トップページ > 外交政策 > 2011年01月10日 > +x9T01AF0

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名無しさん@お腹いっぱい。
靖国?
今こそ核を持とう 02

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靖国?
98 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/01/10(月) 03:59:38 ID:+x9T01AF0

>>93-97

丁寧なレス、ありがとうございます。ただ、私が「1895年時点で」と書いた意図が理解してもらえていなくてがっかりしています。

>>95の内容ですが、あなたが建てた別スレで既に拝見していますし、尖閣でググると出てくる様々なサイトにも紹介・批判
されています。

まず、冊封使の件ですが、http://8612.teacup.com/tamon/bbs/381などで反論されています。500年間で中国側から
琉球まではわずか24回しかも平均20年以上のインターバルがありますが、琉球から中国へは241回も派遣されている
こと11人目の冊封使以降全て琉球側から船を出していたことなどから、むしろ尖閣を通るルートを活発に利用していた
のは琉球人ではないかと指摘されています。

また、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E5%86%8A%E5%B0%81%E4%BD%BF%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
によると、清側が最後に琉球に対して冊封使を派遣したのは1865年であり、当方が問題にしている1895年までには30年
もの空白がある。当方はこの30年間で尖閣が中国側から忘れ去られてしまったものと推測しています。


次に、明代に倭寇対策として尖閣諸島をパトロールしていたことに関しては当方何も異存はありません。ただ、倭寇が
活動していたのは14世紀頃から16世紀頃までで、1588年に豊臣秀吉が海賊停止令を発布してからは日本人による
倭寇の活動は姿を消しています。

すなわち、パトロールすべき対象である倭寇の消滅にともなって、わざわざ明・清がパトロールをしていたとは考えられ
ません。あなたが示した資料も全て14世紀から15世紀にかけてのものであり、この推測を裏付けています。


三つに、『捍海図経』ですが、ググっても存在を確認することができませんでした。まだ中国語でしか書かれていない文献
なのでしょうか?また、誰によっていつ頃書かれた文献なのでしょうか?あと、情けないことに当方中国語が読めません。
日本語か英語に訳してもらえれば幸いですが、ヒマなときで結構です。


>でも中国の参考文献、文化財産、古書、王朝文書の中に、すでに五百年間(1372年一1895年)に釣魚島を
平和利用、絶え間なくの領土主権持つ記録があります。その時島は航路標識、漁業と薬草の原産地として
利用され、中国海岸の防衛範囲に含められました。全ては先占に一致します

あなたの示した資料では、倭寇が活躍していた期間に限って中国側が尖閣経由の航路をパトロールしていたこと、
平均20年に一度の間隔で琉球人の水先案内によって中国側から冊封使が1865年までやってきていたことが確認
できるだけで、とても「絶え間なく」領土主権を持つ記録があるとは認められません。

だからこそ、「1895年時点」で中国が実効支配していた記録・証拠を教えて欲しいと書いたんですが、無視されて
しまいがっかりしています。

ちなみに、当方がその後探したところ、「
靖国?
99 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/01/10(月) 04:19:38 ID:+x9T01AF0
>98のつづき

ちなみに、当方が探したところ、「釣魚台ハンドブック」なる二次資料があり、そこには中国人民が尖閣を実効支配して
いたことがありありと記されています。

「昔から釣魚台列島の周囲海域は、中国人民の主要な漁場であり、風を避ける港である。毎年漁期には基隆(キールン)
、宜蘭(イーラン)、蘇澳(スウオウ)等から出漁する漁船は3000余隻に達し、漁民は赤尾嶼などに小屋を建てて漁期
に使用しており、一部の漁民は1年のうち2、3ヶ月は島に居住している。また、採薬商人もこれらの島嶼に特産の薬材
を採取にきており、中国人民はさらに黄尾嶼には長さ300米に達するトロッコ道を建設しており、二棟の鉄製小屋を
建て、長さ120フィート幅4フィートの鉄製桟橋を建設している。」

ただ、当方が調べた限りではこの話の出所となる一次資料が全く明記されておらず、とある掲示板では「アメリカに住む
ただの中国人留学生が書いたデマ」とまでこき下ろされています。実際、原典を示していなければ、何が書かれていようと
歴史的資料としての価値はゼロであることは言うまでもないかと思います。

ちなみにこのハンドブックにはwqqq51氏が>>87で書いた台北州への漁場管轄許可の話題も含まれていたので、きちんと
一次資料からの裏付けが取れた事実かどうか検討されたかどうかお聞きしたいところです。

wqqq51氏には、このハンドブックに書かれてある内容を裏付けするような一次資料を示してもらえれば当方の認識も
大きく変わるのですが、どうでしょう?


