違いがあることがあるかも、 日本による尖閣の領有は中国側がすでに先占したという前提でこれを無人地として占領行為を行っていました この占領行為もこれからの戦争の一環として執行しました。 1885年に日本の明治政府は秘密調査の結果、釣魚島がすでに清国(中国の清政府)領として認められていることを確認しました ならばなぜ条約にこれを無人地として日本の領土になれたを敢えて説明しましたか。 つまり「弱い国に外交は無い」そういうことです
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- 靖国?
95 :wqqq51[]:2011/01/10(月) 01:23:27 ID:GAR91UWU0 - 1895年までの中国人は釣魚島を利用した主な行為が、航路標識、海岸の防衛、漁業、薬草を採集するなどであります
では以下の内容はただ一部の文献と文書で、全部の証拠ではありませんが一部をご参考していただきたい。 まず、琉球は日本の明治維新後に沖縄県として明治政府の支配下に置かれるまでは独立した国であり、 明、清それぞれの王朝との間で冊封関係にあり、新たに琉球中山王に就任するに際して、中国の皇帝 からの冊封の儀を受けることが、その正統性を示すうえで不可欠であった。琉球への冊封使の派遣は 明、清あわせて24回に及び、冊封使はいずれも派遣経過と琉球の現状報告を「使琉球録」などの文書 として皇帝に提出していた。明代の琉球册立使を書いていた「使琉球録」のなかに、釣魚島(魚釣島) 、黄尾島(北小島)、赤尾島を明載するこたがわかりました。 次は、明清両王朝はよく釣魚島付近で海岸防衛を行ったことが、明確の主権行為と歴史資料で明らかで あります。たとえば、明初、海軍将軍??は、艦隊を統率して、海賊を壊滅のために、福州から釣魚島を通り過ぎて「琉球大洋」(今の琉球海溝)まで海賊を全滅しました。「洪武七年(1373年), 海上有警。???充?兵官,同都督金事???江?四?舟?出捕楼,至琉球大洋,?其兵船,献俘京?。」 つまり、いまの琉球海溝まで、全部中国の領海範囲であります。琉球海溝を越えなら琉球政府の領域に入り ので、無断侵入することができません。でも、ここでもはや釣魚島を超えるすぎ距離であります。 三つは、釣魚島海域は昔から中国福建省、広東省、海南島の一部、台湾の漁民の最も重要な漁場であり、 数百年内に絶え間がありません。《捍海図経》の中に、「釣魚嶼,自嶼遠近多巨,長約十数尺,見風帆影, 逆于波上,夜則躍而有光。按海魚族類頗多,因訪漁略言之者,曰朱、曰鞠鼈、曰刺鼈、曰虎鼈、日青鼈、 曰?矍鼈、曰犁頭鼈、曰狗頭鼈、曰和尚鼈、曰白蒲、曰吹鼈螺,吹螺者鳴,則風雨大作,?食魚害人。 又虎鼈者,有化為虎?島人畜,其余不尽聞也。」という明細的な記録が当時釣魚島付近の中国漁民の 状況を明確に記載されたことは明らかであります。 中国人は数百年の歴史に絶え間なく釣魚島を利用続けて、国際法により、人類居住に適合しない無主地 の先占は、発見、そして実際に利用すれば先占になることに相応の証明であります。 日本の歴史資料から見れば、明治十七年(一八八四年)ごろから、古賀辰四郎がこの地でアホウ鳥の羽毛 や海産物の採取事業をはじめ、島の発見者以外、何の証拠も提出することができないと日本政府の資料で 明らかのことであります。 でも中国の参考文献、文化財産、古書、王朝文書の中に、すでに五百年間(1372年一1895年)に釣魚島を 平和利用、絶え間なくの領土主権持つ記録があります。その時島は航路標識、漁業と薬草の原産地として 利用され、中国海岸の防衛範囲に含められました。全ては先占に一致します。
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- 靖国?
96 :wqqq51[]:2011/01/10(月) 01:40:52 ID:GAR91UWU0 - >>人民日報が党の見解を批判するような内容の記事を載せていたのでしたら、、
私は一本の人民日報を予約購読しません、内容も読めませんのでいきなり記事を提出させでも、、、 しかし、人民日報に今も政見異端者という編集さんが存在しています。 例えば、?立?という人物が人民日報評論部門の主任編集さんとして、今も中国の政治批判の行為を行っています。 彼が主任編集さんを担当する時、有名な「日本はもう中国に謝罪しなくていい」という作を書きました。後も何本の本を出版しました。 多分この人が中国人からみれば、完全な売国奴ではありませんか でもこの人が定年まで主任編集役を担当していました。 このような人もあれば、一つ二つ党の主張とは全く異なる論調を載せることも可能と思います。
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- 靖国?
97 :wqqq51[]:2011/01/10(月) 01:43:12 ID:GAR91UWU0 - ?立?→馬立誠
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