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名無しさん@お腹いっぱい。(大阪府)
大阪こそ首都にふさわしいPart1
大阪土人の東京に対する病的なコンプレックス★6

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大阪こそ首都にふさわしいPart1
21 :名無しさん@お腹いっぱい。(大阪府)[sage]:2021/11/28(日) 08:11:09.76 ID:AvglcKtr
>>1
贅六こういうところだぞ…

▼人肉で商売をする京都兵
弓(宇都宮33師団)の小倉軍曹と安(京都53師団)の兵隊の会話(シンゲルにて)
弓・小倉「いくらだ」
安・兵隊「百円でどうだす」
弓・小倉「百円だと」
安・兵隊「本物のぎゅうでっせ(←本当は日本兵の死体から切り取った人肉※409頁)、高うはおまへんやろ」
弓・小倉「ばかやろう!こんな臭い、腐った肉(←人肉)を持ってきやがって。それを百円で売る。貴様それでも兵隊か」
安・兵隊「そらあんた、ただあげるいうわけにはいかん。あてらも何とかして米も買わんならん、金持っていかにゃ売ってくれんさかい」
弓・小倉「何を言いやがる、これだけの肉を百円だ。兵隊に売つけてどうすっか」
安・兵隊「いらにゃ売らん。あんたかてのうて困るやろ思うたんや」
弓・小倉「このやろう」
小倉軍曹はいきなり殴りつけた。兵隊は悲鳴をあげて逃げ去った
弓・小倉「とんでもない兵隊だ。戦をさせりゃあ、すぐ逃げるくせに、戦線にいても金儲けだけは忘れん奴だからな」
文春文庫『インパール』404頁

道端で倒れていた弓(宇都宮)の塩山一等兵は安(京都)の兵隊に胸ポケットの品物を盗られ…
安・兵隊A「何も持っておらへんやないか」
安・兵隊B「こいつまだ死んでおらんがな。ぬくいがな」
安・兵隊C「さよか。あすにしよか。早うやらんと肉が腐るさかい」
文春文庫『インパール』405頁

▼仲間を見捨てる京都兵
安・兵隊「助けてんかあ。助けておくれやす。いっしょに連れてっておくれやす」
弓・小倉「わかった」
安・兵隊「ありがとうございます、おおきに。助かります。もう生きて帰れんと思うてました。わいらの部隊の奴らひどい奴でして少し遅れても待ってくれんのです。歩けん者は置いてく言うてとうとう置いてかれましてン」
弓・小倉「安というとこはひどいもんじゃ。こんな奴をみんな置いていきおって」
文春文庫『インパール』371頁

弓・長中尉「どうしてここにおるのか」
安・兵隊「おいていかれました」
弓・長中尉「糧食はあるのか」
安・兵隊「みんなとられました、倒れている奴はいらんだろう、いうて」
文春文庫『インパール』393頁
大阪土人の東京に対する病的なコンプレックス★6
349 :名無しさん@お腹いっぱい。(大阪府)[sage]:2021/11/28(日) 08:25:38.65 ID:AvglcKtr
>>348
【京都福知山贅六は国賊】
しかし酷いと思わないか贅六よ
東京、甲府、佐倉、広島福山の各部隊が最強米兵を相手に絶望的な戦いを続けている間、最大兵力の京都16師団の弱兵連中は山ん中へ逃げて行方知れずになってたんだから

マッカーサー「レイテ島の上陸(vs 京都16師団)は他の戦線と比べるとよほど楽だった」
レイテ戦記(上)80頁

京都16師団の戦闘振りは、友近軍参謀長(愛媛県出身)をはじめ多くの上級兵団の不満を買った。
水際陣地よりの早期後退、カトモン山の放棄は、航空作戦実施中の南方総軍をがっかりさせた。(昭和19年10月)31日付電報で、ペリリュー島の敢闘(水戸、高崎連隊)を引用しつつ、方面軍の作戦指導を避難しているくらいである。
レイテ戦記(上)327頁