また、それほどまでに中国側の人々が尖閣に来ていたのであれば、1885年から10年間も古賀辰四郎らが魚釣島を
開拓したことにたいして中国側で全く問題にしてこなかったことに強く疑問を感じます。1895年までの時点で中国が
実際に尖閣を利用していたのであれば様々なトラブルが発生していたはずですが、なぜ中国側は何も文句を
行ってこなかったのでしょう?やはり当時は尖閣は中国にとって忘れられていたのですよ。
靖国?
100 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/01/10(月) 04:55:52 ID:+x9T01AF0

>>93

>国家主権を侵犯するかとうかが主な区別点です、近代の戦争条約と通商条約がほぼ不平等条約で、だからいまが殆ど廃止しました。

了解しました。


>で言うかさ、日本の方々がいつもただ話を聴いて他人の考え方を推測しますか

何が聞きたいのかよくわかりませんが、人の話を聴くのは相手を理解するためであると考えています。


>1885年に日本の明治政府は秘密調査の結果、釣魚島がすでに清国(中国の清政府)領として認められていることを確認しました

日本政府は尖閣が清国領だとは認めていないと思いますが。1885年に古賀氏から尖閣の開発の許可を求められた
ときに、「いやいまそこを日本領だと宣言しちゃうと中国が警戒して台湾の守りを固めちゃうかもしれないからちょっと
待って」って内容のことを話し合っていたくだりを指しているのでしょうか?かなりねじ曲げた解釈になっていますよ。


>>96

馬立誠氏のことははじめて知りました。ありがとうございます。調べてみると2001年頃に中国と日本の歴史問題はすでに
解決済みだ」という文献を発表して様々なパッシングを受けた方のようですね。

文献そのものを手に入れたり読んだりすることはできなかったのですが、amazonのレビューを見ると石原慎太郎氏や
小林よしのり氏らの歴史認識に対してはしっかり反論するなど、半日教育を受けた一般の中国人にとっては刺激的な
内容でも、中国と日本が外交上交わしてきた合意からは逸脱していない内容のようです。

馬氏の内容が中国の対外的な公式見解と対立するところはどこなのでしょう?

やはり、人民日報では台湾独立を認めたりと言ったような反政府的な内容は書けないものと思われます。


そうそう、結局中国は1895年から1971年まで尖閣諸島の領有権を一度も「主張」してこなかったことに対する
反論はなかったので、これについては了解してもらえたわけですよね。


靖国?
101 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/01/10(月) 05:17:43 ID:+x9T01AF0
>>89

>>>1895年(あるいはそれからさかのぼって10年程度)当時、日本軍が尖閣諸島周辺で生活していた清国人を軍事力に
よって追い払ったという確かな証拠をお示し下さい。

>それを証明する必要がありません、あとであの地域に生活していた清国人が存在していましたことを証明すればいい。
先占という前提でこの地域に無人地として自国の管轄地域に入れて問題があります。

日本軍が尖閣諸島周辺で生活していた清国人を軍事力で追い払ったという事実は発見できなかったのですね。
でしたら、「当時の日本側が軍事力を持って、この地域に無人地をしきりを定めた」という表現は訂正すべきです。

おそらくあなたが紹介してくれた馬氏はあなたが上で書いたような、当時の日本がやったことはなんでもかんでも軍事侵略
的な違法なことばかりであるという偏見に囚われ理性的判断を放棄した一部(?)の中国人を批判しただけなのではないでしょうか?
靖国?
103 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/01/10(月) 17:22:47 ID:+x9T01AF0

>>92

>残念、青天白日旗が石油を発見する前に存在していました。

釣り?

1968年10月 尖閣諸島周辺で石油発見
1969年5月  中華民国が石油採掘権をアメリカ合衆国のがフル社に与えるとともに、「青天白日旗」を尖閣諸島に掲揚。世界中の通信社に配信。
1969年5月10日〜11日 琉球政府が尖閣諸島の5つの島に標杭を建てる。
1970年9月 琉球政府は魚釣島の青天白日旗を撤去。

今こそ核を持とう 02
85 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/01/10(月) 18:39:24 ID:+x9T01AF0
>>71-80

満州国は形式的に独立国家であるが、政治・経済・軍事それぞれの側面で関東軍の支配下にあったわけで、
傀儡国家と言えるのではないか?

傀儡国家であろうと、植民地であろうと、そのもとで住民を酷く抑圧することもあるし、>>80で示されているような貢献を
果たすこともある。それは日本による朝鮮の植民地経営でも同じ。

ただ、そのような貢献面だけを見て「あれは傀儡ではなかった」「植民地ではなかった」と言い切るのはおかしい。

それは決めるのは第一に被支配下にある住民であり、次に国連など関係諸国だと思う。

ここのみなさんだって戦後の日本が第9条と日米安保によって安全保障面でアメリカの支配下にあることに
反対しているわけでしょう?そのおかげで最近までGDP世界第二位まで経済発展してきたのに。
でも経済的な恩恵よりも民族自立を選択することも十分あり得るでしょう。


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