(米軍の俘虜)収容所代表は16師団20連隊(京都福知山)の曹長と称する上等兵であった。
収容所が開設された頃、日本軍の糧秣の隠匿場所に米兵を案内し、俘虜の給与改善に貢献したため、日本人の代表者に選ばれたのであった。
レイテ戦記(下)79頁

日本の歩一も向う意気の強い東京の部隊である
現役であるから、主に東京下町の商家の子弟、近郊の農家の息子から成っていて、都会の蒼白きインテリ部隊ではない。
佐倉の57連隊のような粘りはないが、気性はむしろ荒いのである。
レイテ戦記(中)142頁

日本軍は満州事変、日中戦争の過程で、これほど情報なしで戦ったことはなかった。
敵部隊の編成、装備、兵力について、大抵は完全なスパイ情報を得て、時々刻々敵情を知りながら戦っていたのである。
…これらの情報の不足により、初動において齎されたハンディキャップにも拘らず、(リモン)峠本道を守った57連隊(佐倉)及び後にこれに参加した歩一(東京)の奮戦は賞讃されなければならない。
…とにかく第一師団(東京)は入れ替わり立ち替わり現れる重装備の歩兵に、50日抵抗を続けたのである。
レイテ戦記(中)210~211頁

この非現実的な作戦にも拘らず、左翼を受け持った佐倉57連隊の二個大隊の奮戦は賞賛に値しよう。
圧倒的に優勢な砲兵と化学兵器の圧迫の下に、闘志と白兵戦闘の技術を生かして、支えられるはずのない北方稜線を10日、錯綜した東方山嶺を30日以上支えたのであった。
12月21日転進命令の出た時は参加人員約2,500のうち、91名しか残っていなかった。
レイテ戦記(上)399頁
大阪土人の東京に対する病的なコンプレックス★6
350 :名無しさん@お腹いっぱい。(大阪府)[sage]:2021/11/28(日) 08:31:09.90 ID:AvglcKtr
>>128
またも負けたか狂都贅六こういうところだぞ…

【水戸】
もともと海軍の兵隊は地上戦になれていない。
海軍は、数こそ3500人以上いたが、地上戦の戦力としてはあまり期待できない感じがした。
その点、陸軍はまとまっていた。
ペリリュー島に派遣された陸兵は、日本でも屈指の精強部隊(水戸2連隊、高崎15連隊)である。
彼らを見るたびに心の中で、「たのむぞ」と声をかけたものである。
土田喜代一元海軍上等兵・福岡県出身
(産経新聞出版『戦い いまだ終わらず』31頁)

【小倉】
戦争をすれば、からっきし意気地がなく、頼りないことおびただしい。
南支の戦線では、九州兵団が警備につくと、中国人は恐れて攻めて来ないのに、大阪、京都の兵団に交替すると、さっそく攻撃をしかけて来るというありさまで、敵側からも甘くみられていた。
田中稔元陸軍中尉(福岡県出身)『死守命令』160頁

【京都】
 『菊(久留米18師団)』の将兵が大原生林の樹海から辛うじて脱出した直後そこにみたのは素晴らしい装備をもちながらも戦闘意欲に欠けた集団(京都53師団)の姿であった。
マラリアにやられたから入院させてくれとか足にマメができて歩けないとか泣き言をいって全線へ出ようとしない(関西の)兵隊たちである。
『菊』の将兵は怒髪天を衝く思いだった。これだけの武器弾薬があるならなぜ俺たちに支給してくれなかったのだ。兵糧さえ与えてくれたら勝てたのだ。歯ぎしり、無念の涙をのんだフーコンの戦いであったのに…
『安(京都53師団)』はモウガンまで行軍してくる間に過半数の兵が落伍していたという。同じ日本人、同じ兵隊でありながらなぜこうも違うものかと精神力の差をまざまざ見せつけられた気がしてならなかった。
(光人社『菊と龍』P69~72,130)


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